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ネガティブな存在

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有り難し有り難し 27

自分の頭の中で自分が言動することほぼ全てに対して否定する存在がいます。自分にとって楽しいことをしててもそれを全て否定されるんです。何をしても「何やってんの?」とか「きもっ」とか「ありえない」とか否定的なことを言う人が脳内に住み着いているんです…。どうすればその存在をを消せますか?まあ自分のやることすべてが正しいとは限らないし、一歩立ち止まって考えてから言動しなければいけないことがあるのは分かってます。でも自分がする何もかもほぼ全て否定する存在がいて、本当に人間不信になりそうです。自分のやりたいことが全然できないし、自信も持てません。どうしたらいいのでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「きもっ」て百回言ってみましょう

禅の修行は最終的に言葉をも超越することです。
こういうとかっこいい響きですが要はこちらの心が動かなければいいのです。
バーカバーカ、アホアホ、キモいキモいずっと言ってみてください。
傷つかなくなるという感覚をやしなうのです。
人生は長いですから人の言葉で傷つかないようになることです。
テレビで誰かが誰かをののしったとします。
人によってはそれで傷つく人もいるでしょうが、それでも平気な人がいるということは、その言葉に過剰に反応して問題化・問題視してしまった自身の心のあり方が問題であるとみると良いでしょう。
相手にキモキモいわれても、その言葉が機能しなくなるくらいになってみましょう。
傷つくのは相手の言葉ではなくて、相手の言葉によって反応してしまう自分なのです。
あなたを心ない言葉で傷つけたり、優位に立とうとしてくるトモダチは本質的にトモダチではありませんから、付き合わなくてもいいのです。
時には反論しませんと、相手は上から目線で強くいってきます。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

もうひとり

こんにちは。

 仏教では中道を説きます。中道とはどちらにも偏らない心です。悪い事ばかりいう誰かがあなたの中にいるのなら、良いことばかりほめてばかりいる誰かをもうひとり心の中に追加してみましょう。そうすれば釣り合いがとれますね。
 がんばろうとする自分自身を自分でほめてみましょう。

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有り難し
おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoha回答僧登録。 好きな言葉は「和顔愛語」。和やかな顔と思いやりの言葉という意味です。曹洞宗開祖道元禅師は、愛語には世界を一変させる力があると仰っています。回答には厳しい言葉を入れることもありますが、相手を思いやる気持ちがあってこその言葉と捉え、受け止めていただきたいです。 ※質問の答えについて、話の大筋は変えませんが、投稿してから誤字脱字を直したり、内容をよりわかりやすくするため、若干加筆修正することがあります。ご了承ください。 ※「お礼」は必ず拝読していますが、それに対して回答の追記は原則しないことにしています。ご了承ください。 ・回答する件数は減っていますが、ほぼ全ての質問とつぶやきに目を通しています。
話すのが苦手なので、原則不可とさせていただいています。どうしても!という場合は運営さんに問い合わせてみてね。

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