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曹洞宗 托鉢について

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有り難し有り難し 18

昨年得度した曹洞宗上座でございます。

私は、安居までの娑婆暮らしの間、自己研鑽の為に月に二度程托鉢に出ております。托鉢の次第や作法等はよくお世話になっている和尚に教えて頂いているのですが、なんとなしに前日托鉢をしていて気になったことがございます。

何処の宗派ともない袈裟を身に付け托鉢に似せた者が金銭を乞い(この中に万が一にも"私度僧"の意志で修されている方がいれば大変失礼な表現なのですが)、世間での托鉢僧の印象を下げている中、例えば宗門の袈裟を被著している血脈ある僧侶の托鉢というものは素人目には前者と同じものに見えます。これは時に「軽犯罪法の乞食」として警察の方に所謂職務上質問等を受けることはあるのでしょうか?私は托鉢の最中、何度か警察の方とお会いしてことはございますし、警察署の前を通ることもございますが、そういった経験はありません。ですが警察の方も個人それぞれの仕事の仕方をされてるでしょうから、或いはそういったことも有るものかな、とふと気にかかった次第でございます。

もし、一人や二人での托鉢で警察の方に声を掛けられたことがあるという師がいらっしゃいましたら、そのお話を聞かせて頂けたら嬉しいです。宜しくお願い致します。
         
                  合掌


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

修行をするのにそんなこと考える必要ないのでは

本当に自己研鑽であるなら、人の行動にどうこう言う前に、ますば自分自身の修行をさしっかりやることです。
警察官はいちいちそんなこと言ってこないでしょう。職質されても問題ないですし。
托鉢により何かを得ようとか、これだけやってるから偉いとか、偽物の僧侶がいるだとか、そんなことはどうでもいいこと、あなたはこれから自分自身を学び極めるのです。
互いに修行、頑張りましょう。

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禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺副住職。 悩みを吐き出す事で、ちょ...

質問者からのお礼

ご解答ありがとうございます。
托鉢の間には、心身共に三衣一鉢であるように邁進致します。
余計なことを考えては、心身脱落どころではありませんね。
吉祥吉祥大吉祥。

「お坊さんのお悩みにお坊さんがお応え」問答一覧

【高野山真言宗】亡僧位牌の書き方

曹洞宗僧侶です。 真言宗、特に高野山真言宗の先生にお伺いしたいことがございます。 先月、10年以上、日々托鉢と托鉢行で縁のあった方のご法務のみで、如法に生活されていた高野山真言宗の僧侶が遷化されました。(この話でどなたかお分かりの方もおられるかもしれませんが、詮索はされないようお願い致します) 私も現在、お寺に身を置き法務を主軸に生活はしているものの、暇があっては托鉢は極力欠かさぬよう行っておりますが、今日そのように行乞に歩めるのは、その真言宗の先生が、托鉢の先達として現代社会での(道場ではなく個人での)托鉢の在り方を、言葉や姿勢で示して下さったからこそにあると思っております。 件の先生とは、私が托鉢を始めてから間もなくご縁があり、以来、宗派こそ違えど同じ托鉢を行う比丘として垣根なく接して下さりました。 その先生なくしては、私は今日まで托鉢を継続することは出来なかったことでしょう。 その報恩感謝を示したく、遷化より四十九日に当たる日に件の先生が托鉢されていた地にて、ささやかながら亡僧諷経をお勤めさせていただこうと予定してております。 そこでなのですが、当日はその先生のお位牌をご用意し、お経をお勤め致したく考えておるのですが、真言宗の亡僧位牌の書き方が分からず、真言宗の先生方にそのご教示を頂きたいのです。 曹洞宗の場合ですと上から「【〇〇第〇世比丘(住持職の場合)】【道号】【法名】【僧階】」となりますが、今回は【道号】に当たる部分は分からず【僧階】についても、以前僧籍簿の写しは拝見したことがあるのですが、正確な僧階が分からない為(一応、住持職に付ける最低限の僧階とは仰ていました)、遷化された真言宗の先生に対する適宜な尊称にて代えさせて頂ければと思うのですが、どのような尊称が相応しいと思われますでしょうか。 周囲の高野山真言宗の先生方にもお伺いしようと考えておりますが、これは同じ宗派でも地域や法流によって様々であるかと思われますので、ひとつでも多く参考になるご教示があれば幸甚でございます。 何卒宜しくお願い申し上げます。 合掌九拜。

