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ダメ人間です。

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有り難し有り難し 25

何度も、何度も、お酒で失敗していて、反省もして、それでも

悪い癖を繰り返すのです。
どのようにしたら、

己に打ち勝つことが出来るでしょうか?

もう、生きているのさえ、恥ずかしく思います、


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

同じですね

私も、若い頃、迷惑をかけてばかりでした。

迷惑をかけ、裏切り失敗してばかりです、今でもそうです。

お酒、楽しいですよね。

でも、一つだけ、自分と約束を、してみてはいかがでしょうか。

お酒、やめるのが一番かもしれませんが。

量を、減らすか、呑む回数を減らす。

これだけでも、違うはずです。

一歩でも、進んでみてください。

必ず、解決に向かいます。

大丈夫です(^O^)

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有り難し
おきもち

ラジオ パーソナリティ 『 命の 相談会 』開催 愛知県愛西市 の 大法寺 の住職をしております。 大法寺は、代々尼僧寺院であり、苦しんでいる女性を救い 「 おわりはじまりのてら 」 「 尾張の駆け込み寺 」と、呼ばれておりました。 白龍が住んでいると言われている、樹齢650年の大楠の元に、倶利伽羅不動明王の祠が有ります。 その宝剣で、悪い縁を切って下さると言われ、『 悪縁切り供養 』をしています。 病気、人間関係、依存症、自分の中の悪い想いを 切って下さいます。 縁切りの絵馬に、切りたい縁を書き込み、縁切りのお護りを授与しております。 是非、お参りください。 『 命の相談会 』 を、開催しております。 胸の中にあるもの、だれにも言えない事を、全て吐き出しましょう。 一緒に泣きましょう、一緒に叫びましょう、一緒に笑いましょう。 自坊、ショッピングモール、赤十字血液センター、カフェ、放送局、等で 定期的に行なっております。 日程は、ホームページで、確認してください。 ホームページ www.daihouji.org 『 樹木葬 大法寺 』 『 縁切り 大法寺 』 で検索してください。 緊急の場合 苦しかったら、辛かったら、電話ください、 09066179353

真の共感者との出会い

こんにちは。
酒の無い国に行きたいお酒大好き坊主の丹下です。
単に酒の飲み方が悪いだけでしょうから、酒が悪いのではないでしょう。
🍶(´-ω-`)
酒は用い方によっては薬。料理にも使えますし、飲み方を誤らなければ悪いもんではありません。
酒が悪いもんとでもいうならお酒作る人も飲む人もみんな悪人になってしまう。そんなことはありませんん。お酒の飲み方が不器用、悪いということがあるだけ。
酒で解決しようとしたり、選ぶ相手が理解してくれなかったりすると、根本的な解決にはならないと思います。美味いお酒、お茶というのは「誰」とお飲むかですよね。
あなたを受け入れてくれるキャパの無い人とでは愚痴をこぼしても受け止め度量がないでしょう。
本当のコトを言ってくれる人が近くにいないのではないでしょうか?
当たり障りのない会話。
表面的な言葉の応酬。
そういうものでは救われなかった。
だからこそ、本当に酒を酌み交わせる人と飲んだらよいでしょう。
自分を慰めるために飲まなくなります。
酒に酔う、酔わされる。
おそらく思いの方に酔わされているはず。
だから酒が飲みたくなる。
自分が何かに酔わされているその思いの正体を見極めに坐禅会にでも起こしくだされ。
そっちがハッキリすれば、それを酒で洒ごうとしなくなるでしょう。
美味い酒を飲めるようになりましょう。
真実を知る人と、ウソのつけない人との会話。
あなたが正直に自分を語れれば、今日から美味い酒が飲めるようになれるでしょう。
私で良けりゃいつでも相手になりまっせ。🍶(´▽`*)

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

アルコール依存者の会はいかがでしょうか。

こんにちは。
お酒での失敗談は、昔から言われています。
勝ち負けに執着しすぎるのも仏教じゃないので
打ち克つのではなく、折り合いをつけるという視点はいかがでしょうか。

自分だけでなんとかできる、なんとかしようと思うのではなく、
自分以外の存在を拠り所とする。
仏教でいうとそれが仏であり、
神道でいうとそれが神です。

自分の判断だけを拠り所とするのではなく、アルコール依存で苦しむ方が会を作っています。
悩みや苦しみを共有する人が集まって、抱え込む辛さを減らして回復を図っています。
そういった資源を使うのもひとつかと思います。
今年がよき年になりますようお念じ申し上げます。

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有り難し
おきもち

hasunohaに出会えた私は幸せ者です。カニとおろし蕎麦と水ようかんが美味しい地方の町のお寺にいます。人混みは苦手、都会のイルミネーションやサイネージはまぶしすぎる。だけど、ここhasunohaでの対話があるから孤独じゃない。ありがとう。
社会福祉士、公認心理師として社会では働いてます。事業や組織を背負うと言えないこともあるけど、仏教を背負うと語る内容も変わります。悩みがなくても話してみたいときは相談ください

質問者からのお礼

断酒してみたり、回数を減らしたり、あらゆる手段にでてみましたが繰り返すのです。
頑張って直そうとする自分にも疲れました..
それでも、やってみるしかないのですね。

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