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瀬戸内寂聴さんについて

回答数回答 2
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あけましておめでとうございます。

2回目の質問になります。よろしくお願い致します。

いま、NHKで「瀬戸内寂聴完全密着という放送を見ています」(海外でもNHKだけ見れます!)昔からなんとなく気分が悪くなる人だな〜と思っていたのが、放送を見てハッキリと嫌になりました。

私は不倫したことないのでよくわかりませんが、寂聴さん曰く、「恋愛は不倫が醍醐味」
「他人の旦那でもセックス欲、我慢するのは不可能」
なんだそうです。

そして食に関しても、お肉は
「自分で殺して食べるのはダメだけどおよばれされる肉はよろしい」との事です。意味がよくわかりません。

男にとち狂って子供を捨て、三角関係だの、不倫は燃えるだの、そんな体験談を恋愛の神髄といって、これでもか!とお話されていて、女性としてまた人間としても吐き気がしました。

あの方に集う女性たちも似た境遇が多いか、悪を美徳とする様なこんな説法をわざわざ聞きたいと思うのが不思議でなりません。
話しがうまいんでしょうか?

今も
「93になっても、たまにあの時の男たちの声が聞こえてくる」と言っているのでチャンネル変えます。

こんなをの仏門と名乗ってはいけないでしょう!と思うんですが、、
自分のふしだらさを開き直るために、仏の教えを都合の良いように解釈しているだけの人に思えます。

お坊さま方はこの方を率直にどうお考えになられるのか興味があり質問させていただきました。^_^;;


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたが薬にするか毒にするか

物書きや表現者は多少オーバーに言ったり、大きなことを言ったほうが影響力がある事を知っているものです。ドラマ下町ロケットや半沢直樹などは主人公の演技はオーバーでしょう。❝演出❞です。
少しパンチが効いていた方が効果・効能・影響力が強く、良かれ悪かれ誰かの心に❝ヒット❞する。刺さる。そういう関心を惹かせる方法を知っている表現者は奇抜な事を言う。少し大きく言う。それが真実なのヨ、と前面に押し出す。
TVを作る製作者側もそういうパンチがある言葉を選出して編集してカットする。
退屈で無難な言葉を言ってもチャンネルを変えられてしまう。誰も見ちゃくれない。
あなたの場合はそれでチャンネルを変えた。
誰もが抱えていながらモヤモヤした人間の悲しい性がある。
それをハッキリ明言して多くの人から共感を得た人でしょう。
人間、直接的な被害が無ければ、そっちの面はさほど観ずに、公の場でアウトプットされている「押し出し面」の方が広まっていくものです。矢口真里がしくじり先生に出れば世間で嫌われていても視聴率はなんだかんだで上がるのも世相・世の声です。
当時から、小説家としても売れていた。
それが僧侶になってさらに話題性を得た。
人が言わないような事を言う。世の声に❝乗った❞のでしょう。
それが「僧侶」という形を借りた事で効果が倍増した。
そして、それがある種の人間には肯定された。また、癒しとすらなった。
実際のところ多くの共感者を得た。
いまだに嫌う人もいることも真実。
ある種の人間には嫌悪された。
あなたはキライ派。嫌いなら嫌いでいいのです。
ですが、嫌って嫌ってあなたの心に嫌悪ガスが充満すれば、目の前に居もしない瀬戸内寂聴ガスに憑りつかれて苦しむという事。それも愚かしきことではないでしょうか。
人間は不完全を肯定してもらいたいのです。
罪を赦してもらいたいのです。
そういう面ではあなた以上に多くの人を救っている、誰かさんにとって癒しになった面がある。
また、おっしゃられるように確かに人として道を外した非道な面もある。
仏教かどうかは私は存じ上げません。
良いも悪いも、清濁併せ呑んで、そういう本能を肯定し、公言した勇気も評価されてきたことも真実でしょう。
アナタ自身の嫌悪感を乗り越える教材とされると良いでしょう。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

現実肯定から来る癒し?

お肉については、お坊さんでも、出されたお肉を食べることはかまいません。すでに死体となっている肉を食べるので殺生ではないし。
不倫は出家在家に関わらず戒律上ダメですが。

しかし、人間は誰にでも煩悩があるのです。
煩悩への共感が救いや癒しになる場合があります。
カウンセラーや福祉の仕事をする人は、相手を否定しないで受け入れることが大事だそうです。間違いを指摘するだけでは相手の心には響かないのです。
ただし、僧侶は、仏教の教師として、正しいこと(煩悩が悩み苦しみの原因であること)を伝えるのも仕事です。
瀬戸内さんの、まず煩悩まみれの人間の存在を率直に認める姿勢は、多くの人を癒すでしょう。
そこから、煩悩を克服する道へつなげるのが大事ですが、瀬戸内さん自身が不倫経験などの後に出家されている経緯を見ても、最終的には仏道に入って行く方向性が見受けられるのでは?
瀬戸内さんは天台宗だったと思います。
天台宗から派生した浄土宗などは、煩悩まみれの人間でも、善人でも悪人でも救われる道を説いています。
天台宗自体に、煩悩まみれの人間の現実をありのままに見つめる素地があるのでしょう。
だからと言って、悪を薦めてはいないのです。
私も瀬戸内さんのことをテレビでしか知りませんが、瀬戸内さんが以前テレビで、「世界は美しい」と言われていたのを思い出しました。
善人・悪人ひっくるめた世界を、「美しい」と肯定する視点があるのでは。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

質問者からのお礼

願誉浄史様 丹下 覚元様
お忙しい中、私のために時間を割いて回答して下さりありがとうございました。

そうですね、ただのテレビに一喜一憂し、新年から気持ちを振り回されてしまいました。

回答を拝見して、とてもなるほどなと思い、
間違いを指摘するだけでは相手の心には響かない、自身の嫌悪感を乗り越える教材とされると良い、
と、教えていただきありがとうございました。

私が外的環境をコントロールできませんし、コントロールできるのは自分だけですもんね。
人の考え方や意見が気に入らない、人のやり方や行動が許せない、このようなことを思ってイライラしてしまう事から直していきたいと思います。
ありがとうございました^_^

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