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新興宗教信者の彼との結婚を反対されています。

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初めて質問させていただきます。

9年付き合っていて結婚を考えている彼がいます。
人柄も良く、この人共にと生活していきたいと思っているのですが、彼含め親族が新興宗教の信者であることで、結婚を反対されています。

私は特に信仰している宗教はありませんが、初詣や七五三など、日本に根付いた年間行事は大事にする家庭で育ちました。
両親は過去にその宗教の信者からしつこく勧誘などをされたことがあり、その宗教を嫌っています。
私も両親も、付き合い始めたころから信者であることは知っていました。

結婚の挨拶をしたい、ということで彼を実家に呼んだときも和やかに話ができ、頑張りなさいという言葉をもらい、彼の人柄を見てくれたんだと安心していたのですが、両親が彼のお父さんの職業を知ってから状況は一変しました。

彼のお父さんは宗教団体施設の職員です。(私は以前から知っていました。)
それを知ってからというものの、両親は挨拶のときの言葉はなかったことにし、大嫌いな宗教に娘をとられたくないと、結婚に断固として反対し始め、生まなきゃ良かった、宗教も彼も一生恨むなどと言われてしまいました。

私としては、彼や彼の家族から宗教への入信を強要されていませんし、お互いの信仰心、考えを尊重しようという考えをお互いに持っているので、うまく生活していけると思っています。
ですが、両親からはその考え方は甘いと言われ、結婚したら入信させられるに決まっているなど、私の言うことを全く信用しません。
家族に悲しい思いさせてまで結婚して幸せか!と言われてしまうと私も弱く、彼と結婚したいと強く思っていても心が揺れてしまいます。

両親にはなんとか納得してもらいたいのですが、私が結婚に向けて進もうとすればするほど言葉がひどくなり、心が痛いです。
彼をとるか、家族をとるかしかないのでしょうか。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

彼に宗教より貴女を選んでくれる愛があるかどうか

こんにちは。新興宗教「担々麺と陳麻婆豆腐セットで1000円お得納得満足教団」の教祖の坦々丹下と申します。
私は自分の宗教だとかよりワイフを選びます。
三度の飯よりマーボー豆腐と担々麺が好きですが(それ飯だ)、さすがに私はその宗教(つーかご飯)よりはワイフを選びますよ。
だって宗教って家族より優先してまでどっぷり浸かるものではないでしょう。
何で家族よりも宗教を大事にしなきゃいけないような宗教でありましょうか。
宗教の前にまず人間でしょう。自分でしょう。
自分まで奪って宗教宗教した人間をつくる宗教は、子育てまでにも影響します。関わらんことです。彼にはそういうふさわしい相手がいます。
たとえば担々麺や麻婆豆腐の前に、それを味わう、口、鼻、舌、身体がある。こっちの方が料理より先のおおもと。
宗教を味わうことにどハマりすることより、この身心が先です。
どうして、結婚相手よりも宗教の方を選択させるような宗教があって赦されるものでしょうか。
どうして、結婚相手よりAKBの追っかけを選択するような人間と結婚すべきでしょうか。
むしろ、そんなガチガチな宗教って私の知っている宗教とは違ってカルト的、商業的なものに感じます。
彼には、その宗教をやめてもらうようにすすめることです。シラフの感覚ではない。
簡単な方法があります。まず、親に彼にはこう言ってみようの、という事です。
「私とその宗教とどっちが大切なの?ある人は、宗教をやめてまで一緒になってくれた人がいるわ。宗教って、生きている人間や家族よりも優先されるべきものかしら?私には深く関わりすぎて洗脳されているようにしか思えない。私を選んでくれるなら嬉しいけど、あなたがその宗教を信じ続けるなら、私は悪いけど他の人と結婚します。」とバッツリいう事しかありません。
そうすりゃ親も納得、彼の本性もしれて納得。お得納得坦々麻婆セットです。
それでその彼がアナタよりAKB、じゃなかったそのシューキョーを選ぶなら、普通に考えて危ない人ですからやめた方がいいです。
そういう人は家族よりも献金を優先しますから。
結婚とは、そこだけは絶対に妥協しちゃいけないものヨ?(^。^)
イイ人は他にもいます。
妥協は絶対にしちゃダメ。宗教よりもその人の人間性ですよ。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

結婚すれば実家は他人

それが女だとご理解ください。
嫁ぐとはそういうことです。
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ご両親は娘がおかしなことに巻き込まれ不幸になるに決まっていると心配なさっています。
あなたは、これからの幸せを信じ彼との結婚を願っています。
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結婚して幸せになれば、今は反対するご両親の心もとけていくことでしょう。
幸せになる自信、いや何としてでも幸せになる覚悟があるのか、もう一度自分自身の心に問うてみてください。

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有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

相手がどんな宗教かによる

相手がどんな宗教なのか、それが重要です。
仮に入信することになっても大丈夫なものかどうか、ある程度リサーチはしておいた方がいいかも。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

質問者からのお礼

回答をいただきありがとうございます。
相手の宗教は、これこそが正しい宗教という教えのものなので、神社やお寺に行くことはあってもお参りはしません。そこが私の価値観と合わないので入信は考えていません。彼も了承してくれています。
それでも絶対に幸せになるという覚悟ができるか、もう少し自分と向き合って考えます。

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