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祖母との死別、これからの人生が不安

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初めて投稿します。

私は一ヶ月ほど前に入院していた祖母を亡くしました、85才で老衰でした。

とてもショックでおばあちゃんがいないこれからの時間どうして生きていこうとか、変な話ですが今おばあちゃんは大丈夫なのかなとか、入院して、家で介護していた時のようにまだ心配をしてしまったりします。

元々私の人生はこじらせていて、私が人より神経が繊細らしく、鬱病気味になったり不登校や対人恐怖で集団に馴染めなかったりで、家で過ごす時間をすごく大切にしていて、おばあちゃんが拠り所のようになってました。

友達も作れない私で、美大で絵を勉強してますが必死に絵を描いても精神が安定して描けなくて、評価は良くなく、4月にはまた留年をしてしまいます、もうこんな人生はつらい、これから私が生きていける自信がない、私は若いから何十年もまだ生きて、他の家族を順番に看取るなんて耐えられないと思っています。

学校に行かないことが多かったので、独りで過ごす方が好きだと思ってたのに、私はこれからの人生孤独に耐えれそうにありません

精神病院に10年くらい通っているのもやるせなく、精神不安定な自分が恋愛や結婚もこの先難しいのではないかと思うと、私は後どれくらいひとりぼっちに耐えなきゃいけないのだろうと不安になります。

なぜ生まれてきて私は役立たずのまま、お金ばかり使うのだろう、親不孝なのだろうと思います。

いつの間にか笑ったりすることができなくなりました。
私は何度も幸せは何なのか考えてみますが、とても遠いもののように感じます。
仏教に頼ろうとしたことも幾度もありますが、私は救われるとはどういうことなのかまだ理解できません。

仏壇にお供えをしてもこれでおばあちゃんが喜んでくれてるのか分からないです。
私の人生が苦しいということだけ、はっきり思います。

学校で、苦しい思いをすることも、家でいることも辛く、ただただ淋しいです

文章にすると書けますが私はほとんど人前で話をすることがありません。

この先どうやって生きていけばいいかわかりません。親も心配していることでしょう。

お先真っ暗な心境なので、相談しました。

どうか助言を頂けたら有り難く思います。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

おばあちゃんが喜ぶ生き方を

私もおばあちゃん子でした。
亡くした当時はショックでよく覚えてません。
まずはおばあちゃんのこと、お悔やみ申し上げます。

葬式が終わった後は四十九日・百箇日と続きます。
これはつまり、おばあちゃんはまだ亡くなりきっていないんです。

ですから
>今おばあちゃんは大丈夫なのかなとか、入院して、家で介護していた時のようにまだ心配をしてしまったりします
それでいいんですよ。
おばあちゃんだって可愛い孫を置いて
ササーっと遠くになんて行きません。

大切な存在を失った時、
これからの人生の不安…言いようのない孤独感…
当たり前に感じる感情で、自然なことです。
これはハルさんが自分の人生を考えるという
おばあちゃんが与えてくれた大切な機会でもあります。
それをしっかりと受け止めなくてはいけません。

>どうやって生きていけばわからない
のなら、「どう生きていくことがおばあちゃんが喜ぶ生き方か」をゆっくりと考えてみてはいかがでしょうか。

海外では小学校でも留年があります。
日本ではやたらと足並みを揃えたがりますが、
本来それぞれに適したペースがちゃんとあるんです。
周りより遅れていても、自分だけはそれを許してあげましょうね。
自分のペースで少しずつ努力していく。

供養の文字は「一緒に美しく良くなっていく」です。
ハルさんが喜んだ時、おばあちゃんも喜んでくれています。
仏さまを、おばあちゃんを、自分の心に宿していく、いうなれば一心同体。
1人ぼっちじゃありません。

とはいえ、これはなかなかすぐに思えるものじゃありません。
亡くなった大切な存在の前に座り、手を合わせ、お香を焚いて、お経を読む。
繰り返していくと少しずつ自然に心に宿っていきます。

百箇日を「卒哭忌」といいますが、これは「泣き止む時」という意味です。

ハルさん、まだまだたくさん泣いていいんですよ。

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有り難し
おきもち

困っている人や悩んでいる人にとって、仏さまの教えが少しでも良薬となれること...
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質問者からのお礼

