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仏教でのご縁の考え方

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有り難し有り難し 39

こんにちは。ご縁について自分なりに理解したつもりなのですが、ここで確認させてください。お暇な時に教えてくださると嬉しいです。

ご縁とはきっかけで、どんな縁がどういう組み合わせで働いているか人間が全部把握することはできないけれど、色々な縁が影響し合って今がある。神の計画ではなく、偶然が重なって物事が起こるということでしょうか。

仏教では意味の前に事実があるのですね。過去の回答の詳しいご説明を何度も読んで段々わかってきました。私は、物事の意味を追い求めると危ない方向へ行くこともあるのではないか、と父が原因のわからない珍しい病気で亡くなって霊能者に騙された後思うようになりました。その霊能者はキリスト教徒ではなかったし、私が完全に神を信じきれていたら心が揺れなかったと思います。でも意味を探し続けて苦しむより偶然そうなったのだと考えたほうが楽かもしれない、と意味と事実の発想が逆になった時に思いました(本当は神を疑ってはいけないのだけど)。

仏教とキリスト教は逆のことが多いようです。それで勉強が嫌になることはないけれど、どこかに共通点を見つけられたら嬉しいです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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なんだか嬉しい

人間が全部把握することは出来ないというのはその通りです。ウチの宗派の祖の道元禅師も「この海がずっと向こうまで続いているのは分かる。でも実際に今、あの水平線の向こうがどうなっているかは分からない。それで当たり前。悟りとはそういうものだ。」と言っています。お釈迦さまの「無記」という教えも同じです。

ただ、必然なのかランダムなのかは、仏教でも議論が分かれるところでしょう。
実はですね、もう10年以上前になりますが、とあるクリスチャンの方と同じ話題になって色々教えてもらったんです。すごく懐かしい気分です。

科学の方の話になりますが、アインシュタインの相対性理論は決定論なのだそうです。この決定論は原因が確定しているから、その原因によってどうなるかという結果も確定しているというご縁の解釈です。
それに対して量子力学は「いや、ランダムだぞ。原因は確定してても、結果は人間が観測するまで確定しないんだぞ。」と反論しました。
この両者は対立概念です。

ところが、アインシュタインは「現代科学にかけているものを補うものがあるとすればそれは仏教である。」と言い、量子力学のシュレーディンガーも「西洋科学へは東洋思想の輸血を必要としている。」、同じく量子力学のハイゼンベルグも「日本の物理学者たちが物理学の発展に対して大きな貢献をしてきたのは、東洋の哲学的伝統と、「量子力学」が、根本的に似ているからなのかもしれません。」と発言しています。対立する両者が仏教を支持しているわけですね。
逆に言えば両者に支持されるだけの対立概念が仏教にもあるわけです。

面白いでしょう?
仏教にはたくさんの宗派がありますが、「お釈迦さまの真意はこうだったはずだ」という議論、さしずめ今の学会の先駆けが仏教であり、その論文が経典なんです。
だからきっと、確定でも偶然でもどっちでもイイんでしょうね(笑)

意味の前に事実があるのは多分ほとんどの仏教でその通りのハズ。意味ありきは…民間レベルで他宗教と融合している部分ではよく有るものなのですが。過去世での行いがーというヤツですね。
でも仏教的には「意味は観測のしようがないからアテにしない」のであって、神の計画なんて存在しない!と否定しているわけではありません。そこもどっちでもイイんです。存在は否定しないけど、仏教徒の心の拠り所ではない…そんな感じでしょうかね。

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有り難し
おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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質問者からのお礼

柳原貫道先生、ご説明ありがとうございます。

私やっぱり間違えて理解していました、これでいいと思って頭に入れてしまう前にお訊きしてよかったです。ご縁は原因そのものではなくて、条件。原因がまずあって、色々な条件が重なって結果(事実)が生まれる。意味は、最初からなかったのですね。

父の病気はまだはっきり解明されていないけれど、原因の遺伝子があってそれに加えて発病するご縁(加齢など考えられる条件)が整ったんです。同じ塩基配列を持ち条件も同じで発病しなかった人もいたけど、それはなぜだかわからなくて、神の思し召しということにしています。何か人間の力でどうにもならないことがあった時、そう考えないと気持ちが治まらないのだと思います。でも生きている限り悪い事は起こり続けるから、何かの為だったんだって意味を求めることを繰り返してどうなるんだろう....と、少し考えてしまいました。

仏教とキリスト教、同じ所が全然ない感じですね。ちょっと寂しいけれど、知っていることと全部同じだったら勉強したいと思わなかったと思います。毎回新しい事を勉強する度に考えが逆転して感動しています。

大慈先生、いつもありがとうございます。

水平線の向こうはまた海かそのうち大陸に行き当たるだろうと考えることはできるけど、今見えないしわからないということでしょうか。禅て、仏教の中でもものすごく難しいあの分野ですね。本を読んだ時に難しくて禅の章は最後までわからなかったんです。読んで考えるより座って瞑想してみればわかるのかと思ったけれど....。あ、今回はご縁のお話でした。戻ります。

実験をする前に理論的にはこうなるはずと推論を立てても結果を見るまで確実ではないという考え、あると思います。量子力学ではなかったけれど、大学の実験でほぼ確実に同じ結果が出るという時にものすごくたまにあれっ?という結果が混じって、実験時の温度や時間等すべての条件を調べてもわからなかったりすることもあったから、これを偶然と言ってよいのかわからないけれどそういうことも起こるんだと思います。でも今まで科学に仏教の思想を取り入れるなんて考えたことがなかったです....。

世界を創った神の存在は信じているけれど、ほとんどの物事の意味は人間が後でつけて悲しんでいる人達を説得しているんじゃないか、と最近思うようになりました。どうにもできなかった悪いことがあった時、何か意味があって何か大切なものの為にこうなったんだと思わないといられないからです。全部後で人が考えたんじゃないかなって....。それでも大きな存在に動かされている感じからは抜けられなくて、時々信じられなくなる時があってもやっぱり神は拠り所なのだけど。

大慈先生へ(追伸です)

今日、仏教の教科書が一冊届きました。前回紹介していただいた本で欲しいものが三冊あって、でも一度に全部は買えなくて....まず今日届いた本を読み始めました。漢字が多くて読みづらいけどこれいいですよ、さすが教科書!お財布は軽くても頭の中はちゃんと中身が入って重くなれば嬉しいです。また色々教えてください(他の人の悩み事の相談に答えてあげた後、余裕がある時に)。

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YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

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