夫との話し合いについて
主人と子供の3人暮らしです。
話し合いの際の主人の対応について相談させてください。
主人が話し合いを始める段階で聞く体制になっていないことが私の中でモヤモヤするのです。
私が話しているのに、
・目を閉じて聞いているのかさえ分からない様子
・目を合わせようとせずに上の空
・そのうち「力が抜けてくる」「眠くなってきた」などと言って話し合いから逃げる、このようなことが毎回私の中で嫌でした。
とても頼りなくて、どうしてもっとしっかりしてくれないのかと思ってしまいます。
なので、今回、話し合いをする前に、「ちゃんと目をあけて、私の話を聞いて。これからも色んなことで話し合いが必要になってくるんだから、毎回こんな状態は嫌だ。どうしてちゃんと向き合って話をきこうとしないのか。途中で無言になって目も合わさずに眠ったような状態になるのか。話し合いからいつも逃げるのか。ちゃんと必要なことなんだから最後までお互いが妥協できるところはしあって話し合いをしようよ」といいました。
しかし、うなづく程度で全くこちらをみようとしてくれません。
むしろ明らかに面倒くさい、といった表情、態度を見せてきます。
すると「何度、同じことを言えば気が済むの?なんで同じことを何回も何回もいうの?一回言えばいいだろ。何分間これに耐え続ければいいの。どうして、いつも責められないといけないの。全部僕が悪いの?(足をバンバンして苛立ちをみせてきます)」と言われました。
結局、子どもが遊んでと言ってきて、そのまますっきりしない状態で終わりました。
私としては、「悪かった。これからは気を付けるようにする」と一言いって、態度で示してくれたらそれでいいのに。。。と思っているのに、主人は謝りもしませんし、今日も普段通り話しかけてきました。
私は、すっきりしたいのに、もやもやのままで今も過ごしていて、素直ではないけれど主人に笑って対応などできません。でもこのままでも駄目だとわかっています。子供の前でもよくありません。
主人は最近ちょっとしたことで切れやすくなって、言葉でも怒鳴ったり、態度でも足で激しく貧乏ゆすりするようになったりしました。
以前までは、足でバンバンするようなことはありませんでした。
私のこのモヤモヤ、どうしたらいいんでしょうか。
主人への対応、考え方、教えてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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ダンミカの話
「馬の耳に念仏」…ってカンジですかね。
さてこの諺、お坊さんがありがたい念仏を唱えても馬にはそんなものの価値はわからないから無意味ということですが、、、
あれは馬が悪いのでしょうか?
努力の方向性を間違っているお坊さんが愚かともいえます。
お釈迦さまの弟子に有能で正義感の強いダンミカという方がいました。
正義感が強い故に短気で、他人のちょっとした悪が許せない人物でした。
なので人には疎まれて、次第に孤立して行くところがなくなってしまいました。
それに悩みお釈迦さまに相談しました。
「私は間違っていない」というダンミカをお釈迦さまは叱責され
「あなたに糾弾された人の悲しみ、悔しさを思いやりなさい。たとえ他人に落ち度があっても、それがそなたの怒りによって是正されるわけではない」と説きました。
話し合いは確かに必要です。
でもやり方を間違えると話し"合い"になりません。
ダンミカのようになっていませんでしょうか?
正義は時として人を傷つけます。
そして怒りは蔓延して家庭を怒りの色に染めるのです。
自分を基準にして物事をみると何故か苦しくなるのです。
旦那さんの目線で自分の姿を観てみましょう。
それを意識していけば、きっとちゃんと話し合えますよ(^^)
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
正義が人を傷つけるという考え方、私の中にはありませんでした。
相手の目線で自分をみるのは、なかなか難しいですが、やってみます。