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突然死した魂

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夫は突然死でした。

人は突然亡くなると自分が死んだことに気づかないと聞いたことがあります。

夫はきちんと死を理解して旅立つ準備が出来ているのでしょうか。

もし理解出来てないとすれば何をしてあげれば良いのでしょうか。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたがしっかり生きていく事

「人は突然亡くなると自分が死んだことに気づかない」という事はまず絶対にありません。
突然死んだことがある経験者が誰一人としていないからです。
「私は突然死した人間ですが、突然死んでしまったので自分が死んだことを気づけませんでした」という死者からの報告があったのでしょうか。そんなわけないですよね。
臨死体験と呼ばれるものがありますが、それも本質的には死んでいない状態ですから夢です。
本当に旅立つのは、ご主人ではなくあなたです。あなたが仏道に旅立つこと無しに、愛別離苦からの救われはありません。
あなたが無くなったご主人が今どうしているだろうか、苦しんでいないだろうか、という思惑に陥ってしまって結果的にご自身の人生を暗くしてしまっている。
悲しいことです。本当に悲しいことですが、人生は自分のこの命を生きること以外にないのです。
思いの中で浸り続けて、いたずらに説きを虚しく過ごす。悩む。苦しむ。悲しむ。周りの人の元気も奪っていく。そういう生き方から離れていく事が仏教であり、仏道なのです。
あなたがしてあげることとは、あなたがしっかり生きる事。
ご主人亡き後もしっかり強く、生きる事。
それ以外にご主人がお喜びになる事はありません。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

旦那さまを亡くされて、お辛いことでしょう。

まず、旦那様がさまようということはありませんので、ご安心ください。

旦那さまを亡くされたことにより、まだあなたの心は落ち着かない状況なのだとお察しします。
落ち着いた心で生活をするには、それなりの時間がかかると思います。
娘さんの成長をきっと旦那様も願っていることでしょう。一日一日、目の前のことを行じ、お子さんとともに健康な生活を送ることができるようお祈りいたしております。

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おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

いつまでも忘れない

もみいぶさん、はじめまして。

御主人を突然に亡くされたとのこと。突然のことで気持ちの整理がつかずにおられることでしょう。お悔やみ申し上げます。

さて、もみいぶさんは、御主人は自分の死を理解して旅立っていったのかどうかを心配しておられるのですね。
故人が自らの死を理解するのは、遺族が供養をしている姿を見ているからだと言われます。もみいぶさんをはじめ、御主人と懇意であった方々が故人の死を悼む姿を見て、御主人は自らの死を理解していきます。

つまり、もみいぶさんが御主人の供養を続け、御主人のことを忘れないことが大切なのです。

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徳島県の高野山真言宗寺院で住職をしています。 本山布教師心得として自坊の月例法話の他に、地域の出張法話の依頼もあります。 出張法話で寺のある地域の特産品「梨」を紹介するので、「梨のおじゅっさん」として有名になりました。 ホームページ http://houwa-kanonji.com/

質問者からのお礼

回答ありがとうございます。
毎日どうしようもない哀しみにもがき苦しんでいます。
夫は自分の状況を把握しているとのコトですので、そこは安心しました。
未だに気配を感じることもなく寂しさは募るばかりです。
またご相談することがあるかもしれません。
その時はよろしくお願いします。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