hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

知識欲も煩悩ですか?

回答数回答 3
有り難し有り難し 92

いつもお世話になっております。
この度は、修行をする中で悩ましい問題が発生したので相談することにしました。

私は欲らしいものを持ちません。
お金も地位も名誉も何も興味を持てません。
しかしどうしても抑えきれない欲があります。
それは「知識欲」です。

幼い時から理由もなく知りたいという気持ちが収まりません。
一度疑問に思ったらとことん調べ、
答えがないときは自分で発明してまで突き止めてしまいます。

仏教を知る前は気にならなかったのですが、
仏教を知った今ではそれは煩悩なのかと悩むようになりました。

技術職を生業としているので知識欲がなければ務まりません。
かといって煩悩ならば捨て去るか、
コントロールするべきだと仏教は言っているように思えます。

どのように考えるべきなのでしょうか?
どうか智慧を授けてください。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

どのような欲も「自利即利他」が基本。

亀山純史と申します。
どのような欲も、それが自己満足で終わるものであるならば、煩悩でしょう。仏教は「自利即利他」の教えです。知識を習得しても、それを自分の中での満足感で終えてしまう、または他人に「自分はこれだけのことを知っているんだ。」などとひけらかすようでは、その知識欲は煩悩と言えると思います。それに対して、あなたが得た知識によってあなた自身が変わり、それが他人に良い影響を与えることができる、またはあなたが得た知識が、直接他人に良い影響をあたえることが出来れば、それは仏教の見方からすれば、素晴らしいことだと思います。
お釈迦様は35歳で悟りを開かれましたが、お釈迦様が偉大なのは、ただ単に悟りを開かれた(「自利」)だけでなく、その後の人生が伝道の人生(「利他」)であったからだと私は思っています。そして、知識欲もまた然りだと考えています。
以上が私からの回答です。少しでもお役に立てれば幸いです。

{{count}}
有り難し
おきもち

hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...
このお坊さんを応援する

煩悩であっても悪くはない

煩悩は悪いものだ、と決めつける必要はありません。消さなきゃいけないということもない。
知識を身につけることは、悪いことではないでしょう。しかし、その知識を得る自分のエゴで使っていたら、周りの人とのイザコザが生まれます。

まずは、その学びたいという思いを「自分とは何か」という方向に持っていったらどうでしょう。知識でなく、実践の上で仏道を知る。仏道を学ぶことは自分自身についてはっきりさせること。その先にいままで得てきた知識の使い道がスッキリと見えてくるのでしょう。

{{count}}
有り難し
おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺副住職。 悩みを吐き出す事で、ちょ...
このお坊さんを応援する

大欲

向上欲、仏道を求める欲
これらは「大欲」といい捨ててはならない欲です。

{{count}}
有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れ...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

亀山純史様
智慧を授けて頂き有難うございます。
私は子供と一緒で、知識を得たら満足して終わりになっていました。
これからは、自分が得た知識で、他者にどのような良い影響を与えられるかを考えます。

邦元様
教えていただきありがとうございます。
煩悩は悪いものだと思い込んでいました。
今後は「自分とは何か」についての答えを求めて生きたいと思います。

四次元 法華塔様
力強いお言葉を頂きありがとうございます。
大欲という言葉を初めて知りました。
煩悩=悪だと思い込んでいたので違う事を知りスッキリしました。

「煩悩」問答一覧

「足るを知る」と「向上心」のバランス

明けましておめでとうございます。 全ての皆様にとって、健やかな一年となることを祈念いたします。   *   「足るを知る」と「向上心」をどうバランスさせるかについて質問です。   ■質問の内容 ・人間の煩悩はキリがありません ・煩悩とうまく付き合うために「知足」が重要との理解です ・一方で、より良い生を営むには、「向上心」が必要です ・しかし「知足」「向上心」は、ときに相容れないように思われます ・そこで、両者の使い分けについて、ご意見を頂戴したかったもの   ■質問の背景 ・私は肉体や精神、能力等の向上(=欲求を満たせる自分に成長すること)を目標として努力してきました ・結果、自分自身や周りの人の幸せを実現できると考えてきたためです ・しかしある時、幸福度は上昇していないことに気付きました ・そんな時に「知足」の重要性に気付き、「向上心」との折り合わせについて強い興味を抱いたものです   ・両者の使い分け方法について、下記2パターン考えました   ■仮説① 行為の目的(相手のため/自分のため)で、以下の通り使い分けるべき 【良さそうな例】 A「相手のため」×「向上心」 (例)より喜ばれる仕事をしたい B「自分のため」×「知 足」 (例)菜食で十分 【悪そうな例】 C「相手のため」×「知 足」 (例)今の仕事の質で十分 D「自分のため」×「向上心」 (例)より美味しい食事をしたい   ■仮説② ・「知足」と「向上心」のバランスを考える必要は無い。 ・自らの欲求を満たせる自分に成長する「向上心」が重要である ・逆説的だが、向上心(欲望)を満たした経験により「足るライン」を把握できるようになる ・肥大する向上心(欲望)を実現した経験が、「自らを満たさない、長く続かない」ことを体感させる ・知足は、頭で理解するものではない。体得させる必要がある    (例)お金をもっと稼ぎ、食事にお金をかける。結果、最高級の焼肉もファミチキも両方美味しいし、どっちも幸せで、(実は)どっちも大差ないことを体感する。 しかしずっと貧しいままだと、どうしてもやせ我慢での知足となる。「知足の習得」には、欲求を満たして「こんなもんか」という体験が必要不可欠。 お釈迦様が王子の頃に豊かだったことは、悟るための必須条件。。?   少し漠然とした問いで申し訳ございません。 どうぞよろしくお願い致します。

有り難し有り難し 63
回答数回答 4

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