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坊さんなのにこれからの将来が見えない

実家が寺で、仏教系の大学に通っている僧侶見習いです。 僧侶が社会システムにおいて必要とされる意義が「人に仮初の夢を見せて心のケアをする」以外しか見いだせなくてこれからの将来に絶望しています。 僧侶は、昔みたいに医者の代わりや教員の代わりをする訳でもなく、月回向や葬儀関連で人々の心を慰めるくらいしかしていません。 僧侶が利益(りえき)を得ることを人々は否定します。実際、聖職であるが故に本来は金銭を対価に何かをするというのはあまりに俗に塗れているような気がします。布施はそれ自体が神聖なものであることは分かっています。 しかし結局のところ、(観光という商売をしている寺は除いて)寺やそこにある僧侶という存在は「嘘をついて金を檀家さんや信者さんから貰う」ものに過ぎないのではないか?と思ってしまっているのです。 道徳を説くならそれはカウンセラーでも哲学者でも構わないわけです。 では僧侶が持つ他とは違うアイデンティティとは何かと言ってしまえば「仏教という仏になる為の指針」なのですが、結局のところ今の今まで人の身で完全に釈尊(応身)と同じステージに立った者もいない訳で。 本当に仏となることが出来るかも分からない教え、しかも数多の偽典があるであろう経典の内容を引いてきて、悩める人々に滔々とそれを説く。自分の中ではこれから自分がなる僧侶という職は、そんなもののように思えてしまいます。 私よりも遥かに経験を積み、たくさんの経典を読んだここにいらっしゃるお坊さんの方々に、私の悩みをただ、聞いて欲しいです。そして願わくは、自分の中の仏教に対する、僧侶に対する悪感情を解く何かを教えて欲しいです。 散文的になってしまい、申し訳ありません。宜しくお願いします。

有り難し有り難し 103
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師僧との関係と僧籍について。

この分野には詳しくありませんので、恥ずかしながら諸大徳にご相談致します。 私の師僧(60代独身)についてなのですが、元々精神的な問題を抱えている人で、感情が高ぶると御葬儀の場やお法事の席でも大声で叫んだり、真言宗の住職でありながら真言宗や弘法大師を否定してカルト宗教に入ったり、お檀家さんや周辺とも何かとトラブルが絶えない人なのですが、数年前師僧の母親が怪我で入院した頃からさらに言動がおかしくなり、私にも「これからは毎日8時間無料で留守番しに来なさい。」等々無理難題を言ってくるようになりました。 それまでも師が母親を病院に連れていく日などには勿論留守番やお手伝いにはこちらから行っていたのですが、それで何を勘違いしたのかだんだんと要求がエスカレートしてきた状態です。 ちなみに私はお寺に雇われているわけではなく、役僧でも内弟子でもありません。 2,3か月に一度御葬儀の助法をする程度なので、普段は他の仕事で生計を立てており「私も生活があるのでさすがに毎日無料奉仕というわけには・・・」とやんわりお断りしたところ激昂されてしまい、「そんな薄情な事を言うなら師弟関係を解消させてもらう!!」と怒鳴られ師弟関係を人質に度々大した必要性もないような用事などに呼び出されております。 近所に買い物に行くだけのほんの数十分程度の外出にも留守番に呼び出されるので、仕事場からも「そんなにしょっちゅう休むんなら辞めてほしい。」と通告され、年齢的にもかなり厳しい状況です。 その旨を師に伝えても「弟子が師匠のために多少の犠牲になるのは当然の事だ。」等々しれっと言うので最早信頼などとてもできませんが、それでも在家から苦労して20数年なんとか必死の思いで続けてきた僧籍だけは消したくないと思い、ギリギリまで我慢してきましたがこれ以上の師の要求はとても受け入れられず、離弟(僧籍削除)してもらうしかないかと覚悟しております。 総代会も30年余りの間に正式に開かれたことはほとんど無い状態で、相談してもどうにもならない状態です。 そこで離弟する(僧籍が無くなる)ことでどういったデメリットや僧侶としての行動に制限が出てくるのか、師僧が無くてもできることはあるのか等、様々なパターンについてお詳しい方がいらっしゃいましたら御教示いただきたく思います。

有り難し有り難し 29
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住職同士の結婚と生きる意味

はじめまして。 自身もお坊さん(住職)なのですが、悩んで悩んでこちらに投稿させていただくことにしました。 お寺に生まれ育ち、一般企業への就職を経て、僧侶とならせていただきました。長女ということもあり、跡取りの第一候補です。 ですが、「この人なら」と思えたパートナーもまた住職&遠距離に自坊があり、そのままでは結婚が難しい状況です。 幸いにも互いの両親に理解があり、それぞれのお寺をうまく運営する方法さえ見つかればというところなのですが、考えても考えてもうまい着地点が見つからず、時々諦めそうになってしまいます。 実はこれまでにも、わたしがお寺の跡継ぎということが原因で他の方と結婚が破断になったことが2回あります。また、年齢のことからも出産を急ぎたく焦る気持ちもある中で、なんのために息をするのか、生きる意味がわからなくなってきてしまいました。 お相手方のお寺は自坊よりも大きいこと、かつ、わたしの両親は自身にお寺を継いで欲しい気持ちが強いことから、私自身が双方のお寺を行き来する形で考えていたものの、それも難しそうです。 わたしの両親は、私自身のしあわせよりも、今日までのお寺を維持してきた自分たちの苦労が血縁者に受け継がれることの方が大切なんだろうなという発言もあり、心がポキっと折れてしまいました。 最近では徐々に御教えもありがたいと思えなくなってきてしまい、板挟みになって涙が止まらなくなってきています。 こんな私ではだめなんだろうな、でも今度こそはこの人と一緒にいたいだけなのにな、という思いではりさけそうです。 死にたいの単語ばかりよぎってしまいます。 お寺を捨てたいわけじゃない。 でも、自分の幸せはどこにあるんだろう。 どうかこの先のヒントだけでもいただけると嬉しいです。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 18
回答数回答 1

