ボランティア行ってきました。
質問というより報告になってしまいますが、ご容赦ください。
また、誤字等あれば、ご容赦ください。
先日、「ボランティアに行くんですが…。」というタイトルで投稿した竹丸です。
岩手県にボランティアに行ってきました。不安もある中行ってきましたが、楽しかったです。
離れた場所という事で、周囲を気にせず、昔の自分に戻った感じでした。
3週間でしたが、ふと日数を意識するまでの2週間は、1週間しか経ってない感覚でした。
本当に色んな思い出ができました。何点か述べさせて下さい。
宿泊先で芸術家の人達と仲良くなった。
タイの人達に、適当な日本語で歌った「ヤキイモ」というタイの歌を教えてもらったり(割り勘四個・・・うなぎ重い・・・ヤキ~モ~♪)、虹を書いたり、縦長のカメラで写真撮ってもらった。
ドイツの人には土を紙に丸く塗った絵を見せてもらった(タイトル含め激しく前衛的だった)。
宿泊先近くのお寺にお邪魔し散策、勝手に墓地に入っていいのか解らなかったが(宜しければ回答で教えてください)、最後まで行くと東日本大震災で身元が不明で亡くなった人達のモニュメントとプレート状のお墓があり、合掌した。
元々のボランティアが早く終わり、別のボランティアをすることに。
新たに植える松の苗木を風害などから守るため、周りを囲む竹のすだれの一部工程を担当。
作業中、hasunohaであるお坊さんに教えてもらった「松に古今の色無し 竹に上下の節有り」 を思い出しながら作業。
他にも様々ありましたが、書ききれないので、やめて置きます。
今回何を得たかは、正直わかりません。ただ楽しかったという思い出だけは残った感じでしょうか。
今後も色々不安はありますが、その時は質問させてください。
他にも興味本位で出た質問もさせてください。お願いします。
それと前回、自分の家の菩提寺の住職に幻滅したと書きましたが、幻滅という部分はどうでもよくなりました。
ただ、後日質問するといったので、そこから生まれた興味本位の質問を後日させて頂きたいと思います。
多分、くだらない、小生意気と、その時思われる方もいるかもしれませんが、お付き合い頂けるお坊さんがいてくれたら幸いです。
ボランティア行く前、相談乗ってくれたお坊さん方ありがとうございました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お帰りなさい
などと書くと馴れ馴れしい感じですがご容赦のほど。
実は私も年末の一週間を、自分のホームグラウンドから離れて、単身で過ごしました。色んな出会いがありましたし、文化の違いを肌に感じもしました。やはり「何を得てきたの?」はあまり明確ではないのですが、血肉となって、何かしら私の視界を変えてくれるような気がしています。
気持ちよかったのですね、ボランティア。お帰りなさい。
私も出来る範囲のことをしていきたいと思っています。
岩手県の亀山純史と申します。このたびは、陸前高田市のボランティア活動に参加していただき、誠にありがとうございました。私も震災直後に同じ岩手県の大槌町に、民家に押し寄せた瓦礫撤去のボランティアに参加しました。また、陸前高田市へはちょうど震災一年後の日に、隣接する大船渡市を回りながら訪れました。大船渡市は私が新採用で務めた高校があった地で、陸前高田市へもその当時はよく訪れていました。大船渡にしても、陸前高田にしても、震災前の風景を知っているだけに、当時の思い出とともに、悲しみがこみ上げてきました。
大槌でのボランティアでの出来事を一つ紹介します。それは、ボランティア中に、私はぬかるんだ地面に足を取られ、右手の親指を捻挫してしまいました。その時のボランティア参加者で、捻挫した人は私以外にいなかったので、正直、「何で自分だけがこんな目に遇うんだ。」と思ったのです。しかし、考えてみれば、今回の震災で被災した人はみんな「何で自分たちが...」と思っているのではないか、と思いました。
そしてもう一つ、陸前高田市の戸羽市長の「被災者は24時間被災者である。」という言葉を紹介させてください。ボランティア活動ため、多くの方が被災地を訪れています。私の大槌での活動のように数時間のみの人もいれば、数日に渡ってボランティア活動を行った人もいます。そしてボランティア活動中は、被災者と同じように不自由な生活が強いられます。(現在は、そうではありませんが、被災直後は、電気も水道も不通の状態での生活です。)しかし、ボランティア活動が終了すれば、私たちにはまた不自由のない生活が待っているわけです。それに対して、被災者の方々は、24時間、明日も明後日も被災者である、ということです。
