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僧侶になることは「逃げ」なのか

回答数回答 3
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私は高校2年です。
5で神童、15で才子、16過ぎれば只の人
と言った具合に、高校受験の失敗を皮切りに
落ちぶれていく人生を歩んでいます。(神童なんておこがましいですが、)

中学までの怠惰な生活をしていると、
当然、第一志望の高校には落ち、滑り止めの高校でも、成績は下がる一方、順位は下から数えた方が早くなるまでになりました。
なんとかしなければならないのは、分かってるけども、モチベーションは下がり、無気力。
さらに、成績が下がり…と悪循環の日々です。

そんな中、テレビ番組で僧侶の方々を拝見し、その道徳観、柔和な笑顔に惹かれました。
これまでの、偏差値や年収の見栄が第一の数字を求めてきた私にとって、とても異質で別世界で生きているように思えて仕方がなかったのです。
魅力的に感じ、僧侶に憧れ、志すようになりました。

しかし、仏教系の大学の偏差値というのは、お世辞にも高いとは言えず、家族や担任からは、受験から現実逃避しているのではないかと思われています。確かに、私は学校の課題から逃げ、担任からは、見放されています。しかし、表面上だけ良い子である私の内面がどうしても許せなく、また、現実との乖離に悩むのをどうにかしたいのです。

私自身、なりたい思いはあるものの、本当に僧侶でいいのか、受験から逃げたいがために、僧侶という芝が、青く見えているだけなのではないか。修行すらも投げ出してしまうのではないか。と不安に思ってしまいます。

私の僧侶に対する気持ちは本当なのか自分自身で確かめる方法、そして、周囲を説得する方法、そして何よりこの文章を読んで、逃げていると思うのならば率直に言っていただきたいです。

長文失礼しました。よろしくお願いします。

2018年5月7日 1:39

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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

これからのあなたが決めていくことです

僧侶の道徳観や笑顔に憧れた。というあなたの気持ちは(自分のことではありませんが)とてもうれしく思います。

私もかつて「逃げ」ようとしていた自覚があります。
小さな頃より周囲から僧侶になることを当たり前と思われていたことに反発して、大学では違う学部を志しました。
その後、自分のやりたいことや生き方を考えたとき、結局僧侶という生き方が自分の欲するものだと気づき、今に至ります。
私はあの頃に「逃げ」ようとしたことを後悔していません。
そのために努力し、その時間が自分の為になっていたと思えるからです。

翻って、鷹の爪さんが後悔せずに生きていくにはどうしたらいいのか。また、今の行動や決断が「逃げ」なのか否か。
それは、これからのあなた自身が決めていくことです。
未来のあなたが、いまの自分、これからの自分が行う選択を振り返ったとき、どう思うのか。それを想像することが大切です。
そこで後悔がなく、胸を張れるのであれば、「いま逃げて何が悪い?」とも思います。
逆に「あのとき逃げなければよかった」と思うような選択なら、すべきではありません。

上記のことを踏まえつつ。
周りに文句を言われないようにするには、しっかり学校の勉強もした方がよいと思います。
僧侶になるとしても、教養として、いましている勉強も必要ですし。
その上で、もっと僧侶や仏教について自分なりに勉強してみてはいかがでしょうか?
仏教の智慧はどの進路を選んでも役立ちます。(*蛇足かもしれませんが、どの宗派でも僧侶になる為には師匠が必要だったはずです。大学に行っただけではなれません。一番身近なお坊さんは菩提寺の住職だと思いますが、そういった方を探して相談することも必要でしょう)
両方やり続けること。それが「気持ちが本物か確かめる方法」であり「説得の方法」でもあると思います。

鷹の爪さんが将来後悔ない選択ができるよう、陰ながら応援しています。

2018年5月7日 7:22
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本立寺の住職をしながら、臨床心理士として医療・教育現場で活動しております。...

僧侶になることは「逃げ」ではなく、「勝ち」

鷹の爪様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

僧侶になることは「逃げ」ではなく、「勝ち」でしょう。

但し、なりたい僧侶そのものの質に関しての問題も、もちろんあるのですが。。

いずれにせよ世間八法(利得、損失、称賛、非難、誉れ、誹謗、楽、苦)の輪廻の中を超えていかない限りは、真なる幸せ、安楽となる悟りへとは至れないものとなります。

もちろん、僧侶でなければ仏道を歩めないわけではないのですが、確かなる歩みを進めていくには僧侶が一つの近道にはなります。

確かに仏教系の学科などは偏差値は高くありませんが、優れた仏教思想哲学を学べるところはたくさんございます。

もし、拙生が、これから仏教を学ぶことのできる大学に進学したいとなさられる貴方様の立場であったとすれば、駒澤大学の仏教学科か、東洋大学の東洋思想文化学科のどちらかに入りたいと思うところであります。

また、他にも、龍谷大学や大谷大学、高野山大学や種智院大学なども。あるいは、少し難しくなりますが、国立では、東京大学の文学部、京都大学の文学部、あるいは広島大学の文学部でも仏教を学ぶことができます。

拙生は、結局、大学は別の学部でしたので、専門的に仏教を学ぶのは独学となってしまったため、かなり遠回りをしてしまいましたが、別の学部であっても真剣に学び得たことは、僧侶、社会人としても活かせていけますので、どの学部であっても全く無駄ではないかなとも存じます。