師匠との関係

お上人方にご相談です 私自身は、寺の長男一人っ子として生まれで父が実父であり師匠となっています 父は、都会の檀家1000件の大きなお寺の三男として生まれ、修行はどこへも行っていません。人の紹介があって、今のお寺(地方寺院、檀家200件)に婿にきて私が生まれました。 先代(私の祖父)はもう20年前に亡くなり、父が新住職として主導しております。 私は、幼い頃から父とは親子仲はよくなく、高校卒業と共に大本山の小僧として入り、その後、父から「うちにはお前の給与はだせないから、他で勤めなさい」と言われ、昨年末まで都会のお寺で勤めさせて頂きながら、そこのご老僧に配慮を頂き宗門の修行はすべていくことができました。(費用は寺から出なく自費で出だしてきました) 昨年末、勤め先のお寺もご老僧から若上人へ代が変わり私も仕事が無くなり、言わば退職となり、自分の年と両親の年など考え、正月から実家の寺に戻りました。 僧侶となってはじめて、師匠と一つ屋根の下で暮らし始め、いろいろ気づくことが増えてきました。 1、お寺のお金をおよそお寺の活動とはほど遠い趣味の分野としてお金を使っていること 2、お経を法事葬儀以外朝夕のお経などを一切あげない、本堂にすらはいらないこと 3、風俗へ通っていること 4、母への暴言 5、私には仕事はさせないこと(することもないので、自費でゴミ袋と箒を買って掃除をします。それも嫌な顔をされます) 6、給与は月に50000円頂いています(食事は三食寺で頂き、寝るところは幼少の時の部屋があります) お寺には貯蓄はなく、借入金もあるそうです。(総代さん曰く) 親子とは言え、出家した時点で親子でなく子弟であり、僧侶として師匠と弟子との関係は絶対であるという認識でいます。しかし、上記の理由など疑問に思うことが多くここのところ悩んでいます。 師匠の僧侶としてのあり方に異を唱えることは果たしていいことなのか? それとも、黙って反面教師としてでも仕えるということが進みべき道なのか葛藤しています。 ことあるごとに、「だれがここを継いでもいい」と後継はお前で無くともということをちらつかせています。今まで一度も反論したことはありません。 恥ずかしい話し、仲間にも顔を合わせて聞けずにいます。 どうすべきなのでしょうか?

有り難し有り難し 16
回答数回答 2

師僧との関係

こちらに書き込むかどうかで逡巡しましたが、意を決して記すことにしました。ご教示下さい。長文になりますことをご容赦願います。 師僧との関係で悩んでいます。 お寺には師僧と私の2人です。先輩や事務員もいましたがそれぞれ辞めました。 私は前職も宗教関係だったのですが、物足らなさを感じて道を求めていたところ求人で現職のお寺を発見し応募しました。 足腰が少し悪く、過去につらいことがあり長く闘病していた期間があることが不安で、例えば学校などに行く勇気と経済的余裕はありませんでした。またいささか年齢も余裕がありません。 そういった事も踏まえた上で即採用でしたのでとても嬉しかったのです。当時は泣きました。 しかし先輩が辞めてからというもの法事や通夜やお彼岸のお参りほぼ私が行くようになりました。加行をしながらでしたので休みはなく、数回軽度の自損事故もしました。車は持ち込みなので自費で直しました。 一番つらいのは何かあると全て私のせいにされることです。お布施が合わないと言われ私が盗んだかのように言われました。結局お布施は数え間違いだったのですがそれから言及はありません。 先日は寺務所から机がなくなりました。修行僧に机はいらないとのことでした。ですが私しか事務をするものはいません。 私はお寺がとても好きです。知識も足りずあまり真面目な性格でもありませんし、俗っぽい人間ですが仏教が好きで、話や檀家さんとの付き合いも大好きですし得意なつもりです。 しかしながら師僧との関係に悩んでいます。周りに僧侶がいないため孤独です。修行とはこんなもんだ、お寺とはそんなもんだということなのでしょうか。 小さい頃から誰かに都合よく使われることばかりの人生だったので萎縮してしまい、唯一の希望であった道がこのような感じで絶望にくれています。支えてくれる人がいますが、自死すら頭によぎることがあります。 なんとか加行を終えましたがそのあとの沙汰はありません。なので辞めることも出来ません。耳に挟んだところによるとこのような行では他では通用しないとも聞きました。 とりとめなく書き連ねましたが、一体私はどうしたら良いのでしょうか。私自身は好きなこと得意なことで身を立てるのがこの形で生を受けた意味だと考えていますが、この道は諦めるべきなのでしょうか?

有り難し有り難し 36
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