赤ちゃんは悟ってる?
赤ちゃんは悟ってるのでしょうか?
自我がないので諸法無我。
過去も未来もないので将来への不安がないので諸行無常。
偏見がないので心はありのままに物事を見る。
お腹が空いたり痛いことはあっても、それに変な意味をつけれないのでそれ以上の苦しみはなく二の矢を受けず。
これって悟ってる状態じゃないんですか?赤ちゃんを見本とするのは間違っていますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
赤ちゃんは悟ってはいないでしょう。
亀山純史と申します。以下に私の考えを述べさせていただきます。
悟りとは、物事を如実に知ること(「如実知見」)です。つまり、悟りにおいては、智恵が生じなければいけません。ですから、質問者の遠慮さんの表現を用いれば、悟りの境地においては、単に我がないのが諸法無我ではなく、我がないと知ることが諸法無我。過去も未来もないので将来への不安がないのが諸行無常ではなく、全てのものは移り変わることを知ることが諸行無常。そして、ありのままに物事を見るとは、上記の諸行無常、諸法無我に基づいて見るということでしょう。赤ちゃんには、物事の分別はありませんが、それは単なる無分別であって、仏教でいうところの無分別智の「智」が抜けた状態です。
従って、赤ちゃんは悟ってはいないというのが、私の考えです。
赤ちゃんに学ぶことも大切
本来人間はこうであった。ということを思い出す上で、赤ちゃんや小さい頃のことを参考に考えることは、そんなに間違ってないと思います。
その先の人生の中で、自我が芽生え、見えていたものを曇らせるようになります。一度自我を育て、また自分という存在(捉え方、考えの上での)を無くしていく、つまり自我がないことに気づくということが悟りというところにつながるのでしょう。
小さな子供の行動から学ぶことはたくさんあります。素直で人から憎まれることもない、憎むこともない。そんな生活ができていたのです。
赤ちゃんは全く悟っていません
「無」「空」に執着すると必ずそうした事を考えるものです。
未発達の者が悟っているなら成長しても悟ったまま成長するはずです。
成長するにつれて悟り得たものを失っていくような「悟り」は悟りではありません。
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悟りとは煩悩から生じるものですから煩悩のない赤ちゃんからは悟りは生じ得ないのです。
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。お礼が遅れてすみません。
どうやら勘違いのようですね。ごめんなさい