自分は自分、人は人という考えは間違っていますか
お忙しいところ失礼致します。いつもお坊さんのご回答にすごく助けられています。
職場での出来事なのですが、先日自分の陰口を叩かれているところに運悪く遭遇してしまいました。職場がシフト制なのですがその日は普段よりも人が少なくて朝から仕事は山積みな状態でした。私としては「こんな時だからこそ頑張らないと」と思い自分の所属している部署のリーダーから指示を聞きその通りに動こうとしていたつもりでした。ですが、「リーダーは別の作業しているところも人が少ないし他にできる奴もいないから」とすぐに別の応援へ向かってしまい誰も指示を与える人がいなくなってしまいました。
仕方がないのでいつもの通りに動こうと自分で考え自分の仕事が終わって少し時間が余ったのでリーダーに聞きに行ったら私も応援にいってほしいと言われたので応援にいったのですが、滅多に応援にいかないところだったのでその場所での勝手がわからなく分かっていそうな方(女性)に聞いてみたのですが聞き方が悪かったのかきつく当たられてしまいました。
休憩時間も被ってしまっていて、延々と聞こえるような大きな声で悪口を叩かれてしまい、ロッカールームで着替えていたら廊下でその人と別の人がわたしの陰口を言っているのが聞こえました。
それからというもの、どうしても仕事にも支障をきたすほど気にしてしまい、自己嫌悪してしまうようになってしまいました。あまり気にし過ぎてしまってもしょうがない、私は私だとか、人の悪口を平気で言いふらすような人間にはなりたくないと思い自分で自分を励まそうと努力はしているのですが忘れたいのにフラッシュバックしてしまうしもう、本当にどう答えを出したらいいのかわからなくなってしまいました。
どうして人間は集団になるとあのようにまで残酷なまでに強気になれるのでしょうか。
気にしてしまう自分も自分で許せないですし、大人な対応を取れなくてうまく立ち回りできなかった自分も悔しくて悔しくてたまりません。
その人とはこれからも同じ仕事に就いている以上違う部署とはいえ顔を合わせなければなりません。
苦手な人と顔を合わせた時の対処法というか、このような依然と何も変わらない自分にどうか喝を入れていただけないでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
❝天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)❞
〈どうして人間は集団になるとあのようにまで残酷なまでに強気になれるのでしょうか〉・・・そうですね、酷いですね。
お釈迦様は生まれてすぐ、七歩歩いて右手で天を左手で地を指さして「天上天下唯我独尊」とおっしゃったと伝えられています。あくまで伝説で、実際には有り得ませんが・・・。
しかし、これはお釈迦様のお考えの「出発点・原点」ともいうべきものです。「天にも地にも唯我独り尊し=この宇宙において、人は誰でも自分が一番尊い(可愛い)」ということです。
偶々いつもと違う部署に行って、教えてもらおうとしただけなのに・・・、「何でそこまで言われんといかんの!」と腹も立ち、苦しい気持ちで毎日勤める事がイヤになっているのでしょうね・・・。
その人も、仕事が忙しく、イライラしてたのでしょう。そのストレスをあなたにぶつけて、いつまでも「悪口」を言っているのだと思います。要するに「自分が可愛い」分、他人に冷たいのです。
しかし、人は程度の差はあれ、みんな「自分が可愛い」と思っているのだよ、というのがお釈迦様の教えです。だからこそ、お互い少しづつガマンをして、相手を「思いやり」なさい、と教えておられるのです。
結論・・・その人も「可哀そうな人なんだ」と「余裕」をもって、「哀れみ・慈しむ」心で、ジット見てあげましょう・・・。中々難しいですが、冷静に観察している内に、その人が他の人々からどう思われているかも、見えてくるはずです。顔を合わせたり、いやな目にあった時、心の中で「天上天下唯我独尊」「天上天下唯我独尊」・・・と繰り返して下さい。きっとストレスも和らいでいるはずです・・・(笑)。合掌
質問者からのお礼
遅くなってしまい申し訳ありません。
ご回答、大変ためになりました。
聞いていただけただけで心が軽くなりました。
本当にありがとうございました。