hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

僧侶になることは「逃げ」なのか

回答数回答 3
有り難し有り難し 40

私は高校2年です。
5で神童、15で才子、16過ぎれば只の人
と言った具合に、高校受験の失敗を皮切りに
落ちぶれていく人生を歩んでいます。(神童なんておこがましいですが、)

中学までの怠惰な生活をしていると、
当然、第一志望の高校には落ち、滑り止めの高校でも、成績は下がる一方、順位は下から数えた方が早くなるまでになりました。
なんとかしなければならないのは、分かってるけども、モチベーションは下がり、無気力。
さらに、成績が下がり…と悪循環の日々です。

そんな中、テレビ番組で僧侶の方々を拝見し、その道徳観、柔和な笑顔に惹かれました。
これまでの、偏差値や年収の見栄が第一の数字を求めてきた私にとって、とても異質で別世界で生きているように思えて仕方がなかったのです。
魅力的に感じ、僧侶に憧れ、志すようになりました。

しかし、仏教系の大学の偏差値というのは、お世辞にも高いとは言えず、家族や担任からは、受験から現実逃避しているのではないかと思われています。確かに、私は学校の課題から逃げ、担任からは、見放されています。しかし、表面上だけ良い子である私の内面がどうしても許せなく、また、現実との乖離に悩むのをどうにかしたいのです。

私自身、なりたい思いはあるものの、本当に僧侶でいいのか、受験から逃げたいがために、僧侶という芝が、青く見えているだけなのではないか。修行すらも投げ出してしまうのではないか。と不安に思ってしまいます。

私の僧侶に対する気持ちは本当なのか自分自身で確かめる方法、そして、周囲を説得する方法、そして何よりこの文章を読んで、逃げていると思うのならば率直に言っていただきたいです。

長文失礼しました。よろしくお願いします。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

これからのあなたが決めていくことです

僧侶の道徳観や笑顔に憧れた。というあなたの気持ちは(自分のことではありませんが)とてもうれしく思います。

私もかつて「逃げ」ようとしていた自覚があります。
小さな頃より周囲から僧侶になることを当たり前と思われていたことに反発して、大学では違う学部を志しました。
その後、自分のやりたいことや生き方を考えたとき、結局僧侶という生き方が自分の欲するものだと気づき、今に至ります。
私はあの頃に「逃げ」ようとしたことを後悔していません。
そのために努力し、その時間が自分の為になっていたと思えるからです。

翻って、鷹の爪さんが後悔せずに生きていくにはどうしたらいいのか。また、今の行動や決断が「逃げ」なのか否か。
それは、これからのあなた自身が決めていくことです。
未来のあなたが、いまの自分、これからの自分が行う選択を振り返ったとき、どう思うのか。それを想像することが大切です。
そこで後悔がなく、胸を張れるのであれば、「いま逃げて何が悪い?」とも思います。
逆に「あのとき逃げなければよかった」と思うような選択なら、すべきではありません。

上記のことを踏まえつつ。
周りに文句を言われないようにするには、しっかり学校の勉強もした方がよいと思います。
僧侶になるとしても、教養として、いましている勉強も必要ですし。
その上で、もっと僧侶や仏教について自分なりに勉強してみてはいかがでしょうか?
仏教の智慧はどの進路を選んでも役立ちます。(*蛇足かもしれませんが、どの宗派でも僧侶になる為には師匠が必要だったはずです。大学に行っただけではなれません。一番身近なお坊さんは菩提寺の住職だと思いますが、そういった方を探して相談することも必要でしょう)
両方やり続けること。それが「気持ちが本物か確かめる方法」であり「説得の方法」でもあると思います。

鷹の爪さんが将来後悔ない選択ができるよう、陰ながら応援しています。

{{count}}
有り難し
おきもち

本立寺の住職をしながら、臨床心理士として医療・教育現場で活動しております。...
このお坊さんを応援する

僧侶になることは「逃げ」ではなく、「勝ち」

鷹の爪様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

僧侶になることは「逃げ」ではなく、「勝ち」でしょう。

但し、なりたい僧侶そのものの質に関しての問題も、もちろんあるのですが。。

いずれにせよ世間八法(利得、損失、称賛、非難、誉れ、誹謗、楽、苦)の輪廻の中を超えていかない限りは、真なる幸せ、安楽となる悟りへとは至れないものとなります。

もちろん、僧侶でなければ仏道を歩めないわけではないのですが、確かなる歩みを進めていくには僧侶が一つの近道にはなります。

確かに仏教系の学科などは偏差値は高くありませんが、優れた仏教思想哲学を学べるところはたくさんございます。

もし、拙生が、これから仏教を学ぶことのできる大学に進学したいとなさられる貴方様の立場であったとすれば、駒澤大学の仏教学科か、東洋大学の東洋思想文化学科のどちらかに入りたいと思うところであります。

また、他にも、龍谷大学や大谷大学、高野山大学や種智院大学なども。あるいは、少し難しくなりますが、国立では、東京大学の文学部、京都大学の文学部、あるいは広島大学の文学部でも仏教を学ぶことができます。

拙生は、結局、大学は別の学部でしたので、専門的に仏教を学ぶのは独学となってしまったため、かなり遠回りをしてしまいましたが、別の学部であっても真剣に学び得たことは、僧侶、社会人としても活かせていけますので、どの学部であっても全く無駄ではないかなとも存じます。

何よりも、僧侶となるには、「菩提心」が大切となります。

どうして僧侶となりたいのか、その「菩提心」の育みが、僧侶のあり方を決めてゆくところとなります。

自分も、他も、皆、輪廻の迷い苦しみの中で同じように喘いでいる現実を直視し、皆を救わんがためとして、仏道を求めたいところとなります。

宜しければ、共に頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
このお坊さんを応援する

拝読させて頂きました。
あなたが僧侶にあこがれてそうなることに夢を持たれたことは決して逃げではないかとも思います。ただあなた自身が自分の学力などで自信がないからそう思ってしまうならやはり逃げと思ってしまうかもしれません。

私は逆に僧侶になる事が絶対嫌だったので仏教系大学だけは絶対行かないようにと逃げましたね。正直ひたすら逃げました。それにはいろんないきさつがありますし、別にやりたい事もありありましたから一般の大学に行って会社員になりました。
そして40歳を過ぎてようやく僧侶になりました。
これも不思議なご縁です。
今はスッキリ僧侶としてお勤めさせて頂いていますね。

人生は色んな道があります。これ一本に絞る、夢を叶える、逃げる、それぞれに人生です。その中で自ずと導かれていくものでもあります。

あなたが僧侶になりたいと思ったのもそれもご縁ですからそれも一つの道です。

どうかあなたの人生ですからじっくりと考えて検討してみてください。大学に行っても社会に出ても合間合間にいくらでも方向転換できますからね。

あなたのこれからの人生があなた自身でご判断なさり、心身ともにお健やかに成長していかれ充実した毎日が開かれていきます様心からお祈りさせて頂きます。
どうか頑張ってくださいね!

{{count}}
有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
このお坊さんを応援する

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