ありがとうございました。
暖かい言葉に涙が出ました。
情けないですがまだ泣いていようと思います。
本当にありがとうございます。

「親・家族・恋人・大切な人の死が悲しい・乗り越え・立ち直る」問答一覧

苦しいです

50台、看護師してます。      先日夫が急逝しました。54歳、来月お誕生日がくる予定でした。    病気で寝たきりになり、在宅介護は困難なため、最後の2年程は施設入所してもらってました。    誤嚥性肺炎を繰り返すようになり、それでもいままでは抗生剤治療などで回復してました。    でも、今回は発症翌日に亡くなってしまいました。    夫に対してもっとできることはなかったのか、ずっと考えてます。    一番後悔してるのは、53歳の誕生日の時の事です。    当時、夫は転倒による腰椎圧迫骨折を受傷し、私の勤務先に入院していました。    「誕生日ケーキ食べたいけど駄目だよね?」と聞かれ、糖尿病治療中でもあったことから私は「ケーキは退院してからにしようね」と言いました。    治療とリハビリをすれば自宅に帰れると信じてました。    しかし、夫の身体状況は悪化の一途を辿り、両上下肢機能全廃・嚥下障害・認知機能低下が出現し、在宅介護は困難となりました。    こんな事になるとは夢にも思ってなかった。    医師に許可をもらって誕生日ケーキ食べてもらえば良かった。本当に悔やんでいます。    甘い物好きで、誕生日やクリスマスのケーキを楽しみにしてた人だったのに…。    私は夫と出会えて本当に幸せでした。  こどもはできなかったけど、夫婦2人で力を合わせ、いろんな事を乗り越えてきてました。      夫は幸せだったのかな…?  次々と自責の念が現れ、苦しいです。   

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好きなバンドのボーカルが死んでしまった

好きなバンドのボーカルの訃報が今日発表された事に付いて相談させて下さい。 私は今日授業前にSNSのニュースで訃報が発表され 「え、そんな事ある?まだ25歳だよ?」と誤報を疑いながら授業に望みました。 でも段々授業を受けながら本当の訃報ではという気持ちになっていき辛くなって授業に集中出来なくなってしまいました。 次の休憩時間の時にバンドの公式アカウントで本当に亡くなってしまった事を知り他のメンバーの追悼コメントを見て実感して本当に辛くなり 先生にその事を伝えるとあまり質問を当てないようにしてくれました。 バンド自体は続き他のメンバーが作詞作曲すると言っておりその発言が訃報のショックの精神の支えになっています これからもっと売れて大活躍するんだろうなって思っていたのでこれから活躍する彼を見る事が出来ないショック 彼の曲の新作がもう出ない事は勿論、彼と言う人間も好きだったので もう 彼が生きていないこと もう彼の歌声やパフォーマンスが見れない事 もう彼の書いた曲を聞けないこと もう彼の居る状態のバンドが見れない事 もう彼の話や投稿を見る事が出来ない事 来月初めてそのバンドのライブに行く予定だったので もう本当に生で見れない事を考えると 本当に涙が出てきて 落ち込んできて明日以降もその事を考えてこれからもまた落ち込むのではないか?。 他のアーティストの追悼を見て落ち着こうと思うのですがこの状態はSNSを見ないほうが良いんでしょうか? この事を考えないようにしても何らかで死の話題を連想して考えてしまう などの不安のせいで明日以降ちゃんと学校や課題に集中出来たり、 この事を思い出しても大丈夫なぐらい平気になるぐらい立ち直る為に如何すればいいか? 後お坊さん目線の回答を求めるんですが 彼はあの世でメンバーの事見てくれているでしょうか?もう一度彼に会える可能性はあるのでしょうか? 今日起きた事なのでショックで長文になりましたがご回答宜しくお願いします。 本当に助かります

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転職・引っ越しによる環境変化と母の死が重なり心身ともに辛いです。 先日、母が癌で亡くなりました。1年前から入退院を繰り返しており、余命が短いことは覚悟していましたが、やはり悲しいです。母が病気の苦しみから解放されたのは救いですが、この先母がいないと思うと人生がつまらなく感じます。まだまだ母とやりたいことがたくさんありました。 母の死は時間が癒してくれるのを待つしかないのですが、ちょうど転職と引っ越しをした直後に母が亡くなったため、新しい仕事を頑張れる気がしません。一人暮らしでホームシックにもなっています。まだ結婚もしておらず、一人っ子でもあるので孤独感が大きいです。 新しい仕事は私が目指していたことで、母も生前応援してくれましたが、母が亡くなった今となっては前向きになれません。これから新しい仕事のためにたくさん勉強しなければならないのに、無気力で頑張れる気がしないです。 母の癌が発覚した1年前から精神的にしんどく、診療内科に通うほど体調も崩しました。そのような状況下で頑張って転職し、これからというときに訪れた母との別れは新生活の不安と二重の苦しみで耐えられる気がしません。これからどうやって日常生活を送り、前向きに人生と向き合えばよいでしょうか。

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