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輪廻から解脱する必要はあるのでしょうか?

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仏教について学んでいてふと疑問を感じてしまいました。
仏教そのものは正しいのですが、仏教の最終目的とされる輪廻からの解脱は本当にいいものでしょうか?

私は地位も名誉もお金も何もありませんが幸せです。
理論的には不幸な人がいるというのはわかります。
しかしながら、幸せが一切ない人というのはまれだと思います。
持っていない不幸を嘆くのではなく、持っている幸福を喜ぶべきです。

また、皆で助ければよいと思うのです。
そういった考えから輪廻は苦しみの元であり解脱するべきだという部分に疑問を感じました。

この世界は幸せに満ちているのだから、逆に輪廻は人に与えられた最高の幸せともいえるのではないでしょうか?
永遠に輪廻転生するのであれば、輪廻するこの世界をもっと幸せに満ちたものにすれば天国を永遠に繰り返すことになります。

その行為を無限に続ければ、それは苦しみではなく楽しか生みません。
その天国から解脱する必要はあるのでしょうか?

どうしてもわかりません。
無知なる私を導いて下さい。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

その輪廻とやらはどこにありますか?

すでに解脱していることを覚することが輪廻からの解脱です。
世間の仏教者のいうところのん輪廻とは想像の世界の輪廻です。
何処に解脱すべき輪廻というものがあるのでしょうか。
あるとすれば怒ったり、苦しんだり、愚かな事したり、悩んだり、浮かれて有頂天になったりを繰り返す、精神の六道輪廻からの解脱以外ありません。
皆輪廻というと絵空事の外のことを想像する。
アリもしないことを人の言葉に依って洗脳され、輪廻らしいものがあるんじゃないかと思い込む。
仏教者といっても、そういうことを知らないと、思想の虜になる。
神話の世界がどこかに本当にあるかのように思い込んでいる精神状態ではないでしょうか。
そういう思想輪廻からあなたはもう救われました。
後は、悩み苦しみからの解脱に勤めてください。
六道という精神世界の輪廻から、一歩踏み出して、目の前の事実を思考フィルターを通さず明らかに生きることが仏道です。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

本当に満足したら自然に解脱するのかも

食べることに満足した人は食べるのを止めます。
眠ることに満足した人は眠るのをやめて起きます。
では、生きることに本当に満足したら?
生きる必要がなくなり、生きることから解脱するのではないでしょうか。

幸せも味わいつくしてもう充分に生きた、と思えたら、自然に解脱してしまうのかも。
一方で、阿弥陀仏の誓い(本願)のように、他人を救うためにあえて涅槃に入らないぞ、と前もって誓っておく思想もあります。
誓わずに悟ってしまったら、ついうっかり涅槃に入ってしまうかもしれないので。(笑)

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

概ねよいかと

ただし仏教の目的、すなわち人間の成すべきことは時代により異なります。
仏様が仰るには今の時代を生きる僕たちが成すべきことは他に浄土を求めるのではなく
今の苦難に堪え忍ぶことだと。それが今の僕たちに宛てられた仏教の目的なのです。
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あなたが仰る通り。
その証拠として
妙法蓮華経如来寿量品第十六に
「我此土安穏(がしどあんのん)天人常充満(てんにんじょうじゅうまん)」
とお釈迦様が説いています。
我が此の土は安穏にして、天人常に充満せり、と。
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輪廻解脱せずとも、実はこの世が浄土なんだと。仏の眼からみたらこの世は浄土なんだ、天人が常に充満した素晴らしい寂光土なんだと。
あなたが仰るところの「助け合う仲間」です。
ところが心が曇ったものはこの世を穢土(えど:汚れた世界)としか観ないから、それが苦しみの原因となって
この世の本当の姿が観えなくなりイタズラに輪廻解脱という雲にすがろうとするのだと。
お釈迦様はこのように仰っています。

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「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

解脱する必要があるか否かはあなた次第

今生きている世界で、もし、怒りや嫉妬、不安などの苦しみを抱えていて、そこから逃れたいと思うのであれば、解脱を求めるべきでしょう。

わたしは、生きているうちにそうした救われた道に到達したお釈迦さまと同じ、解脱を求めるものが仏教だと考えます。

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個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

質問者からのお礼

邦元様
有り難きお言葉有難うございます。
人によるのですね。
確かに苦しむ人々は解脱するべきですね。
仏教の温かさを感じました。

丹下 覚元様
温かくご教授頂き有難うございます。
輪廻というものがよくわかりました。
次の解脱に向け精進をします。

願誉浄史様
新しい視点での輪廻解脱を教えていただきありがとうございます。
自然現象として輪廻と解脱を捉えると違った側面が見えて驚嘆しました。

四次元 法華塔様
仏教の目的を教えていただきありがとうございます。
諸行無常 と考えると目的すら変化する。
仏教の柔軟さを垣間見た気がします。
近い将来、法華経を読もうと思っております。
お釈迦さまの偉大さを再度感じました。

皆様の有り難いお言葉を聞き、仏教はお釈迦さまを中心としたビッグバンだと感じました。
仏法を学んだ方たちがそれぞれの真理を説いて下さる。
その仏教の奥深さ、多様さ、正しさ、温かさ・・・ただただ感激しました。
私は色々な学問を学びましたが、これほど素晴らしい学問はないと思いました。
仏教を悟ったお釈迦様は本当に偉大な方です。
それに、その教えを実践し続ける仏道の方々も尊い人だと感じました。
仏教の教えに出会えたことを仏様に感謝し、修行を続けていこうと固く思いました。

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