仏教においてのクリスマス
お世話になっております。
私はクリスマスを大々的に祝う国に住んでおり、SNSを見ると友人たちの家族団欒の写真やらプレゼントへの感謝の言葉やら、はたまたシンプルに祝福の言葉やらが飛んできて、思わず頬が緩みます。かく言う私も日頃お世話になっている道場の師匠や仕事の同僚からプレゼントやカードをいただき、本当にありがたく思います。
さて、感謝や祝福、笑顔の一日であるクリスマスですが、皆様はどう過ごされているのでしょうか。「クリスマスもまた一年のうちの一日に過ぎず。そもそも毎日が感謝と慈愛に満ち溢れているので、特に祝う必要もなし」というのも理解できますし、「キリスト教の祝日なので管轄外です。うちはいつも通りです」というのも納得できますが、もし特別な日と捉えていらっしゃるのなら、少しお話いただければ幸いです。
不躾な質問で恐縮ですが、よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
大正天皇崩御
二千年続くニッポン国の皇室はニッポン民族の誇りです。
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12月25日は大正天皇が崩御された日です。
今上天皇は今も妙法蓮華経を読経しております。我々も陛下にならい国家安泰を祈念し法華経読経題目唱題します。
刻々が大切な瞬間
禅門では無際大師という方のご命日にあたります。
キリストさまの誕生日でもあります。(最近では誕生日ではない説もありますが、キリストさまの縁日であることに変わりはないでしょう)
今日は誰かのご命日です。
誰かの誕生日です。
誰かの記念日です。
そして、一瞬一瞬が素晴らしい瞬間です。
有り難い時です。
そのように捉えて生きていく事が、お釈迦様、キリストさまの心にかなった生活であると私は思っています。ただ、みなこういったことを忘れてしまう。
だからこそ、こういった日に祈りを捧げたり、感謝の念を深くして、自らを省みる機縁とするのは良いことであると思います。
さらには、クリスマス停戦ということがあります。
たとえ一日でも、キリストの為なら戦争をやめられるなら最初からしなければいいのになぁと思います。
争いの中にあろうとする人たちも、そういう人間の愚かしい心に向き合う日であるべきだとも思います。
それが本当の祈りであるからです。
祈りは祈っただけでは無意味。行動に移し、具現化されなければいけないと思います。
質問者からのお礼
けんしょう様、丹下様、年末でお忙しい中ご回答誠にありがとうございます。
誰かの祝日は誰かの忌日。また、別の誰かにとってはいつもの一日。
そして祝日だから感謝と祈りを捧げるのではなく、常日頃からそうすることが大事なのですね。
一瞬一瞬を大切に有り難いものとして生きること。心に刻みます。
合掌。