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喜びも悲しみも何も感じたくない

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有り難し有り難し 14

何かに挑戦する気力がありません。
仕事は好きで、色々あるけれど日々の生活に感謝しています。
しかし、仕事以外に何もする気にならず、仕事と家の往復のみ、そんな毎日を送っています。
感覚が麻痺しているというか、挑戦して傷つくことが怖いから自分を守っているというか。
何に対しても無気力になってしまいます。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

苦しみを糧として

今、あなたは満たされていますか?

日々の生活に感謝はしていても、満たされなさがある、でもこれ以上踏み切る勇気という気力がないのではないですか?

本当は喜びも悲しみも感じたいから、そうではない今が満たされないのではないですか?

でも本音を言えば喜びのみを感じたいと考えるのが人間です。みんなそう「思う」のです。私だってそうです。だから悲しみを感じるくらいなら今のまま安全なところにいようとも「思う」んです。
でも、それはどこまでも「思い」なのです。思いは自我意識が生み出す「都合」です。この「都合」が満たされることが喜びだと人間は「思い」ますが、真の喜びとはこの「都合」や「思い」が破れた世界、超えた世界にあるのです。

マズイ食べ物を食べたこと、友達とケンカしたこと、失恋したこと、仕事で失敗して怒られたこと…どれも都合は悪い事です。できれば経験はしたくないものです。

でも、それだけではない。めんどくさい・煩わしい・ウザイ・悲しい・辛い・苦しい…その中にも喜びはあるのです。

仏教の象徴は蓮の花。ここはhasunoha-ハスノハ。蓮は泥の中に根を伸ばす。泥は苦しみの象徴。蓮は泥を避けるのでなく、泥にまみれて、泥を栄養として活かして、やがて泥に負けない美しい花を咲かせます。

苦しいその時は自分の都合の悪さに「こんなことならやらなければよかった」としか思えないかもしれません。
でも本当は、自我意識を超えたあなたの本心は喜びも悲しみも引き受けてキレイな花を咲かせたいと願っています。

いきなり、無気力からひるがえって気力が湧くことは難しかもしれません。でも少しづつ挑戦していく中で、苦しみながらでも不思議と身も心も活かされていく、そんな道が開けますように。

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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仕事が楽しいと思える、素晴らしいことです

仕事が好きでいいじゃないですか。それが生きがいになるのでしょう。虚しいこともないでしょう。仕事の工夫を楽しみの一つにしたらいい。家庭がつまらなければ、美味しいものを食べることでもいいじゃないですか。趣味のようなものがあってもいい。
やる気が出なければお寺のお勤めに参列したり、坐禅会や写経会いまはヨガの会など様々ありますので、そういうものに参加したりするのもいいですね。興味はない後から湧いてきますよ^ ^

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有り難し
おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺副住職。 悩みを吐き出す事で、ちょ...
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質問者からのお礼

過去にストレスから精神的にひどく病んでいた時期があったので、苦しみ=悪だと思いこんでいました。
苦しみの中に喜びがあるとは思っていませんでした。
今は洋服を選ぶ気力、なにを食べるか決める気力なども失っていましたが、勇気を出してやってみたい事に挑戦してみようと思いました。
ありがとうございます。

ありがとうございます。
興味は後からわいてくるものですよね。
今の仕事も何となく始めたのですが、やってみたら意外と楽しかったです。
今では仕事中が人の為(社会やお客様の為)に役に立っていると唯一感じることができる幸せな時間です。
今回質問させていただいて、自分が何をしたいのかわかりました。
自分のことばかり考えずに、もっと人のためになることを積極的にしていこうと思います。

