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イライラする

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有り難し有り難し 32

Facebookで同級生と再会することが増えて、有名私大にストレートで行った同級生が順調にいってて嫉妬してしまいます。

さらに結婚妊娠出産ラッシュでストレスたまります。

全てを手に入れることは不可能ですか


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

すべてを手に入れると大変ですよ!

おはようございます。
生老病死は人生にもれなくついてきます。

ご質問の全てを手に入れる。という件ですが、
できないというより、求めないほうがいいと思います。

物事には見える面と見えない面があります。
人生のどこか一部分だけ見ると、羨ましく思えるかもしれませんが、、、
もう少し長いスパンで見るとリスクも同時に手に入れてることがわかります。

大学もストレートに合格し有名企業に就職。だけど20年後は職場の人間関係で精神病んで無職。

結婚、出産を羨ましく思っても、だけど15年経てば、、、
自分の自由になる時間は減り、野球観戦も食べ歩きする余裕もなく、子どもと相方へのグチの時間が増える。
そこも羨ましいですか?

宝くじで大金当たった人。
大金入ることは羨ましいかもしれないけど、
人に狙われるリスクは羨ましいと思えないです。

すべてを欲で満たし、欲に振り回されることに人生の大切な時間をすべて捧げる必要もないと思います。
ほどほどのバランスがオススメです。

だけど、保育の世界の地味な大変さは、もう少し十分に世間に理解してもらってもいいんじゃないかと思います。

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有り難し
おきもち

hasunohaに出会えた私は幸せ者です。カニとおろし蕎麦と水ようかんが美味しい地方の町のお寺にいます。人混みは苦手、都会のイルミネーションやサイネージはまぶしすぎる。だけど、ここhasunohaでの対話があるから孤独じゃない。ありがとう。
社会福祉士、公認心理師として社会では働いてます。事業や組織を背負うと言えないこともあるけど、仏教を背負うと語る内容も変わります。悩みがなくても話してみたいときは相談ください

本当にその人たちは幸せかい?

こんにちわ。(。-`ω-)フェイスブック幸せアピール記事撲滅委員会の丹下と申します。
神よ仏よ西本奈々様よ、お許しください。彼ら彼女らは、自分が幸せアピールをする事で人から反感買っていることに気づいていないのです。
どうせ情報発信するなら人のためになる事をアップするならまだしも、みんな自分の事ばっかですネ。
お気持ちわかります。
ですが、もっと深い心理を読み取らなきゃダメです。
何で幸せアピールをする必要があるのでしょうか。そこをよく突いてください。
マザーテレサやお釈迦様が「やった!今日○○で、○○に会えたよ!ウレピー!‼(´▽`*)」とか言ったらキモいですよね。ファンも信者も減りまする。
幸せアピールなんて所詮切り取りです。24時間のうち一番「良かったっぽい所を切り取って」幸せアピールするという超ネクラ人間の自己暗示製作ですよ。
本当に幸せな人間はそんな幸せアピールが要らない。
もう一度言いいます。よくそういう人間の心理を見抜いてください。
なんで「アタシ超ハッピー♡」とかアップする『必要』があると思いますか・・・・?
そうです。
わかりましね。
可哀想な人たちなのです。
ぶっちゃけ、その人たてゃ24時間中幸せですか?んなわけねっつの♡(-ω-)/
だから、みんな同情で「いいね!」ポチしてるのです。
その「いいね!」ポチの裏心理も人それぞれ。みんな計算高「いいね!」。
「ハイハイ、そういうアピール、ウンザリ、もう、いいね!」
「ウザいいね!」
「毎回メンドクサいいね!」だったりしてるはずでしょう。妬んだりする価値なしです。
だから、同情すべき事なのです。
あんまり言うと可哀想ですから、この辺で。
どんな記事でも裏心理があるのでしゅよ。わかったかな?('ω')
これで、あなたも、もうイライラしなくて「いいね!」
こんどそういう記事が来たら、そう考えると「いいね!」
世の中ちゃんと救いはあるのです。ありがてぃーね!

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

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