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知識欲も煩悩ですか?

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有り難し有り難し 77

いつもお世話になっております。
この度は、修行をする中で悩ましい問題が発生したので相談することにしました。

私は欲らしいものを持ちません。
お金も地位も名誉も何も興味を持てません。
しかしどうしても抑えきれない欲があります。
それは「知識欲」です。

幼い時から理由もなく知りたいという気持ちが収まりません。
一度疑問に思ったらとことん調べ、
答えがないときは自分で発明してまで突き止めてしまいます。

仏教を知る前は気にならなかったのですが、
仏教を知った今ではそれは煩悩なのかと悩むようになりました。

技術職を生業としているので知識欲がなければ務まりません。
かといって煩悩ならば捨て去るか、
コントロールするべきだと仏教は言っているように思えます。

どのように考えるべきなのでしょうか?
どうか智慧を授けてください。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

どのような欲も「自利即利他」が基本。

亀山純史と申します。
どのような欲も、それが自己満足で終わるものであるならば、煩悩でしょう。仏教は「自利即利他」の教えです。知識を習得しても、それを自分の中での満足感で終えてしまう、または他人に「自分はこれだけのことを知っているんだ。」などとひけらかすようでは、その知識欲は煩悩と言えると思います。それに対して、あなたが得た知識によってあなた自身が変わり、それが他人に良い影響を与えることができる、またはあなたが得た知識が、直接他人に良い影響をあたえることが出来れば、それは仏教の見方からすれば、素晴らしいことだと思います。
お釈迦様は35歳で悟りを開かれましたが、お釈迦様が偉大なのは、ただ単に悟りを開かれた(「自利」)だけでなく、その後の人生が伝道の人生(「利他」)であったからだと私は思っています。そして、知識欲もまた然りだと考えています。
以上が私からの回答です。少しでもお役に立てれば幸いです。

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質問者からのお礼

亀山純史様
智慧を授けて頂き有難うございます。
私は子供と一緒で、知識を得たら満足して終わりになっていました。
これからは、自分が得た知識で、他者にどのような良い影響を与えられるかを考えます。

邦元様
教えていただきありがとうございます。
煩悩は悪いものだと思い込んでいました。
今後は「自分とは何か」についての答えを求めて生きたいと思います。

四次元 法華塔様
力強いお言葉を頂きありがとうございます。
大欲という言葉を初めて知りました。
煩悩=悪だと思い込んでいたので違う事を知りスッキリしました。

「煩悩」問答一覧

自分の煩悩について考えました。

3月に21年間お世話になった実家を出て同棲を始めて今に至るのですが、同棲相手は金遣いが最悪で自分の貯金は底をつき、元カノを家に呼ぶために私を外へ追いやったりなどがあって、自分はすっかり煩悩の塊のようになってしまったところで、仏教の教えを改めて考えるようになりました。 煩悩をなくすことで人は穏やかな生活を送ることができると説く教えをはじめは「感情を殺すこと」「自己を抑えてうまくやり過ごすこと」と思っていたのですが、ネットや日本史の教科書で仏教について、歴史や自分の宗派である曹洞宗の成り立ちや考え方について知るうちに、「煩悩をなくす」とは煩悩を完全に失くすことではなく、「煩悩と向き合う自分を作ること」だというところに行き着き、自分のためにというのはもちろんなのですが、自分に関わってくれる人たちなど周りに安心や幸せを与えられるということだと思ったのですが、これは実際の仏教の教えとは違うのでしょうか。 今自分は「自分の幸せのため」にあたたかい人間関係を築くことや、自分が心から幸せに思うため、自分をまず見直したいと思っています。 その手始めとして、今ある生活は話だけすると確かに最悪なのですが、それでも楽しくないわけではないので、この同棲生活をより良くしたいと考えていますが、私のこの煩悩についての考え方はまた違うものなのでしょうか。 ご教示よろしくお願いいたします。

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知識欲は煩悩なのでしょうか

私は人文系の学問を勉強している大学生です。私は高校生の時に勉強の面白さに目覚めて以降、現在まで自らの知識欲に任せるままずっと勉強に自分のすべての時間を捧げてきました。とりわけ私が時間を捧げているのは西洋哲学、イスラーム学、近代日本文学そして語学です。  学問というのは恐ろしいもので一つを知ると十の分からないものが現れ、学びたいものは指数関数的に増えていきます。そしてゲームやギャンブルと違って飽きるということも無いのです。私は今まで好きなだけ勉強してよいという学生の特権に任せて非常に幸せな時間を過ごしてきました。しかし、周囲から就職の話がぽつりぽつりと聞こえてくる時期になり、将来を考えるにつけて自分に残された時間のことを考えるようになりました。    まだ数十年の時間が残っているとはいえ就職したら自分の時間はぐっと減るでしょうし、年を取るにつれ記憶力も減衰していってしまうことを考えると残された時間は私が学びたいものを学ぶのはあまりにも短すぎます。自分が「まだ勉強したい」と思い続けながら死んでいくのかと思うとなんとも言えない恐ろしさを感じます。    物欲や色欲といった煩悩なら執着を捨てることもできそうですが、知識欲は同じ「欲」でも他の煩悩とは明らかに違った性質を持っているように感じられます。仏教でも「一切の欲を捨てよ」と説くと同時に、膨大なお経を勉強することはむしろ推奨されるのがその一例かと思います。  しかし、知識欲も人を苦しめるという点では煩悩と同じです。勉強の中で自分の思考の深化と相対化に喜びを感じる時に、これから学びたいことを考えていつも絶望してしまうのです。でもだからといって私には「学ぶことをやめるべきだ」という結論は出せません。「学ぶ」ということは何にもまして崇高で、私にとっては人生の意味そのものです。  私のこの恐怖はどうやって解消すればいいのでしょうか?  仏教を勉強されている皆さんなら欲と学びというジレンマについて考えたことがあるのではないかと思い、このサイトに投稿させていただきました。  長くなってしまいましたが、私からの質問をまとめると以下の2点になります。 ・知識欲は捨て去るべき欲なのか ・知識欲が捨て去るべきでものでないのならば、知識欲からくる苦しみはどうすればなくすことができるのか

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1、これまで出会ったデキル人達は、在家も出家も 男性も女性も 総じてプライドの煩悩も強かった気がします。他を見下している人も多かったです。攻撃的な性格の人も多かったです。 有能、優秀で、実績もあり、容姿も優れ、尚且つプライドの煩悩もない、もしくは平均よりだいぶ少ない人物を ご存知のかたいましたら、ぜひ教えてほしいです。こっそり尊敬してお手本にします。 2、読み物を読む限りは、お釈迦様はプライドが高いように感じられるのですが、皆さんはいかがお感じですか? 実際にはお釈迦様は無上の悟りを得ておられるということは、プライドの煩悩も皆無ですよね? プライドが高いかのように描かれているのは書き手の技量不足によるものですか?  3、プライドの煩悩を弱め、最終的には消すための具体的方法をご存知のかた居ましたら、教えてほしいです。 また、実際にプライドを弱めることに成功した体験者のかたいましたら、ぜひ体験談や修行方法を教わりたいです。私も修行に励みたいです。毎日の八正道の実践は正直難しいなぁと感じていますが、難しいなりに心がけてはいます。私は怠け者なので、正精進するだけでも、プラスの効果を感じております。アドバイスくださったお坊さん、有り難うございました。

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