「心構え・生きる智慧」問答一覧

物損事故を親に隠しています

いつも皆様には助けていただいております。 初めて来たお店の駐車場で空きがなく迷っていたところ、間違えて別の施設の個人用(?)の駐車場(かなり狭い)に入ってしまいました。そこで出ようと車をバックしたときに壁の角にぶつけてしまいました。 ぶつけたところは虫食いみたいな小さい傷が3〜4つ並んである程度。、元から駐車場全体が老朽化していてボロボロで他のぶつけ跡もいくつかあったため「どうすれば良いかわからなくて怖いし、目立たないから大丈夫」と魔が差し、この場から去ってしまいました。後から他人の所有物を傷つけて逃げたことに対しての罪悪感で苦しくなり、駐車場の管理者に電話で事情を説明し、「弁償しに伺います」と例の駐車場へ戻りました。 管理者の方につけた傷を確認してもらったところ「2万円でいいよ」とその場で先方が決めた修理代を払い、証拠として領収書も出していただきました。最後に自分の連絡先を書いた紙を相手に渡し、その場は丸く収まりました。 車にもキズが出来てしまい、親に見つかり「どうしたの?」と聞かれたとき、他人の駐車費でぶつけたという勇気がなく「ちょっとうちの敷地で…」と嘘をついてしまいました。 先方からは一度も連絡がきていませんが、いつ嘘がバレるか…とヒヤヒヤしています。

有り難し有り難し 1
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心配症と不安(親の病気や死)

自分の性格は心配症です。 例えば車を運転していたら、この角から人が飛び出してくるかな?自転車に乗った人が急に来るかも?反対車線の渋滞した車の間から人が出てくるかも?と心配になります。 本題は、自分の親がもし病気になったら、亡くなったら耐えられないと、不安に襲われることです。 いま現在、両親はありがたいことに健康で生きていますが、急に病気にかかるかもしれない、急に亡くなるかもしれないと考えると、不安で仕方ないです。 歳を取ったことによる両親の体の不調が、もしかしたら大病(がん、心臓や脳の病気等)かもしれないと、急に不安で心配でたまらなくなります。 心配し出したらきりがないですが、最近はとても不安でたまりません。 もちろんいつか人間は亡くなりますが、自分が両親の病や死の時を迎える時、耐えられるのか、どう対処したらいいのか、分からずにいます。 大切に育ててくれた両親がいつまでも健康で長生きしてほしいですが、いつかはやってくる別れの時を想像すると、不安で仕方がありません。 どのような心構えでいるべきか、不安に襲われた時はどう対処したらいいか、教えていただけないでしょうか。

有り難し有り難し 18
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毒家族たちとの付き合い方

20年以上前ですが、両親が離婚しました。 両親は結婚当初からずっと、お互いを軽蔑しあっていたし、母は父との夫婦生活が耐えられないという理由で離婚しました。 私も兄も、その騒動に巻き込まれ、新婚だった私は、とても子供をつくるどころではなく、不眠症を患い、兄はその後、統合失調症を患いました。 私はほどなくして子供ができ、10歳になりました。両親は、孫ができたことを知っているのに、孫にお年玉、お小遣いをやるでもなく、おじいちゃんおばあちゃんらしいことをなにひとつしません。 子供たちである私や兄をこのような病気にしておいて(私も不眠症から統合失調症になりました)孫に小遣いもやらず、親らしいこともせず、私や兄の嫌がる塾へ無理矢理行かせ、私がいじめに遭って自殺を考えていたときも、助けてくれず、お前が悪いと決めつけ、泣いて嫌がる私を引きずって学校へ連れていき、私も兄も、本当にやりたいことはなにひとつやらせてもらえないまま学生時代を終えました。 やりたくないことをやらせ、やりたいことはやらせず、孫がいても知らん顔、子供たちが精神を患うほど傷ついても、その傷に目を向けず、ただ自分たちが生き延びることにだけは貪欲で、母は兄に縋って生き、父は独り暮らしです。 兄もひどかったです。いつも私から小遣いをまきあげ、同じ中学だったのに、私が殴られているのを目撃しても知らん顔、こういう家族を持ってしまった我が身をたまに呪い、病気の相乗効果もあって、落ちるときは日がな一日、床に伏せて、起き上がれず、食事もできない日もあります。 そんな私の唯一の楽しみであり生き甲斐、仕事は絵です。絵でお金をもらっています。母がいつか「あんた、まだ描いてたの?」と露骨に嫌な顔をしました。あの時の顔を一生忘れません。絵は私の誇り、生き甲斐であり、アイデンティティです。 私はその絵で、栄誉ある賞をもらったこともありますし、お金も稼いでいます。それを傷つけた母も許せず、行きたかった絵の専門学校にも行かせてもらえず、何より死を考えるいじめに遭ったときも助けてくれなかった家族を恨み憎んでいます。 こういう毒家族でも、介護してやり、葬式を出し、涙を流さなくてはならないでしょうか? ご回答お待ちしております。

有り難し有り難し 21
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