SNSの人と上手くいきません
SNSの人間関係で恐縮しますが、ご相談させてください。
ネットで度々嫌な思いをします。
口だけで態度にせず約束を作りたがるのに
破る人の多さで約束ごとが嫌いになりました。
態度で示して守る人を信用するようになりましたが、示さない限り相手を信用できません。
人の言葉の使い方や、伝え方で誤解されても仕方ない言葉の足りなさ、誤字によって嫌味に聞こえる「幸せそうでなにより」→「幸せそうでないにより」ことで不快を感じたりします
一旦、それらは我慢して見なかったことにするのですが、相手が何度も繰り返すと私も限界で本人に伝えます。
すると相手はこちらの人格を否定して、勘違いするのが悪いと責め立てます。
今でもその人に対しては失礼な人として二度と関わりたくないと思ってますが
その人に陰で嫌がらせを受けています。
また、相手がこちらへの配慮がなく不満を募らせ堪忍袋の緒が切れたときに相手に不満を打ち明けたら私のせいにして逃げた人がいます。
当時は言わなければ良かったととても後悔して、辛い日々を過ごしてました。
月日が経つごとに、やはりあれは相手が失礼だった。そして私のせいにして逃げた相手を今でも好きだとは思えないしもう二度と見たくない。
相手の事が信じれないと思うようになりました。
でも、話せるなら話したいとも寂しく思います。
自分は楽しく平穏に過ごしたいけれど過去に嫌な思いをした人と一緒のSNSに嫌悪を感じます。
しかし、自分は他の人とその場所で楽しく過ごしたいです。
前に進めず何もできません。やる気も下がって嫌なことばかり思い出します。嫌がらせも受けるようになり
今のSNSを手放して、見つかるかもしれないけれど別のアカウントで始めた方がいいのでしょうか
過去に不快に感じる人たちをどうやって許すことができるのでしょうか
許せない限りいつまでも不快感が残り相手を軽蔑した目で見てしまいます。そのような考えはしたくないです
SNSでこちらが一度でも不快に感じてしまうことは、自分にとって正しい感情でしょうか?
ずっと我慢して堪えてきての爆発だったので
爆発した自分がいけなかったのか、我慢し続けて見ないふりを貫き通せば良かったのか
それを思うとゾッとしてSNSの付き合いが分からなくなって怖いです。
私はどうすればいいのでしょうか
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
SNSやめちゃいましょう
そうした文字により、思いを膨らませ、正しい情報が伝わらず、イザコザに・・・
ありがちだと思います。相手がどんな気持ちで送ったものなのか。どんな表情をしていたのか。そんなことは分かりません。
約束は電話や直接会って声を聞きながらすることが大切です。SNSのリスクを十分理解し、そういうものだということをどこかで理解してなければ、思い込みにより失敗します。
振り回され、うまく割り切れないならSNSはやめてしまうのが一番です。
全部一時的なもの
そのコメントもその心情もその時限りの事です。
張り紙やポスターと同じで、それを見ていない時は脳内で機能・作用されていないのです。
ですが、一度見たポスターをいつまでも頭の中で繰り返し繰り返し煮つめればあなたの頭の中はそのことでいっぱいになります。
どんな思いも、その時限り、その場限り、その状況下限りであることを知ってください。
永続するものはありません。
自分で何度も咀嚼して永続させる自分があるだけで、実際のリアル相手は今頃他のことしています。
ポイント:あなたが何度もそのことを思い起こさない様に自分に言い聞かせる。
惻隠の情
ニッポン民族の美徳に惻隠の情がございます。
惻隠の情(そくいんのじょう)
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慮るということです。一を聞いて十を知る。これは世界を見渡してもニッポン民族だけがなし得ることです。
一方、西洋では一を伝えるのに十必要だと言われます。西洋では相手を積極的に理解しようとはしません。理解して欲しくば言葉を尽くせという態度です。
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海外でニッポン人が片言の外国語を話しても「お前は何を言っているのかわからない」と言われます。しかしニッポン民族は外人の片言のニッポン語を聞いてこの人はもしかしたらこう言いたいのではないかな?と積極的に想像しながら相手の言いたい事に辿り着こうと努力します。
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snsで大切なのはそうした思いやりです。
文字を表面的に見るだけでなく、真意を知ろうと心を配るならば誤字脱字が続こうが文字に惑わされずにすむのです。
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相手の気持ちを慮る、惻隠の情
一度考えてみてはいかがでしょうか。
怒りは悩み苦しみの原因
仏教では、煩悩が悩み苦しみの原因だと考えます。
欲・怒り・怠け・プライドなどは煩悩です。
怒りの煩悩は悩み苦しみの原因です。
昨日ケンカした相手とは今日も仲良くしたくない、という執着はプライドの煩悩で、これも悩み苦しみの原因です。
昨日怒った自分を改めて、慈悲深い自分になるのは大変な理性と集中力が要りますが、それを邪魔するのは怠けの煩悩です。
イラっときたときに、相手に言い返してやりたいと思うのは欲の煩悩です。
まずは、自分の煩悩に気づくことが大事ではないでしょうか。
昨日ケンカした相手とでも今日は仲良くできるようになりたいですね。
ある偉いお坊さんのエピソードで、そのお坊さんは、昨日聞いたギャグを今日聞いても、毎日聞いても、同じように笑うのだそうです。
つまり、毎日が新鮮なのです。
嫌な相手でも、一晩寝たら初対面のように新鮮に、礼儀正しくすればよいのでは。
なお、理性と感情では感情の方がバカなので、感情よりも理性を優先しましょう。
「よく、いかり、なまけ、ぷらいど」と唱えて、心の中の煩悩をスキャンする習慣をつけましょう。
質問者からのお礼
お返事ありがとうございます。
けんしょうさまの仰せる通りだと、理性の私は思います。
ですが、感情の私はそうは思いません。文字の世界だからこそ「相手を思いやるのであれば、何度も読み返し、誤解のないよう相手に伝える」これも日本のなせる配慮ではないでしょうか?
