苦手な人に対しての自分の気持ちと向き合う方法。
年代が様々な人が集まる団体で今期役員をしています。
運営役員の一人に、とても苦手な人がいます。
その人は何かにつけて、
「どうしてそのような言葉を選ぶのだろう」
「その態度をとって、相手はどんな気持ちになるのか何故考えないんだろう」
と思う事が多くあります。
自分はそんな態度を棚にあげて、自分に対する気に入らないことがあれば過剰に反応し、自分の非は絶対に認めない人です。
他の人に相談したところ「あの人はああいう人だから適当にしておけばいい」と言われました。
今までも苦手なタイプの人というのはいましたが、ここまではっきりと「あの人は嫌い」と思う人は初めてです。
その人とうまくやっていく方法ではなく、そういう人に対してどうしようもないのにイライラしたり怒りを覚える自分の気持ちと向き合う方法を教えていただきたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分のモニター中の相手に対する映像をOFFにしてから
(以下、話し半分に)
こんにちは。回答するたび本部をヒヤヒヤさせている通称「嵐を呼ぶ男」たんところてんたん丹下です。
(イメージ 石原裕次郎の映画ポスター)
きっと、その人、多分、きっと、おそらく、確証はないですが「にっかつ世代」でしょう。間違いありません。
「野郎!やりやがったな!こんちくしょう!かかって来やがれッ!」
昭和中期の過激ドラマで育った人たちはアタマの中が「にっかつドラマ」で染まっているのです。
「ええい、めんどうだ!まとめてかかってきやがれっ!」
正義が悪をやっつける思考なので、言葉が荒げる時は正義心がくちから現われているだけのです。
それしか表現方法がないのです。
昭和後期、平成育ちの人間と同じに観てはいけません。
空也上人が口から仏が出だされていますように、口から「にっかつ」系ドラマの主演男優モードでついぞ乱暴なセリフが出てきてしまうのです。ちなみに私はブルース・リーや北斗の拳が口から出てきてしまう事があります。あたたたっ!
嫌いな人は、その人が嫌いなのではなく、自分のその人に対する嫌悪感が問題なのだと知ってください。あなたが今度その人に対して「イヤだなぁ」と思った時、その自分の嫌悪感に苦しめられていることを見抜いてください。
それが怨憎会苦の正体です。
「本当の敵はお前自身なのだよ」(手塚治虫『ブッダ』)
嫌いな人、憎い人とは、本当は自分の心の中に映し出されている幻の相手なのです。
実際のその人と現場で会話するためには、自分のモニター中の相手に対する映像をOFFにしてから接することが大切です。
あなたのモニターの中のその人はその人の人生の何万分のワンシーンしか見ていません。
その人は家庭ではメチャ優しい人だったりします。
あなたが嫌っているのもあなたのモニター、スクリーンの中の本の一瞬です。
実物は動き回っています。
その違いを明確にしてみてください。
気にしない 気にしない
どこにでもそういう方おられますね。
自分を少しでも優位に見せたい、との、思いから攻撃的なのでしょう。
私も、ある団体の役をしていた時、やられました。
こういう方は、建設的な意見が、ある訳でも無く、その場の感情のみで、発言されているのではないでしょうか。
私は、その方に延々と発言の一つ一つに事細かく指摘して、またその内容を周りにもみてもらい。
相手が、噛み付いてきたら、今度はその事について、事細かく、毎回読むのが嫌になる位の枚数を渡し、そのうち何も言わなく、表向きはおとなしくなりました。
まあ、こんな意地悪は、なさらなくて結構です。が。
相手にしない事が、一番です。
周りも解ってお見えの様ですから。
あ、何か言ってら くらいで、相手は、その場その場で、感情にまかした発言なのですから。
真剣に取り合うだけ、無駄な労力です。
私にもにがてだと思う人がいます
しかし、苦手な人を拒絶することはしません。
拒絶する行為は、相手を問題として捉え、その気持ちを増幅させます。
相手に自分勝手な「嫌い」という色をつけて見てしまっているということが問題です。相手を見たときには、嫌いなんていうものは付いていない、ただ相手がいるのみです。その付け加え以前の状態で見るのです。
相手のことをよく見ていると、苦手だと思っていた人もそう見えなくなります。そのまま受け入れることが重要です。話を聞く時も、「何でこんないい方するの」という思いが出る以前の状態で、ただきいてみてください。
案外あいてが困っていて呼吸が乱れていることに気がついたり、表情からただ、イライラしているわけでなく言いたいだけなんだなということが分かったりします。いずれにしても自分の問題ではなくなります。
何をどうしたいのか。
あなたはもう自分の気持ちと向き合っています。今自分は怒っているな、良くないことだなと認識すること、それが自分と向き合うということです。
そうやって現状を確認したあと、そこからあなたは何をどうしたいのでしょうか。
うまくやっていくつもりもなければ、喧嘩するつもりもない。
求める結果を明確にし、その結果を得るにはどうしたらよいかと考えることが肝要かと存じます。