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瀬戸内寂聴さんについて

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有り難し有り難し 85

あけましておめでとうございます。

2回目の質問になります。よろしくお願い致します。

いま、NHKで「瀬戸内寂聴完全密着という放送を見ています」(海外でもNHKだけ見れます!)昔からなんとなく気分が悪くなる人だな〜と思っていたのが、放送を見てハッキリと嫌になりました。

私は不倫したことないのでよくわかりませんが、寂聴さん曰く、「恋愛は不倫が醍醐味」
「他人の旦那でもセックス欲、我慢するのは不可能」
なんだそうです。

そして食に関しても、お肉は
「自分で殺して食べるのはダメだけどおよばれされる肉はよろしい」との事です。意味がよくわかりません。

男にとち狂って子供を捨て、三角関係だの、不倫は燃えるだの、そんな体験談を恋愛の神髄といって、これでもか!とお話されていて、女性としてまた人間としても吐き気がしました。

あの方に集う女性たちも似た境遇が多いか、悪を美徳とする様なこんな説法をわざわざ聞きたいと思うのが不思議でなりません。
話しがうまいんでしょうか?

今も
「93になっても、たまにあの時の男たちの声が聞こえてくる」と言っているのでチャンネル変えます。

こんなをの仏門と名乗ってはいけないでしょう!と思うんですが、、
自分のふしだらさを開き直るために、仏の教えを都合の良いように解釈しているだけの人に思えます。

お坊さま方はこの方を率直にどうお考えになられるのか興味があり質問させていただきました。^_^;;


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたが薬にするか毒にするか

物書きや表現者は多少オーバーに言ったり、大きなことを言ったほうが影響力がある事を知っているものです。ドラマ下町ロケットや半沢直樹などは主人公の演技はオーバーでしょう。❝演出❞です。
少しパンチが効いていた方が効果・効能・影響力が強く、良かれ悪かれ誰かの心に❝ヒット❞する。刺さる。そういう関心を惹かせる方法を知っている表現者は奇抜な事を言う。少し大きく言う。それが真実なのヨ、と前面に押し出す。
TVを作る製作者側もそういうパンチがある言葉を選出して編集してカットする。
退屈で無難な言葉を言ってもチャンネルを変えられてしまう。誰も見ちゃくれない。
あなたの場合はそれでチャンネルを変えた。
誰もが抱えていながらモヤモヤした人間の悲しい性がある。
それをハッキリ明言して多くの人から共感を得た人でしょう。
人間、直接的な被害が無ければ、そっちの面はさほど観ずに、公の場でアウトプットされている「押し出し面」の方が広まっていくものです。矢口真里がしくじり先生に出れば世間で嫌われていても視聴率はなんだかんだで上がるのも世相・世の声です。
当時から、小説家としても売れていた。
それが僧侶になってさらに話題性を得た。
人が言わないような事を言う。世の声に❝乗った❞のでしょう。
それが「僧侶」という形を借りた事で効果が倍増した。
そして、それがある種の人間には肯定された。また、癒しとすらなった。
実際のところ多くの共感者を得た。
いまだに嫌う人もいることも真実。
ある種の人間には嫌悪された。
あなたはキライ派。嫌いなら嫌いでいいのです。
ですが、嫌って嫌ってあなたの心に嫌悪ガスが充満すれば、目の前に居もしない瀬戸内寂聴ガスに憑りつかれて苦しむという事。それも愚かしきことではないでしょうか。
人間は不完全を肯定してもらいたいのです。
罪を赦してもらいたいのです。
そういう面ではあなた以上に多くの人を救っている、誰かさんにとって癒しになった面がある。
また、おっしゃられるように確かに人として道を外した非道な面もある。
仏教かどうかは私は存じ上げません。
良いも悪いも、清濁併せ呑んで、そういう本能を肯定し、公言した勇気も評価されてきたことも真実でしょう。
アナタ自身の嫌悪感を乗り越える教材とされると良いでしょう。

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丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 質問 📞08020659278 どなたでも。

現実肯定から来る癒し?

