他人は変えられない
「他人は変えられない、自分なら変えられる」
この言葉が私にはポジティブにとらえられません。
これまでそういう局面がたくさんあって、理不尽に思いながらも自分を変えてきました。でもそれは、ものすごくストレスになります。相手が悪いのに、変わらなければならないのは相手なのに、何で私がまた変化しなきゃならない?それでもまた、変化しなきゃならない局面が訪れます。
終いには自己否定的な思考にリンクします。
鬱にもなりました。
自然と死に方を考えたこともありました。
あの言葉は私にとって負の言葉です。
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
怨みには徳を以て報いる
"この言葉が私にはポジティブにとらえられません"
そうですか。まぁ気持ちはわからないでもありません。
では、言い方を変えてみてはいかがでしょうか。
『人間醜には、人間美を以て対応する』
相手に迎合して媚びるのではなく、あなたの人徳で応じてみてはいかがでしょうか?相手が品性下劣であればあるほど、きっとあなたの身に備わった人徳がその真価を発揮することでしょう。
相手の品性下劣な振る舞いに、怒りに任せてあなたもそこに乗っかれば、あなたも品性下劣な人間としてわざわざ人格を下げる事に繋がります。人格のない者同士が敵対すれば、事態がこじれること間違いなしです。第三者の眼から見て、馬と鹿の喧嘩ほどみっともないものはないものです。
ですから、相手を往なすにも躱すにもやり込めるにしても、結局は自分自身の徳が磨かれていなければできないというわけです。
「他人は変えられない、自分なら変えられる」とは、おおよそそんな意味が込められているのではないかと私は思います。
仏法に磨かれ鍛えられ育てられて、もうワンランク上の対応力を身に付けたいものですね。
質問者からのお礼
対応力、身に付けたいです。
身に付けた頃に寿命が来るかもしれません。
生きるとは難しいものです。
ありがとうございました。