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知識欲も煩悩ですか?

回答数回答 3
有り難し有り難し 92

いつもお世話になっております。
この度は、修行をする中で悩ましい問題が発生したので相談することにしました。

私は欲らしいものを持ちません。
お金も地位も名誉も何も興味を持てません。
しかしどうしても抑えきれない欲があります。
それは「知識欲」です。

幼い時から理由もなく知りたいという気持ちが収まりません。
一度疑問に思ったらとことん調べ、
答えがないときは自分で発明してまで突き止めてしまいます。

仏教を知る前は気にならなかったのですが、
仏教を知った今ではそれは煩悩なのかと悩むようになりました。

技術職を生業としているので知識欲がなければ務まりません。
かといって煩悩ならば捨て去るか、
コントロールするべきだと仏教は言っているように思えます。

どのように考えるべきなのでしょうか?
どうか智慧を授けてください。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

どのような欲も「自利即利他」が基本。

亀山純史と申します。
どのような欲も、それが自己満足で終わるものであるならば、煩悩でしょう。仏教は「自利即利他」の教えです。知識を習得しても、それを自分の中での満足感で終えてしまう、または他人に「自分はこれだけのことを知っているんだ。」などとひけらかすようでは、その知識欲は煩悩と言えると思います。それに対して、あなたが得た知識によってあなた自身が変わり、それが他人に良い影響を与えることができる、またはあなたが得た知識が、直接他人に良い影響をあたえることが出来れば、それは仏教の見方からすれば、素晴らしいことだと思います。
お釈迦様は35歳で悟りを開かれましたが、お釈迦様が偉大なのは、ただ単に悟りを開かれた(「自利」)だけでなく、その後の人生が伝道の人生(「利他」)であったからだと私は思っています。そして、知識欲もまた然りだと考えています。
以上が私からの回答です。少しでもお役に立てれば幸いです。

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有り難し
おきもち

hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧侶です。令和6年3月に、公立高校の教員を勧奨退職しました。その後、縁あって、令和6年4月からは「まちサポ雫石」というNPO法人のお手伝い、また、令和6年10月からは公立高校の非常勤講師をしています。 浄土真宗における僧侶は、仏さまの教えに生き、その教えを伝える者であり、人を悩みから救う能力を有した者ではありません。人の悩みを救う救いの主は阿弥陀さまです。ですので、hasunohaにおける私の回答では、仏さまの教えに救われているこの私の生き方、考え方を、皆様にお見せするだけです。そして私自身、お答えできるご相談の範囲はそう広くはありませんが、皆様のお役に少しでも立てればと思い、回答させて頂いております。

煩悩であっても悪くはない

煩悩は悪いものだ、と決めつける必要はありません。消さなきゃいけないということもない。
知識を身につけることは、悪いことではないでしょう。しかし、その知識を得る自分のエゴで使っていたら、周りの人とのイザコザが生まれます。

まずは、その学びたいという思いを「自分とは何か」という方向に持っていったらどうでしょう。知識でなく、実践の上で仏道を知る。仏道を学ぶことは自分自身についてはっきりさせること。その先にいままで得てきた知識の使い道がスッキリと見えてくるのでしょう。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

大欲

向上欲、仏道を求める欲
これらは「大欲」といい捨ててはならない欲です。

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有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

質問者からのお礼

亀山純史様
智慧を授けて頂き有難うございます。
私は子供と一緒で、知識を得たら満足して終わりになっていました。
これからは、自分が得た知識で、他者にどのような良い影響を与えられるかを考えます。

邦元様
教えていただきありがとうございます。
煩悩は悪いものだと思い込んでいました。
今後は「自分とは何か」についての答えを求めて生きたいと思います。

四次元 法華塔様
力強いお言葉を頂きありがとうございます。
大欲という言葉を初めて知りました。
煩悩=悪だと思い込んでいたので違う事を知りスッキリしました。

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