お肉については、お坊さんでも、出されたお肉を食べることはかまいません。すでに死体となっている肉を食べるので殺生ではないし。
不倫は出家在家に関わらず戒律上ダメですが。

しかし、人間は誰にでも煩悩があるのです。
煩悩への共感が救いや癒しになる場合があります。
カウンセラーや福祉の仕事をする人は、相手を否定しないで受け入れることが大事だそうです。間違いを指摘するだけでは相手の心には響かないのです。
ただし、僧侶は、仏教の教師として、正しいこと(煩悩が悩み苦しみの原因であること)を伝えるのも仕事です。
瀬戸内さんの、まず煩悩まみれの人間の存在を率直に認める姿勢は、多くの人を癒すでしょう。
そこから、煩悩を克服する道へつなげるのが大事ですが、瀬戸内さん自身が不倫経験などの後に出家されている経緯を見ても、最終的には仏道に入って行く方向性が見受けられるのでは?
瀬戸内さんは天台宗だったと思います。
天台宗から派生した浄土宗などは、煩悩まみれの人間でも、善人でも悪人でも救われる道を説いています。
天台宗自体に、煩悩まみれの人間の現実をありのままに見つめる素地があるのでしょう。
だからと言って、悪を薦めてはいないのです。
私も瀬戸内さんのことをテレビでしか知りませんが、瀬戸内さんが以前テレビで、「世界は美しい」と言われていたのを思い出しました。
善人・悪人ひっくるめた世界を、「美しい」と肯定する視点があるのでは。

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浄土宗教師。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための...

質問者からのお礼

願誉浄史様 丹下 覚元様
お忙しい中、私のために時間を割いて回答して下さりありがとうございました。

そうですね、ただのテレビに一喜一憂し、新年から気持ちを振り回されてしまいました。

回答を拝見して、とてもなるほどなと思い、
間違いを指摘するだけでは相手の心には響かない、自身の嫌悪感を乗り越える教材とされると良い、
と、教えていただきありがとうございました。

私が外的環境をコントロールできませんし、コントロールできるのは自分だけですもんね。
人の考え方や意見が気に入らない、人のやり方や行動が許せない、このようなことを思ってイライラしてしまう事から直していきたいと思います。
ありがとうございました^_^

「お坊さん・僧侶全般」問答一覧

嫁ぎ先がお坊さん便を使うこと

死後の世界はわからないものだとこちらでも他質問でいくつか拝読いたしました。 現代では亡き親族の供養の仕方は様々かと思います。いろんな考え方があって当たり前だと思うのに、いざ自分のことになると気持ちがついていきません。 私は名家出身とかでは全くないですが、両親はあるお寺の檀家として必要だと思うことはやってきておりました。父は亡くなっております。 私自身、それが普通だと思って生きてきまして、嫁いだら私の実家のお墓に入れなくても、宗派は違えども、嫁ぎ先のお墓・御先祖を大切にし、供養や法要等やるものだと思っていました。 しかし、主人の実家では檀家などの概念がありません。そのような考えがない方も現代にはいらっしゃると分かってはいます。 こちらでも、葬儀は必要なのか、法要は必要なのか、お墓は必要なのか、、、などと、類似の質問はあるかと思います。 ただ、義祖父の亡き後、葬儀はお坊さん宅配便…法要は最低限…。なんだか寂しいような、理解できない気持ちになってしまいました。 ですが、そのときに来ていただいた和尚さまには私としては感謝しかありません。 私自身、正直仏教について詳しく存じている訳では全くありませんのでこのような質問をさせていただくこともどうかとは思うところもあります。 ただ、気持ちの置き所をどうしたら良いのかわかりません。厳しいお言葉でも構いません。何かお示しいただけたら幸いと思い、質問をさせていただいました。よろしくお願いいたします。

