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心(感情)の取り扱い方

回答数回答 1
有り難し有り難し 19

お世話になります、皆様いつもありがとうございます。

自分の心の、マイナスの感情に苦しんでおります。

仕事中では、なんで周りの人達はもっと仕事を手伝ってくれないのか? 同僚達より頑張って働いてるのに、上司はなぜもっと評価をしてくれないのか?

自分一人が頑張って働いてて、周りの人達はある意味すごく気楽に仕事をこなしているようで、自分だけ損な役割みたいな感じがしております。

そういった、自分のネガティブな思いに苦しんでおります。

良きアドバイスを頂ければ幸いに思います。どうかよろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

その通りご自身のマイナス感情こそが真犯人です。

あなたを苦しめているのはあなたのマイナス感情だとあなたは❝知っている❞。
ですが、知っているだけなのがそこが改善されない理由です。
自分のマイナス感情が自分を苦しめていると知ったのですから、それをやめる方法を工夫するべくそのように心を動かす。
それ以外にあなたを劇的に改善させる方法はありません。
あなたの心のドライバーはあなただからです。
心の能動的なはからいを一切休める。
それが坐禅です。
禅定。
禅定はプラスでもマイナスでもありません。
プラス感情、マイナス感情は思考だからです。
禅は思考以前。
思考活動、能動的な活動をする前の事実に生きることです。
感情は思考の後に出てきます。
事実は感情よりも思考よりも先なのです。
そこをアドレスにする必要がある。
あなたのアドレスは思考なのです。
そこに浸り続ければ感情にリンクして喜怒哀楽や損失感覚、ネガティブ感情に支配される。
心が向かう方向性を根底から変えるためには坐禅がよいでしょう。
坐禅をして思考以前の事実に目覚めることです。
思考の立ち上がりは早いです。
その軌道の速さたるやレーサーXポールギルバートよりもイングヴェイよりもインペリテリよりもパンテラよりも激速です。
ですが、坐禅はそれ以上の速さに君臨するのです。
思考以前だからです。
事実をアドレスとしているから思考を配下にすることができるのです。
統理大衆、一切無礙とは、おのれの心の衆生をして一切を統理すべきことです。
人間が一日に想起する数千、数万の思考活動❝大衆❞を統理し、おのれが己の想念に打ち克つことです。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

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