曹洞宗 托鉢について
昨年得度した曹洞宗上座でございます。
私は、安居までの娑婆暮らしの間、自己研鑽の為に月に二度程托鉢に出ております。托鉢の次第や作法等はよくお世話になっている和尚に教えて頂いているのですが、なんとなしに前日托鉢をしていて気になったことがございます。
何処の宗派ともない袈裟を身に付け托鉢に似せた者が金銭を乞い(この中に万が一にも"私度僧"の意志で修されている方がいれば大変失礼な表現なのですが)、世間での托鉢僧の印象を下げている中、例えば宗門の袈裟を被著している血脈ある僧侶の托鉢というものは素人目には前者と同じものに見えます。これは時に「軽犯罪法の乞食」として警察の方に所謂職務上質問等を受けることはあるのでしょうか?私は托鉢の最中、何度か警察の方とお会いしてことはございますし、警察署の前を通ることもございますが、そういった経験はありません。ですが警察の方も個人それぞれの仕事の仕方をされてるでしょうから、或いはそういったことも有るものかな、とふと気にかかった次第でございます。
もし、一人や二人での托鉢で警察の方に声を掛けられたことがあるという師がいらっしゃいましたら、そのお話を聞かせて頂けたら嬉しいです。宜しくお願い致します。
合掌
一般家庭に生まれ、10代の終わりに曹洞宗にて出家。 一般職と納僧職を兼業する繰り返しを経て、現在は関東の田舎にある檀家100件足らずの小さなお寺に身を置き、副住職まがいのことをしております。 とは雖も、法要随喜や派遣法務のほか、托鉢や坐禅会の指導、各地の師家への拝登などで各地を転々としており、年間の殆どを寄る辺のない立場で過ごしております。 現在は特に澤木興道老師、内山興正老師らの提唱する禅を軸にしております。
煩悩とは「煩わしい悩み」と書きます。 足ることを知り、心身脱落することこそが、煩しい悩みを手放す特効薬ではないでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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修行をするのにそんなこと考える必要ないのでは
本当に自己研鑽であるなら、人の行動にどうこう言う前に、ますば自分自身の修行をさしっかりやることです。
警察官はいちいちそんなこと言ってこないでしょう。職質されても問題ないですし。
托鉢により何かを得ようとか、これだけやってるから偉いとか、偽物の僧侶がいるだとか、そんなことはどうでもいいこと、あなたはこれから自分自身を学び極めるのです。
互いに修行、頑張りましょう。
質問者からのお礼
ご解答ありがとうございます。
托鉢の間には、心身共に三衣一鉢であるように邁進致します。
余計なことを考えては、心身脱落どころではありませんね。
吉祥吉祥大吉祥。