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出家したく思います

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初めましてどうぞ宜しくお願い致します。
私はこの世の苦しさ不条理を思い出家したく思いますが、神様が居るとは信じておりません。
また仏教の輪廻転生などは心より信じたくないです。
出家をするにあたり釈迦の言った教えに近い宗派はございますでしょうか?
また剃髪をしなくても良い宗派はございますでしょうか?
ご回答宜しくお願い致します。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

出家したいのか苦しみから抜け出したいのか

カタチより実質を取ることがおススメです。
坊さんになっても救われなかった人たちを沢山見てきました。どのくらいかというとマツキヨに並ぶジバニャンのチョコボ―ほど沢山沢山見てきました。そんな私が思うに、出家というスタイルは二の次でよいと思います。坊さんの世界に入ると組織ボケ、集団ボケしてしまい、作法やらしきたりやら、覚えなきゃいけないことが沢山で中々本源に辿り着けないからです。
お年玉企画で超ショートカットコースを紹介しましょう。あなたがその苦しみから抜け出すには、自分の思いから影響を受けない心のありようを、坐禅や念仏などの仏行を通して会得すればよいのです。
写経終えてキレた人、お遍路さんから帰ってきて夫婦ゲンカした人、坐禅10年して腹立てているような人もいるのです。それは、実質的な出家でも仏行でないからです。
ゆえに実質的な出家、実質的な出家とは、上記の様に自分の思いから自由になる事であると申し上げているのです。
神奈川でしたら浦上さんのなごみ庵が近いと思いますのでイベントに参加されてはいかがでしょうか?
当山でも、坐禅会を開いています。
座る坐禅はほとんどしません。
坐禅のありようを集中的に学ぶだけです。
機会があれば、いつかお寺にお越しください。
読んでくださって感性がフィットしなければ他へどうぞ。
それまでにひとつ宿題を。
「出家してもしなくても、今日も明日もあなたの人生には思い通りにならないことが影のように付き従う。そういうアクシデントに見舞われた時、あなたの悩みや苦しみは、一体どこで起きているか。過去の苦しみは今そこにあるか。何によって腹を立てたり、苦しむのか。その原因がわかったなら、それはどのようにして原因そのものを無くすことができるか。」
本当の出家とは、衣をまとうことではなく、自我・エゴ・マイルールのセルフセルフした自己から抜け出すことです。
出家とは、これからではありません。
今既に、無為であれば、あらゆる人間的な善悪から離れていることを悟り、出家の要が無き事を悟るはずです。弁道増進をご祈念申し上げます。

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おきもちが子供達の笑顔になりました


丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 質問 📞08020659278 どなたでも。

難しい質問ですね。

お釈迦様の教えに近いかどうかはわかりませんが、タイ・スリランカ・ミャンマーなどの上座部仏教(テーラワーダ仏教)では、お釈迦様の時代からの戒律を守って修行しています。
ただし、戒律では、女性を出家させるためには、女性出家者の立ち会いが必要なのですが、テーラワーダ仏教の国では女性出家者が滅びてしまったため、戒律を守ると、正式な女性出家者を二度と作れないのです。
とはいえ、女性でも、出家者と同様に修行することはできるようです。
日本でも、テーラワーダ仏教の団体はありますのでネット検索などしてみてはどうでしょう。

正式なお坊さんになる場合、ほとんどの宗派では、少なくとも修行期間は剃髪が必要です。
ただし、浄土真宗だけは剃髪不要みたいです。
浄土真宗の教えの根拠となっている浄土三部経という3つの経典(阿弥陀仏による救いがテーマ)は、お釈迦様が説いたという形式で書かれていますが、上述のテーラワーダ仏教にはその経典は伝わっておらず、学術的には、お釈迦様が亡くなって数百年後に作成された経典の可能性があります。
しかし、日本に仏教が伝わったときには、それらもみんなお釈迦様が説いた経典だと信じられていたし、多くの宗派で、そのような経典に基づき教義が組み立てられました。
中国・朝鮮・チベット・日本などでは、阿弥陀仏や観音菩薩など、テーラワーダ仏教には出てこない仏・菩薩もお釈迦様と共に信仰されています。
日本で使われている経典の中には、テーラワーダ仏教では経典と認めていないものがあります。
輪廻転生はテーラワーダ仏教でも説かれます。
輪廻思想は、死んだら終わりという虚無的な考えに陥るのを防ぐ効果があるかも。
確かめようのない来世だからこそ、来世だけは人を裏切らないのです。

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浄土宗教師。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための...