意味が通じず、否定的な文字を吐かれ、でも文字に出していない画面の向こうの相手の心情を察するのはエスパーか相手に興味も関心も向かない限り難しいことだと思います。
良い方に考えようとしても最悪なことも考えてしまいます。
例えでも西洋だから日本だからと言われると、なら私は日本人ではありませんね。となります。
外人から意味がおかしい日本語のメッセージを頂いたことがありますが、相手の必死さが伝わるからこそこちらも頑張って読み解きます。
ですが、日本人同士であればなぜそれを言わないのか、言わないから誤解が生まれる。言わなくても伝わるだろうという態度が相手を尊重せず、蔑ろにしていると伝わります。
言葉だからこそちゃんと伝えてくれないと分からない自分がいます。エスパーでもないと、一を聞いて十を知るは難しいです。
また、知ったつもりで実は全然知らなかったということにもなりたくありません。
教えは理解できるのですが、わだかまりが残ります。
願誉浄史様へ
理性と感情は感情がバカというのに笑いました。そうですね、そのバカや煩悩が上手く処理出来ないから悩んでしまうのですよね。
一ヶ月、とても苦しみました。自分を責め、辛い日々を送り、仰る通りに煩悩について考え
反省し、欲の煩悩に振り回す、されていたと考えた末にこちらに相談を寄せました。
何度も書き直し相談しようか迷い、踏み込んだのですが、私にはこちらのサイトは向いてなかったのかもしれません。
これ以上、自分を苦しめたくない、そして徐々に相手を好きではなくなり嫌いになっていく。
それを止めたかったです。難しいです、感情を抑えてしまうと死んだ人間のように
死にたくなります。なら死ねば良いと仰るのでしょうか?
煩悩はもう気づいてます。それを上手く処理が出来ず困り果て
昨日喧嘩した相手と今日は仲良く、出来るならそうしたいです。ですが、相手がその気がなく連絡も出来ない状態だとどうしようもないですし
嫌がらせをしてくる相手にはもう関わらないことが一番だと思います。
煩悩の話、ありがとうございました。改め、心を沈めるときに思い出させていただきます。
円通寺 / 邦元様
そうなんですよね。やめれば気に病むことなんてなくなりますよね。それができればここまで悩むことはありませんでした。
相手が一方的に約束ごとを宣言して、それを期待して待つ私がバカだったと痛い思いをしてたはずなのに、また同じ罠に引っ掛かるとかアホらしいです。約束といっても会うとかではありません。
ネットで出会った人とはリアルで会ったり電話するなんてこと絶対にしたくありません。ので、相手の言うことを信用しないのが一番なのですね。
いつまでも、その場所にいるから気に病んでしまう、ならいっそ相手の言うことをもう二度と聞くことはせず、待つこともせず、見ることもせず
信用することもせずSNSをやめて忘れて無かったことにして
離れれば自分だけは助かるということですね。
SNSをやめるというのはそういうことだと思います。残された人のことを考えもせず、しかしそれは一瞬で、だれもがその人のことを忘れ
仲良かった人がたまに思い出すくらいなのだなぁと
私は相手を忘れたくないがための執着が残ってたと気づかされました。ありがとうございます。
少しずつ離れようと思います。
もう、その人のことは信用しません。
そういう人だったのだと忘れることにします。