どうすれば病気を受容できますか?
私は、10代の終わりに躁うつ病を発症し、30年経った今でも症状が安定せず、躁と鬱を1カ月周期で繰り返しています。精神科にも3回入院しました。
家族に迷惑をかけ続けている申し訳なさ、孤独感、絶望感、苦しみに押しつぶされている自分。
主治医に、「どうすればいいのでしょうか?」と聞くと、「病気を受け入れるしかない」と言われます。
病気の受容…頭では分かる気がします。
でも、心の中では、なぜ、こんな病気になってしまったんだろう?と自分の運命を素直に受け入れることができないんです。
自分の病気を心の底から受け入れられたら、もう少し楽に生きられる気がします。
病気を受容するためには、どんな心がけをすればいいのか、どうかお教えください。
健康な人や楽しそうな家族を見ると、妬ましく思ってしまいます。孤独に感じ、とても苦しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
他の病気に置き換えて考えてみては
私があなたと同じ病気になったら、同じように病気を受け入れられるかどうか、正直、なってみないとわかりません。
ただ、私が常日頃思っていることがありますので、一応書きます。
それは、躁鬱など心の病気は外見ではわかりにくいので、他人から理解されにくい、ということです。
だから、私は、「うつ」を、他の病気に置き換えて考えてみてはどうかと思います。
たとえば、「うつ」を、腰痛に置き換えて考えてみましょう。
あなたが腰痛持ちだったら、重たい荷物を無理して持ち上げないように気をつけるでしょう。
あなたが足を骨折していたら、無理して走らないでしょう。
それが「受け入れる」ことではないでしょうか?
しかし、心の病気は外見ではわかりにくいので、あなた自身も、また、ときには周囲の人も、あなたを健康な人と同じように頑張らせる(無理をさせる)可能性もあります。
それは良くありません。
あなたは、できることをできる範囲でやればよい。できないことを無理してやる必要もないのです。
そして、今の1秒を生きられたなら、次の1秒も、次の1日も、次の1週間も、きっと生きられる。
「今・ここ」を生きればよいだけ。
「死ぬまで生きればいいだけさ」とあるアーティストの歌詞にあった気がしますが、
そういうことだと思います。
一つの自分のブレない信念を作ること。
はるさん、こんにちは。
躁鬱病、つらいですね。病気になるのは生きている証拠。仏さまの生老病死の四苦の教えです。誰でもなるのです。苦しみから逃げていても苦しみはなくなりません。仏さまの教えは四諦といって、苦しみを可決するには、まずは運命の事実を受け入れるところから、はじめます。
お医者さんのアドバイスのようにどう病気を自分の生活に受け入れるかが鍵だと思います。
苦しいことは、病気だけでなくてもたくさんあります。その苦しみをどう乗り越えるか、そのためには、心の中心に何に持つかにあります。
やはりはるさんには、仏教の信仰をおすすめします。どんなに心がふらついても、仏さまのお祈りを忘れない。心が暴走しても必ず仏さまのお祈り(読経)をする。そうすることによって、必ずつかむ心の柱、ゆれても必ず柱に戻るマークを作ることが大切だと思います。
是非、仏教信仰を始めてみてはどうですか?気軽に初めてくださいね。
現在私は、同じくハスノハ僧の山内宥厳東光寺住職が普及している楽健法を勉強しています。体の血流、リンパの流れを良くするヨガマッサージで、少し学べば誰でもできるマッサージです。私もやって頂いて非常に気持ちよい状態になり効果を期待しています。躁鬱快癒の事例もあるそうなので、機会があれば試してみてください。私が行ってもかまいませんよ(笑)。
ゆっくりと病気と一緒に暮らしながら、むりせず治癒にすすめてください。合掌
質問者からのお礼
ご多忙な日々の中、私の質問にお答えくださり、本当にありがとうございます。
ご回答を読み、私を苦しめているのは、まさに私自身だったと気づきました。
家事をできないのは、私が怠けているせい。でも、そんな自分を許してあげようと思いました。心の病気、そう、事実、病気のひとつを患っているんですものね。
過去の後悔や未来への不安を脇に置いておき、「今、ここ、」に集中して生きていればいいんですね。
また苦しみから逃れようともがくことが、新たな苦しみを作り出すんだなとも思いました。
生かされているご縁に思いを馳せて、私に与えられた人生を歩んでいこうと思いました。
本当にありがとうございます。