質問者からのお礼

安穏寺 ・丹下 覚元さま

早速のご回答ありがとうございます。
形より実質的な修行をとのお言葉とても腑に落ちました。
自分の思いから影響を受けない心のありようを自分なりに考えたいと思います、また安穏寺 ・丹下 覚元さまの坐禅会にも是非行きたいと思います。ご紹介頂きましたなごみ庵のワークショップにとても興味深い物があり一度行きたいと思います。
今日も明日もあなたの人生には思い通りにならないことが影のように付き従う。
本当にその通りですね、この苦行のような日々と少しでも仲良くなれば時間が過ぎるのが早くなりその分早くお迎えに来て頂けると言うことなのでしょうか。
ご回答深く感謝申し上げます・合唱

願誉浄史さま

難しい問題にご回答頂きありがとうございます。
お釈迦の教えに近い宗派との事で教えて頂いたテーラワーダ仏教この仏教も輪廻転生を説いているのですね、なんとも奥深き仏教と思いました、とても難しいですね。
願誉浄史さま丁寧にご回答頂きありがとうございます・合掌

「出家・得度・僧侶になりたい」問答一覧

浄土真宗・僧になり法要や法話をしたい

はじめて質問させて頂きます。 私はお寺関係の血筋でもなく、付き合い?のあるお寺もありません。 福祉の相談関係の仕事をしており、身寄りもなく独り身で、お金も全くない、菩提寺もないかたを見送ることがあります。 そんな時、せめて私が僧侶なら小さいお葬式をあげて差し上げられるのに。と思うようになりました。 あと、現在新型コロナウイルスの関係で、福祉施設にお坊さんを呼ぶことができません。毎月みなさんとても楽しみにしており、他のことで喜んでもらおうと楽器の演奏など自分に出来ることをしますが、やっぱりお坊さんの話を聞きたい、みんなで正信偈を唱えたいようです。私が僧侶なら法話ができるのにと思うようになりました。 動機としてはハテナ?な点もあるかと思いますが、僧侶になりたいと思っています。アドバイスよろしくお願いいたします。 補足・現在、通信制の大学院で福祉を学んでおりますが、仏教の授業がひとつだけあります。その授業の時に、仏教にものすごくひかれまして、上記の思いが強くなりました。 「浄土真宗」と書かせていただいたのは、私が住んでいる地区では浄土真宗が1番多く信仰されているからです。私や主人は実家が天台宗のお寺にお墓がありますが、実家が県外でお寺との付き合い?もなく、乱暴な言い方ですがお墓があるだけといった感じです。実家の親たちもお墓参りに行くくらいで、信仰してるかどうかといえばそうではないといった状態です。

有り難し有り難し 36
回答数回答 3

はじめまして

はじめまして、ぽん太と申します。 家族に病人がたえず悩んでますが、毎日仏壇などで般若心経など他の経典も 読んでます。僕は、学生時代は一般在家でしたが、道元禅師などの教えにすごく興味があり、もちろんお釈迦様も、仏門に入ろうと永平寺などへ出家を考えた時もありました。40すぎですが、仏門に入るのはもう困難でしょうか。 自分はよくないいじめとかによくあい死のうとも何回も思って首を吊りかけた時もありまぶした、今でもありますが、仏教のことを思うと気が少しは変わります。それと僕は霊感は無いほうですが、頭の中などでは何かが見えたり、聞こえたり、光見たいのが見えたりもしてます。 いろんな宗教宗派をもっても大丈夫なんでしょうか。今では新興宗教とかもあるみたいですが、 家族の病気がちを考え仏教の勉強をたくさんし、仏 菩薩様などにいろいろお経を唱えることで気持ちを和らげていました。 お経には深い意味があることもわかってました。 お坊さんたちに深い教えをいただけたら嬉しく思います。 お経などにも出てくる仏教の苦の意味を知りたいです。 お坊さんたちと交流出来たらいいなと思ってます。 よろしくお願いします。仏教をさらに学んでいく所存です。

有り難し有り難し 10
回答数回答 1

出家の是非について

長文で失礼します。 下記のような問いを持っており、その考究(あるいは超克)に残る人生を費やしたいと考えております。 現在そのための生活様式を模索中で、出家もひとつの選択肢として考えております。   早速質問ですが、 ①下記のような問いは、仏教の中で取り組むに値するのでしょうか。 ②考究にあたり、仏教はもちろんなのですが、その他の学問の助けも借りたいと思っています。出家した場合それは可能でしょうか。   ご回答いただければ幸いです。   ーーーーー   私は相互作用の世界の中に生きている。それはすなわち、常に他者に対して影響を及ぼしている、ということ。しかし、そのような在り方は自然・当然なこととして無視されてよいものではない、と私には思われる。   私の眼前には生きるか死ぬかの選択肢が平等に与えられており、自覚的にしろ無自覚的にしろ、前者を選んで生きている。裏を返せば、私には自死という、他者への影響を自発的に止められる能力が備わっている。   一般的に生きることは尊いとされ、自身の幸福の追求が当然の権利としてみなされている。しかし私が生きるということには、他者の生や意志を損ねる、負の影響が必ず伴う。   そうであれば、生とは害悪ではなかろうか? その害悪性を無視してまで、この生は礼賛されるべきものなのか? 私はただ、生きたいという自分本意な欲求に盲目的に従っているだけではないのか? 生と死を選択肢として与えられている私が、なお自分を生かし続けるのはなぜなのか? 私が生きようとすることを、私はいかにして是認できるのだろうか?

