「死にたい」という言葉に囚われています
本当に死にたいわけではないのに、何に対しても「死にたい」って思ってしまいます。
例えば後悔した記憶や恥ずかしかった記憶を思い返しては「なんであんなことをしたんだろう死にたい、死ねばいいのに」って考えてしまったり、楽しい事があっても「私なんかが楽しんでいるなんて許されないから死にたい」と、そういう風に考えたり口に出す癖みたいなものが昔からあるのですがここ数年それがとても酷くなってきて、どうしたらいいのかわからずにいます。
酷くなった引き金は、生きがいだった愛猫が病気で亡くなってしまい、再就職に失敗したからです。現状実家暮らしのフリーターな事もあり自分への失望感や負い目が酷く他人との関わりも極力避けるようになりました。
自分が落ち込んだり悲しんでいると心配してくれる家族がいます。楽しいと感じることも嬉しいと感じることもこれからやりたいこともあったと思います。
でもすべてが「死にたい」という言葉に直結してしまって、酷い息苦しさと八方ふさがりのような、生きにくさみたいなものに囚われています。死以外に道はないぞと自分自身で言いきかせているようで怖いです。
どうしたらこのような気持ちに囚われず前向きに生きていけるのでしょうか。ご意見聞かせて頂けたら幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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生きる夢を持て!
よねさん、こんにちは。
死にたい気持ちが沸いてくるのですね。当然ですよ。いつでも死にたいという気持ちを繰り返してきたのですから、脳が誤ったを学習してしまい、「辛いこと→死にたい」のルーチン化キーワードになっているのです。
まず大切なのは脳を「死にたい」キーワードから外す事。簡単な方法は思ったら言葉で「有難い」と打ち消してください。言葉に出すことが大切です。言霊です。感謝できる心の修行、「有難い」100万編です。毎日「有難い」をつぶやく練習を1年間続けると、脳が「有難い」を学習し、何でも有難い気持ちになってくるのです。そのアドバイスをして心を前向きになった人たくさんいますよ。
まずは楽しくなる趣味を持ちましょう。本当は身体を動かすスポーツが心身の改善には一番いいです。直接スポーツが苦手であれば、散歩でもいいのですよ。せっかくハスノハにご縁になったのですから、お寺めぐりはどうですか?埼玉は良いお寺がたくさんあります。私が出家したのは川越なんですよ。月3ぐらいで東京・埼玉に行きますので、一緒に巡りますか?(笑)。
外にでましょう。そして明るい生活を心かげましょう!それだけで人生は開けます。いつでも相談してくださいね。応援します!合掌
プラス一言追加で終える。
「死にたい」と口や頭でつぶやいた時には、その後に「でも死ーなないっ!」と上がってつけ加えましょう。
死なないと言ったら、脳が死なない理由を勝手に考えてくれるかもしれません。
なお、本気で死にたい気持ちが何日も続く場合は、「うつ」の可能性がありますので、医療機関やカウンセラー等に相談してみてくださいね。
質問者からのお礼
お忙しい中ご回答ありがとうございます。誰にも言えずずっと苦しかったので、読んで頂いて回答まで頂けてそれだけでもとてもありがたかったです。
染川智勇様
お寺巡り、素敵ですね。家に引きこもるようになっていたので、外に出るような趣味も見つけられたらと思います。少しずつでも「有難い、ありがとう」を言葉に出していけたらと思います。ありがとうございます。
願誉浄史様
自ら死にたいって気持ちをもっと軽く否定してあげなければいけませんね。
医療機関やカウンセラーへの相談も少し考えてみます。ありがとうございます。