「下流」でも良いと思うのは甘えですか
わたしの人生は、とあるタイプの人から見れば「失敗」と映ると思います。中学校で不登校、高校で留年、大学も4年以上かけてやっと卒業、今はアルバイトです。
けれども、わたし自身、今には何の不満もありません。ここまで生きて来られたのも、家族や友人、師やドクターに恵まれたからだと思っています。
最近、わたしの人生を「失敗」だと見なすであろうタイプの方の、書かれたものを読む機会がありました。曰く、「アラサー実家暮らし非正規なんてあり得ない、結婚は無理。いわば〈下流女子〉。老後の保証もありません。友だちもろくな人ができません」なのだそうです。
それを読んで、ショックでした。
メンタルに病気を持って以来、多くを望まないことを心がけてきました。結婚も望みません。華やかな成功も望みません。ただ、自分ひとりで穏やかに生きていって、あまり苦しい死に方さえしなければ良いと思っています。でも、その方の意見では、その望みもままならないようです。根拠のない、いい加減な人の意見なら流せるのでしょうが、その方はわたしと正反対の人生の、社会的に見れば「立派」な方なので、心に突き刺さるばかりです。
その方は「そうなりたくなければ、今の〈下流〉に安住せず、甘えを捨てて上を目指しなさい」ともおっしゃっています。それもごもっともな意見だと思います。でも、今のわたしにはとても無理なことです。病気を抱えている身にいちばん合っているのは今のアルバイトです。さらに、正規の労働者として、将来は「医療事務」の職に就きたいと考えていますが、その方によると医療事務なんてまともな仕事ではない、のだそうです。
自分なりに真剣に考えて、たくさんの諦めも経てたどり着いた人生計画にダメ出しをされたようで、苦しいです。
でも、いちばん苦しいのは、その方の意見に自分が影響されて、ぐらついていることです。本当は、「〈下流〉で結構! それでもわたしはこう生きるしかない!」くらいに強気で、その方の意見も跳ね返す勢いで行きたいのに。
わたしは、「下流」でも「失敗」でも、今にも思い描く将来にも満足しているつもりです。いわゆる「立派」な方にバカにされてもダメ出しされても、ぐらつかないで生きていく強さが欲しいです。それとも、わたしの「満足」は単なる甘えなのでしょうか。どうぞお智慧をお貸しください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
今に満足することこそが「上流」
拝読いたしました。
その「上流」であろう、さぞかし立派な方が、書いておられる内容。
それが正しいのかどうか私には分かりません。
ただ、あなたが自分の人生を「失敗」「下流」だと思った時点で、あなたの今を不幸だと認めることになります。
今、あなたは自分の人生に満足し、素敵な夢をお持ちではないですか。
その満足に感じる生き方が幸せでないとすれば、なにが幸せなのか私には分かりません。
現にその「立派」な方の意見に飲み込まれそうになった時、苦しみを感じておられますね。
人をうらやんだり、ねたんだりする事が、煩悩なのです。
だから、苦しくなり、自分が嫌になるのです。
無理なことを無理やりしても、それはイカサマの生き方であり、大嘘の人生です。
出来ないことは出来ないと、ハッキリ言える勇気ある人を目指して下さい。
あなたはそうなれる人だと、私は感じます。
「医療事務」の仕事を、まともかどうか決めるのは、その「お偉い方」ではなく、あなた自身です。
今できることを、しっかりとこなし、満足感を得られるような生き方が「上流」である。
少なくとも私はそう思います。
下流はありません。
生きてるだけで儲けもん!
煩悩こひつじさん、こんにちは。
友達に下流女子といわれたのですね。
そんなことはほっときないさい。人の力を借りず自分の力で生きているのであれば、どんな生活であっても、それはその人の生き方なのです。相手と比べて評価するものではありません。そういう友達とはお付き合いをしないことをお勧めしますね(笑)。友達を選びましょう。
ただ、人の迷惑をかけないように、どういう生き方をしていくかを常に考えることは大切かな。親もいつか亡くなるから、どのように生きていくかを選ばなければなりません。自分のTPOに合わせながら、少しずつ少しずつ生き方の改善をしていくことは、やらないよりやった方がいいでしょう!仏教の教えはそのことをサポートしてくれます。
自分の生き方は自分で決めるもの。そしてどんな結果になろうが自分が受け止めればいいのです。合掌
質問者からのお礼
善通寺様
尊いお智慧をありがとうございます。
頂いたお智慧で、わたしは今、自分が幸せだと堂々と思って良いのだと、確信できました。
他人をうらやんだりねたんだりすることが煩悩、だから、苦しくなる。そのとおりです。わたしは、そのつもりこそありませんでしたが、自分が幸福であることを100%信じきることができず、数%ではうらやんだりねたんだりしていたのかもしれません。
煩悩から逃れるため、わたしは自分が幸せなのだと、堂々と信じ続けることにいたします。
無理なことを無理やりしても、それは嘘であり、いかさま。このお言葉にはハッとしました。今の世の中、無理なことを無理やりせざるをえない状態になることは多いものです。でも、それは「無理をしていて偉い」のではなく、「嘘でいかさま」であり、決して褒められたことではないのですね。「無理です」という勇気は、嘘やいかさまをしないために必要な勇気なのだと、初めて思いいたりました。
自分にも、ご縁がある他の方にも、かけ続けていきたい言葉と出会えました。本当にありがとうございます。
金剛座寺様
尊いお智慧をありがとうございます。
お恥ずかしいことながら、今現在はまだ親を頼る部分も多く、人に迷惑をかけているわたしです。けれども、お智慧をいただいて、「人に迷惑さえかけていなければ、堂々としていればいいのだ!」と分かりました。
堂々と生きていくためにも、まずは親に迷惑をかけない生活を目指します。具体的な目標を授けてくださったお言葉に、心より感謝いたします。
自分のTPOをしっかり見て、自分自身で生き方を改善し続けていくことが、自分を信じることにも繋がると思います。信じている自分が決めたことなら、どんな結果でも受け止められそうだな、と思いました。
安穏寺(天岑寺)様
尊いお智慧をありがとうございます。
簡潔なお答えに、身の引き締まる思いがいたしました。
「下流」とは、自分を誤解させる概念でしかない。自分の煩悩にまみれた心が生じさせる、ただそれだけのものなのですね。
自分が「下流」なのか心配すること自体が、無駄で滑稽なことに思えてきました。
無駄なことを思い悩み、自分の貴重な人生を浪費しないように心がけたいと思います。
心より、お智慧にご縁に感謝いたします。