有り難し有り難し 21
回答数回答 2

師僧について

自分は仕事でもプライベートいつも選ばれない人間だと感じていて、今までそれを周りのせいにしてきました。周りを恨んできました。でも最近「それは違う、それは自分のせいだ」と思うようになり、それもまた苦しく数年間悩み続けてきました。その結果、仏教を学びたいと思いある寺院を訪問しました。 そこの寺院は家からはかなり遠いのですが、住職の日々のブログの文章に感銘を受けて訪れました。仏教の制度についての勉強をあまりしておらず、未だよく分かっていない部分もありますが、一度目の訪問のときに在家得度をして修行をすることになりました。得度式までに2回訪問し、お経や念珠について教えていただき、衣の購入と着用の仕方などを教えていただきました。 しかし、実際に師僧にお会いしてみると文章の印象とはかなり違っていて戸惑いを感じました。他の修行僧の悪口ばかり言い、〇〇さんという人がいるけどあの人は声が小さいんだよね覇気もないしありゃダメだとか、××さんという人がいるけどあの人は覚えが悪いんだよねいつまで経っても覚えないとか、事あるごとにこぼします。 更に、他の修行僧や私の個人的なこと(懺悔でお話するような超個人的な内容)を「この人はこういうことで悩んで僧を目指してる」などと大声でみんなの前で言われたのにも驚きました。一緒に修行をするので、そういいったことは公にして共有するものなのでしょうか。 そしていつも尼僧たちにばかり声を掛け師僧の両脇に座らせ、頂きものの菓子を尼僧たちにだけ分け与えていて、これも驚きました。お坊さんだから清廉だとは思いませんが、イメージしていた姿と全く違い戸惑いを感じています。 自分のような考え方は偏っていて堅苦しいですか?会社でも部下のことを重箱の隅をつつくように悪い部分ばかり見て、一方で女性ばかり可愛がる上司もいますが、その上司がどんなに仕事ができても仕事のやり方は参考にしますが、尊敬はできません。 でも師僧には尊敬を求めたい。尊敬できる師の下で修業したい。こんな考え方は青臭いでしょうか。会社と同じように、修行も仕事も同じで、師僧から技術を教わればよしとするものでしょうか。もう得度式も終わってしまい、実際の修行に入っていますが、もやもやとした迷いが生じてしまい悩んでいます。

有り難し有り難し 21
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得度に関して

大学院に通う22歳です。 将来、浄土真宗本願寺派で得度させていただきたいと考えています。 しかしながら、実家は寺院ではなく、無宗教で所属寺院もなければ、現時点で私は門徒でも無いため、どのように立ち回ればよいのか悩んでいます。 近隣に本派の寺院はあるのですが、学生の身分で足を運ぶのはすこし勇気がいることで、なかなか難しいのが現状です。 もともと宗門大学で4年間仏教について学び、より深く学びたいと思ったため、今年4月からは同大学の大学院に進学しました。 得度したいと思うに至ったのは、僧侶として生計を立てていきたいという訳ではなく、この大学で4年間過ごしてきたなかで様々なご縁を頂き自分の中で信仰心が芽生えたこと、またもっと深く知りたい学びたいと思ったこと、そして自らが仏教をこの先も研究していく過程においてやはり実践者として知見を心得ることは重要になるのではないかと考えたからでした。 正直なところ、このような動機で得度したいと言って良いのか、お門違いで身のほど知らずなのではないか、と考えることもあります。この点についてもご意見を賜りたいと共に、こういった場合はどのように動き、ご縁をいただくのが良いのか、ご助言をいただきたく思っています。 何卒よろしくお願い申し上げます。

有り難し有り難し 27
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僧侶になりたいが別の職も目指したい

有難き法縁を最近恵まれて、僧侶になることを考えている者です。仏道に生きることは自分にとって良いだけでなく、それを世に広めることは非常に大きな意味があると思っています。教行信証を読んで、これは広めるべき教えだと深い感慨を得ました。寺族でない者が僧侶になる道もいろいろと調べました。 しかし、私が今まで積んできた学業を捨てて僧侶になることは本当に社会にとって最善なのか、と思いました。(現在、米国の大学に在籍し工学を勉強しています。ちなみに浄土真宗の寺に毎週通うようになったのもこの地です。) もちろん、そこには自分が工学をやりつつ仏教もやるという煩悩もありますが、私がここまで工学の勉学を多額の費用が掛かるにもかかわらず進められてきたのも立派なご縁で様々な人のおかげです。技術者になれば社会に貢献できるとも思います。寺族でない者が別の職業に就きつつ僧侶になり寺を開くことは現実的でしょうか。 親鸞聖人は非僧非俗といいました。関東の農民とともに農作業にも励んだと聞いています。今日でも、別の職業に就き世の荒波に揉まれつつ、僧侶として(例えば、毎週日曜日に自宅をお寺にするなど)人々とともに仏道を歩むのは意味があることだと思うのです。 休日を持たない覚悟はあります。また、通常の寺という形に囚われず、布教所のように小さな形でも仏法を広められるのなら良いと思います。しかし、寺族でない人が別の職を持ちつつ寺を開くケースを拝見したことがありません。実際のところどうなのでしょうか。

有り難し有り難し 23
回答数回答 4

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