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乞食と喜捨に関する考え方

こんにちは、托鉢や乞食に関して、周囲の理解を得たいです。 私は地方都市に住んでいるのですが、街中でよく托鉢を行う人を見かけます。 お財布にゆとりのある時には小銭程度ですが、托鉢を行う方にお分けする事もあります。 …しかし、基本的に一緒に居る連れにはいい顔をされません。 「仏教には喜捨という概念があって、捨て去る事を有り難いと思う、そういった機会を与えてくれる事に感謝するっていう考えがあるんだよ」と説明はするのですが、あまり納得してもらえません。 私は小額で人の為になれれば嬉しい、そんな程度の考えで托鉢をなさる方に施しをします。 ですが、連れには大体の場合、「ああいうのはホームレスとかが僧侶などに変装してやっている。何も知らない人の善意を踏みにじる行為だからそんなものに手を貸すなんて」という具合の反応を返されてしまいます。 連れの言いたいことはわかります。ですがそもそも喜捨に関しては相手が誰だろうと関係ないものと認識しています。 しかし、それを連れに言ってしまうのまるで大事な連れを分からず屋扱いしてるような言葉になってしまいそうな為、いつも「小銭でも喜ぶんだからいいだろ」と終わらせます。しかしその言葉もまた托鉢をしてる方を、私が悦に入るための道具扱いしてるようであまりいい気分ではありません。 ところで私は敬虔な仏教徒ではありません。 人の為にどうのというのも、昔やっていたボーイスカウト活動にて「困っている人を助ける機会は善行を積む機会を頂ける」という考えを持っているからです。(この辺りは喜捨と似ているかもしれませんね) そのせいもあって、あまり詳しい仏教的な教えなどは語れなくもあるのです。 長文乱文になってしまいましたが、要は人は助け合うべきものであり、自分もいつホームレスの方々のようにモグリの托鉢や乞食をせねばならなくなるかわからない以上、誰かに何か出来る時はしておくべきだと思うのです。 こういった考え、仏教的な価値観を持たぬ身近な人に、角を立てずにわかってもらうにはどうしたらいいでしょう? わがままな話ですが、友人は大切なので「アイツは変わり者だ」と思われて距離を置かれるのも、「なんだか面倒くさいヤツだ」と思われて距離を置かれるのも嫌なんです。 支え合いこそ人類の本質にして美徳、そして自己のためでもあるのだとただわかってもらいたいのですが……

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坊さんなのにこれからの将来が見えない

実家が寺で、仏教系の大学に通っている僧侶見習いです。 僧侶が社会システムにおいて必要とされる意義が「人に仮初の夢を見せて心のケアをする」以外しか見いだせなくてこれからの将来に絶望しています。 僧侶は、昔みたいに医者の代わりや教員の代わりをする訳でもなく、月回向や葬儀関連で人々の心を慰めるくらいしかしていません。 僧侶が利益(りえき)を得ることを人々は否定します。実際、聖職であるが故に本来は金銭を対価に何かをするというのはあまりに俗に塗れているような気がします。布施はそれ自体が神聖なものであることは分かっています。 しかし結局のところ、(観光という商売をしている寺は除いて)寺やそこにある僧侶という存在は「嘘をついて金を檀家さんや信者さんから貰う」ものに過ぎないのではないか?と思ってしまっているのです。 道徳を説くならそれはカウンセラーでも哲学者でも構わないわけです。 では僧侶が持つ他とは違うアイデンティティとは何かと言ってしまえば「仏教という仏になる為の指針」なのですが、結局のところ今の今まで人の身で完全に釈尊(応身)と同じステージに立った者もいない訳で。 本当に仏となることが出来るかも分からない教え、しかも数多の偽典があるであろう経典の内容を引いてきて、悩める人々に滔々とそれを説く。自分の中ではこれから自分がなる僧侶という職は、そんなもののように思えてしまいます。 私よりも遥かに経験を積み、たくさんの経典を読んだここにいらっしゃるお坊さんの方々に、私の悩みをただ、聞いて欲しいです。そして願わくは、自分の中の仏教に対する、僧侶に対する悪感情を解く何かを教えて欲しいです。 散文的になってしまい、申し訳ありません。宜しくお願いします。

有り難し有り難し 73
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