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亡き親友の供養がしたい

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初めてご相談させていただきます。
7ケ月前、兄のように慕うかけがえのない大親友を亡くしました。病室に可能な限り日参し付き添っていました。転院の為の3日間の自宅での待機の間に転倒が原因であまりにも早く突然逝ってしまい無念な思いが消えません。あまり気遣いのない家族と感じていた私の心配が現実になってしまいました。
親族の意向で身内だけでの葬儀でしたが、他人は私只ひとり参列させてもらいました。
時折墓参ができると思っていましたが、49日を過ぎて自宅にお参りさせていただいた際、お仏壇は閉じたまま、そして奥さんの考えが当初と変わったのか?費用等を口にされ、墓石は建てず遺骨は数百キロ離れた他府県の教会(奥さんが数年前にクリスチャンと知りました)の納骨場にと聞かされまた。
墓地は親友が生前準備しており、資産も預金も十分遺されてる事を知っているだけに釈然とせず、少し口論、夫婦仲も少し問題があったようです。元々私は親友の家族との付き合いはなく、それ以降コンタクトを断っていません。
信仰の違う奥さんの意向がそうであっても子供達が反対し、墓石は・・・と望みを持っていましたが、結果は望みは断ち切られたと分かりました。
それぞれの考え方があって然るべきだと思いますが、親友をないがしろにされているように思われ、寡黙で温かく、精一杯頑張ってきた友人を想うと腹立たしく悔しく思っています。
懇意になってわずか2年ですが、お互い何でも話せ分かり合えた友、唯一心を開いた親友でした。
私にとって家族同様の友人、私なりにずっと供養をしたい気持ちを抑えられず、自分の部屋に写真を飾り、遺品と花とお水を供えて毎日手を合わていますが、御位牌がある訳でもなし、これで供養になるのか?自身どこか物足りなさを感じています。
墓参が叶わず、戒名もわかりません。月命日には特別何か供養ができないだろうか?
他人の私がどのような事ができるのかアレコレ考えるばかりです。
どうかアドバイスお聞かせ願いたく、よろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

たむけてさしあげてください

仏に供養するという事は香華燈燭湯菓茶浄水などをお供えすることであると共に、供養する人間もまた仏の教えをともに養いあうから供養というのです。
せっかくですからお供えするだけではなく、共に分かち合った心があるでしょうから、仏さまの御前にて仏の心を分かち合って頂くことで、今後matu様も安楽なる一生を得ることができるでしょう。
香を供えるのは、無常・無我・寂滅を互いに悟り合うためといえます。
お香を供える時に、お線香が燃えていくさまをみながら、自分の心が前の辛い事を離れて救われていることを感じてください。
煙という間にその姿が変わっていく。人間の考えや言葉を離れた無我なる姿が、香に限らず一切のものの本質です。元々誰のものでもなかったご友人が、奥様によって私的な扱いをされてしまった。ですが、それをまた私的にこちらが働きかければ自我と自我の争いになります。
いまやご友人は大きな世界に寂静なる法相として安住されておられます。
涅槃とは、人間の価値や見解から遠のいたありようです。
そういう気持ちでお線香をた向けて頂ければ、心残りなく、互いに今後もより良く関わっていけることでありましょう。
字数の関係で以下、端的に申し上げますが、
花を供えるのは憂いや迷いを離れ互いに清浄なる心に目覚めんが為。
燈火を供えるのは互いに無明・哀しみ、切なさの心の闇を離れんが為。
果物を供えるのは互いに無上菩提仏果、悟りを成ぜんが為。
菓子を供えるのはどんな人の心にも入れる変幻自在な心を得んが為。
茶を供えるのはこのたびのにがき思いも薬とせんが為。
生前ともに分かち合ったものをお供えするもの良いでしょう。
共に盃を傾け合うのも良いのではないでしょうか。
ご友人のご成仏とmatu様の成仏をお祈り申し上げます。

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お悩み相談08020659278
💕禅ママ説法💗 禅ママの超簡単!不安消しテクニック! (*´ 艸`) 人生って、ちょっぴり不安がいっぱいよね? でも大丈夫! 「現実」と「頭の中だけ」をちゃんと見分けられるようになれば、不安なんてちっぽけなものよ! だって、みんな「もしも~」「もしかして~」って、頭の中で勝手にドラマ作っちゃってるだけなんだもん。 (˘ω˘) 「あれが起きたらどうしよう」とか「こんなことになったらどうしよう」って、まだ何も起きてないのに、勝手に心配しちゃうのよね。 だから、今この瞬間、目の前にあるものに意識を集中してみよう! ✨ 見えるもの、聞こえるもの、感じてること… そうすれば、どんなに不安なことがあっても、"今ここ" に戻ってこれるわよ! 心配事って、まるで映画の予告編みたいなのよ。 まだ何も始まってないのに、ドキドキハラハラしちゃうでしょ? でも、実際は、今この瞬間、目の前で起きていることだけをちゃんと見ればいいのよ。 そうすれば、心はもっと穏やかになるわよ。 不安を感じたら、ちょっと立ち止まって考えてみてね。 「この不安、本当に今の私に必要?」 「今、目の前で起きていることは、一体何?」 そうやって、現実と想像の違いに気づけば、不安に振り回されることも減っていくわよ。 だから、今日一日も、"今" をしっかり感じて、笑顔で過ごしてね! (*´ 艸`) じゃ、行ってらっしゃい!

紙に俗名

遺影は片付けて、紙(止まり木)に命日、俗名を書きます。
その紙に毎朝、熱いお茶を丼に入れお供えします。
命日俗名を読み上げ「今からお題目を送ってやるからな」と声に出し南無妙法蓮華経と5分間大声で唱えます。届け!届け!と。
全身全霊で唱え大体100回くらいになります。そのお題目が湯気に乗り亡き人に届きます。
お茶は毎朝、新しいお茶を沸かします。
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いろんな考えがあっていい、というのは間違いです。それが世の中の常識を曖昧にし、100人いれば100人の道徳観を生み社会の統制がはかれなくなるのです。
法華は国家の有り様が国民の生活基盤を左右するという教えです。さまざまな考えを統制しなければ国家は成り立ちません。
価値観の多様性を認めれば闘争はおさまりを見つけることが出来なくなるからです。
統一された宗教意識を整えひとつの道を皆が労り合いながらすすむ、だから一個人の心も安楽になるのです。
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大親友の一族各自の心がバラバラだったため亡骸の扱いも酷いものとなりました。
せめてあなただけでも心を込めて追善供養をなされば大親友は大変な喜びを得ることは間違いありません。

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おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

質問者からのお礼

早速ありがとうございました。
アドバイス、参考にさせていただきます。

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