hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
2019年のあなたを表す漢字 募集中

亡くなった人に対して手を合わせる時

回答数回答 2
有り難し有り難し 19

度々こちらで質問させていただいています。今回は悩みというよりふと感じた疑問なのですが、ご回答いただけたら嬉しいです。

もうすぐ母の命日なので今度の休日に地元に帰ることになりました。詳しくは聞いていませんが、水あげをすると言われているのと、おそらく時間があればお墓参りもすると思います。

そこで知りたいのですが、亡くなった人のお墓や仏壇に手を合わせる時、心の中で何を思えば(言えば)いいのでしょうか。テレビドラマなどでよく見るのは生きている家族の近況報告(子どもが生まれたり結婚で家族が増えたりした時などに)をしているイメージですが、それで合っていますか?今まで何度もお墓参りをしたり仏壇にお線香を上げて拝んだりすることはありましたが、私はただ漠然と「みんなのこと見守っててね」というくらいでした。

正解があることなのかもわかりませんが、ご意見を聞かせてください。

2016年1月4日 16:36

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたのとらわれを解き放つ

なにもなければただ手を合わせればいい。感謝でもいい。
生前こんな事を伝えたかった。生きていたらこんな事をしたかった。などのあなたの思いがモヤモヤとあなたの中で捉われとしてあったなら、その思いから解き放つように、手を合わせたらいいのです。
そしてスッキリできればいいと思います。
お母様に対する思いがなければ、自分が存在できている事に感謝をしたらいいと思いますが。どうでしょうか。

2016年1月4日 21:06
{{count}}
有り難し
おきもち

浄土真宗では亡くなった人に対して手を合わせることはしません

亀山純史と申します。
浄土真宗の立場からのお墓参りについて、私の考えも織り交ぜながら、お話をさせていただけたならばと思います。
ご質問のタイトルが「亡くなった人に対して手を合わせる時」となっていますが、私の回答のタイトルは「浄土真宗では亡くなった人に対して手を合わせることはしません」です。意外だったでしょうか。葬儀屋さんはよく私に対して手を合わせます。私がお通夜や葬儀等で葬儀屋さんの会館に到着すると、係の人が手を合わせて私のことを出迎えてくれます。しかし、浄土真宗においては、「人に対して手を合わせる」ということはないのです。手を合わせる方向はどこまでも阿弥陀如来です。『歎異抄』の第5条は、「親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏申したること、いまだ候はず。」で始まります。これは、「私、親鸞は、父母の供養のために、念仏を称えたことは、一度もありません。」ということです。では、墓前にてお参りするとき、「亡き人を思ってはいけないのか。」と言えば、そうではありません。「念仏は亡き人のためのものではない」ということであり、お墓参りは墓前にて亡き人のことを偲び、その人の人生から、今こうしてお参りに来ている私たちの人生を振り返ること、亡き人から自分の「いのち」「生死」を見つめ直すこと、そういった機会、ご縁であると言えます。そして、墓前にて念仏を称えることで、亡き人も含めて、今こうして生きている私たちにかけられた阿弥陀如来の働き(本願力)に触れさせていただくのです。そうして、その念仏はまた、阿弥陀如来への感謝の念仏にもなるのです。
以上、私からの回答です。宗派によって解釈が違うところもあろうかとは思いますが、どの宗派でも墓前において「亡き人を偲ぶこと」は同じだと思っています。

2016年1月5日 16:45
{{count}}
有り難し
おきもち

hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...

質問者からのお礼

ご回答ありがとうございました。今までは何となく手を合わせて漠然とした気持ちが大きかったので、勉強になりました。

「供養全般」問答一覧

結婚後の父母の供養

いつもお世話になっております。 こんな歳になって私が結婚をすることになり(同居で義父の介護のお手伝いをするため)、お墓と仏壇を、遠方の兄に託す事になりました。 兄は、お墓の祖父母と父を恨んでおり、直ぐにお墓と仏壇を終わりにして、その後の供養もしないそうです。 父は生前、お酒の依存で暴力が酷く働かず、貧乏だった事を、兄は未だに許せずにいます。そんなお墓をそのままに亡くなった母をも許せないらしく、納骨もできずにいます。 お寺さんにも相談しましたが、「貴方(私)は、嫁ぎ先のご先祖を大事にしなさい。こちらの事は全て置いて出なさい。写真に手を合わせるだけで十分です。」と私の立場を気遣ってくださいました。 そうは言っても、母はまだ一周忌が終わったばかり。母と私は、父の暴力に怯えながら、互いを置いて出ることもできずに、ずっと一緒に生きてきました。母に執着しているのかもしれませんが、この先、何もしてあげられないのが悲しくて辛いです。今はまだ一人なので、写真にお供えとお線香で手を合わせています。 先日、久しぶりに菩提寺の本山の奥の院へお参りしてきました。そこで写経セットが目にとまり頂いて帰りました。作法やお経の意味を調べつつ、母の写真の前で写経をし、心を込めて無心になれたようなスッキリした気分に恵まれました。 命日に奥の院へ納経し、御首題帳を頂いて母の写真に供えました。 仕事が朝方終わることもあり、車を使えば朝のお勤めにも間に合うようなので、次回は朝お参りにもと思っています。 こういった事でも、父や母の供養にはなるのでしょうか? 祖父母は弔い明けをしていますが、父は次が三十三回忌です。兄に託しておきながら、私がお年忌をするのも兄の顔を潰すようで申し訳なく思います。 それでもお年忌はお願いした方がよいでしょうか? 宜しくお願い申し上げます。 それから、、 前回の私の質問の直ぐ後に、他の方への回答で「恩返し」ではなく、「恩に報いる」生き方をと、お坊様がおっしゃっていました。私、質問で何度も恩返しと、、。顔から火が出ましたが、とてもためになりました。他の方への御言葉もいつも拝読して、私にとって、沢山の気づきがあり感謝しております。 いつも長くなり申し訳ありません。

有り難し有り難し 26
回答数回答 1

関連する問答

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る