何よりも、僧侶となるには、「菩提心」が大切となります。

どうして僧侶となりたいのか、その「菩提心」の育みが、僧侶のあり方を決めてゆくところとなります。

自分も、他も、皆、輪廻の迷い苦しみの中で同じように喘いでいる現実を直視し、皆を救わんがためとして、仏道を求めたいところとなります。

宜しければ、共に頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

2018年5月7日 15:41
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拝読させて頂きました。
あなたが僧侶にあこがれてそうなることに夢を持たれたことは決して逃げではないかとも思います。ただあなた自身が自分の学力などで自信がないからそう思ってしまうならやはり逃げと思ってしまうかもしれません。

私は逆に僧侶になる事が絶対嫌だったので仏教系大学だけは絶対行かないようにと逃げましたね。正直ひたすら逃げました。それにはいろんないきさつがありますし、別にやりたい事もありありましたから一般の大学に行って会社員になりました。
そして40歳を過ぎてようやく僧侶になりました。
これも不思議なご縁です。
今はスッキリ僧侶としてお勤めさせて頂いていますね。

人生は色んな道があります。これ一本に絞る、夢を叶える、逃げる、それぞれに人生です。その中で自ずと導かれていくものでもあります。

あなたが僧侶になりたいと思ったのもそれもご縁ですからそれも一つの道です。

どうかあなたの人生ですからじっくりと考えて検討してみてください。大学に行っても社会に出ても合間合間にいくらでも方向転換できますからね。

あなたのこれからの人生があなた自身でご判断なさり、心身ともにお健やかに成長していかれ充実した毎日が開かれていきます様心からお祈りさせて頂きます。
どうか頑張ってくださいね!

2018年5月7日 9:31
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Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして9年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラー...

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有難き法縁を最近恵まれて、僧侶になることを考えている者です。仏道に生きることは自分にとって良いだけでなく、それを世に広めることは非常に大きな意味があると思っています。教行信証を読んで、これは広めるべき教えだと深い感慨を得ました。寺族でない者が僧侶になる道もいろいろと調べました。 しかし、私が今まで積んできた学業を捨てて僧侶になることは本当に社会にとって最善なのか、と思いました。(現在、米国の大学に在籍し工学を勉強しています。ちなみに浄土真宗の寺に毎週通うようになったのもこの地です。) もちろん、そこには自分が工学をやりつつ仏教もやるという煩悩もありますが、私がここまで工学の勉学を多額の費用が掛かるにもかかわらず進められてきたのも立派なご縁で様々な人のおかげです。技術者になれば社会に貢献できるとも思います。寺族でない者が別の職業に就きつつ僧侶になり寺を開くことは現実的でしょうか。 親鸞聖人は非僧非俗といいました。関東の農民とともに農作業にも励んだと聞いています。今日でも、別の職業に就き世の荒波に揉まれつつ、僧侶として(例えば、毎週日曜日に自宅をお寺にするなど)人々とともに仏道を歩むのは意味があることだと思うのです。 休日を持たない覚悟はあります。また、通常の寺という形に囚われず、布教所のように小さな形でも仏法を広められるのなら良いと思います。しかし、寺族でない人が別の職を持ちつつ寺を開くケースを拝見したことがありません。実際のところどうなのでしょうか。

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この分野には詳しくありませんので、恥ずかしながら諸大徳にご相談致します。 私の師僧(60代独身)についてなのですが、元々精神的な問題を抱えている人で、感情が高ぶると御葬儀の場やお法事の席でも大声で叫んだり、真言宗の住職でありながら真言宗や弘法大師を否定してカルト宗教に入ったり、お檀家さんや周辺とも何かとトラブルが絶えない人なのですが、数年前師僧の母親が怪我で入院した頃からさらに言動がおかしくなり、私にも「これからは毎日8時間無料で留守番しに来なさい。」等々無理難題を言ってくるようになりました。 それまでも師が母親を病院に連れていく日などには勿論留守番やお手伝いにはこちらから行っていたのですが、それで何を勘違いしたのかだんだんと要求がエスカレートしてきた状態です。 ちなみに私はお寺に雇われているわけではなく、役僧でも内弟子でもありません。 2,3か月に一度御葬儀の助法をする程度なので、普段は他の仕事で生計を立てており「私も生活があるのでさすがに毎日無料奉仕というわけには・・・」とやんわりお断りしたところ激昂されてしまい、「そんな薄情な事を言うなら師弟関係を解消させてもらう!!」と怒鳴られ師弟関係を人質に度々大した必要性もないような用事などに呼び出されております。 近所に買い物に行くだけのほんの数十分程度の外出にも留守番に呼び出されるので、仕事場からも「そんなにしょっちゅう休むんなら辞めてほしい。」と通告され、年齢的にもかなり厳しい状況です。 その旨を師に伝えても「弟子が師匠のために多少の犠牲になるのは当然の事だ。」等々しれっと言うので最早信頼などとてもできませんが、それでも在家から苦労して20数年なんとか必死の思いで続けてきた僧籍だけは消したくないと思い、ギリギリまで我慢してきましたがこれ以上の師の要求はとても受け入れられず、離弟(僧籍削除)してもらうしかないかと覚悟しております。 総代会も30年余りの間に正式に開かれたことはほとんど無い状態で、相談してもどうにもならない状態です。 そこで離弟する(僧籍が無くなる)ことでどういったデメリットや僧侶としての行動に制限が出てくるのか、師僧が無くてもできることはあるのか等、様々なパターンについてお詳しい方がいらっしゃいましたら御教示いただきたく思います。

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