私がボランティアを通して「何で自分たちが...」という被災者の思いを感じた時に、さらには戸羽市長の言葉に触れた時に、このような状況において何を生きる糧とすべきか、と自問自答いたしました。そしてその答えは、「それは宗教なのではないか。」ということでした。このhasunohaも、今回の震災を縁として生まれたサイトです。
復興も道半ばです。これからも私に出来る範囲のことをしていきたいと思っております。
改めまして、ボランティア活動に参加していただき、感謝申し上げます。
東北に住む一員として、御礼申し上げます
ボランテイア活動、ご苦労様でした。東北の被災地に住む一員として御礼申し上げます。
岩手の沿岸部は復興事業のスピードは若干遅いように感じます。陸前高田や大船渡の復興仮設商店街オープンも宮城の被災地よりも遅かったと思います。岩手の沿岸部は新幹線や高速道路からのアクセスがあまり良いとは言えないため、どうしてもボランテイアも集まりにくいと聞いております。そういう状況の中で、ボランテイアをお勤めいただいたことに感謝申し上げます。
陸前高田のお寺さんの墓地で大震災物故者を慰霊するモニュメントをお参りくださってありがとうございます。まったく見知らぬ方であっても、震災で亡くなられた方々の冥福を祈り、ご遺族たちの平安を祈っていただけることは、ありがたいことだと思います。
施食会(せじきえ 宗派によっては、施餓鬼会)という法要の中で唱える回向偈に次のような言葉があります。
存者福楽寿無窮(そんしゃふらじゅぶきゅう)
生きとし生けるものが幸せでありますように
亡者離苦生安養(もうしゃりくさんなんよう)
亡くなりし方々が苦を離れ安らかでありますように
モニュメントには、このようなお気持ちで合掌して下さったことと思います。今後も、このような祈りを捧げていただきたいと思います。
無事のご帰宅何よりです
ボランティアの一番の醍醐味はボランティアをする、ボランティアを学ぶという事ではなかったはずです。
そこで学んだこと人との出会いが宝であり力となるものです。
今後のご活躍を御祈念申し上げます。
質問者からのお礼
誤字等あれば、ご容赦ください。
吉田俊英さん、回答ありがとうございます。
なんかお坊さんにありがとうございますって言われるの恥ずかしいですね(赤顔)
こちらこそありがとうございますです。
何故こちらこそなのかは亀山純史さんへの返礼で書かせて頂きます。
宿泊先にいた阪神淡路大震災を経験した大阪から来た土木建築の方と話す機会があり、やはり遅いと話していました。
プロが言うんだから、やはり遅いんでしょう。
モニュメントとお墓は、散策中本当に偶然巡り合いました。
お寺の中では一番見晴らしがよく、そして陸前高田の海の見える場所でした。
彼らには今この海がどう映っているのか、夕日に照らされる海を見て、そんなことを想いました。
「松に~」に続いて新しい言葉教えてくださってありがとうございます。
日々生きている内に、つい頭の中から忘れてしまうが、大切なことを述べている言葉だと思います。
蛇足ですが、解りやすく書いてくださった「生きとし生けるものが」を見て、ふと森山直太朗さんの「生きとし生ける物へ 」を思い出しました。
ただ歌詞がちょっと悲しいので森山直太朗さんには失礼ですが「生きとし生ける全てのものへ 注ぐ光と影 花は咲き大地は甦るそこに朝は来るのだろう」で今聞いていました。
聞いている内に最後の「もはや僕は人間じゃない」という歌詞が、亡くなった方の御霊が、神様みたいになって、残った人たちを見守っているような気で聞いてました。
復興が早く進むことを願います。
変なこと書いてすみません。ただ伝えたくなってしまいました。
宜しかったら聞いてみてください。
佐藤良文さん、回答ありがとうございます。
馴れ馴れしいなんて、とんでもない。
ただいまです。
そうですね「何を得てきたか」を自問自答すると出てこないものです。
ただこの後、亀山純史さんへの返礼で書こうと思ったことが、得てきたものなのでは、と思うようになりましたので、良かったらそちらの方も見てみてください。
「気持ちよかった」という言葉に得心。ああそうか自分は気持ち良かったのかと、なんかストンと心の中に落ちました。
行く前にも相談にのってくださり、ありがとうございました。
亀山純史さん、回答ありがとうございます。
ちょっと文章だと、棘々しい感じ持たれるかもしれないので、笑顔で書いているイメージでお願いします(笑)
亀山純史さんの回答を見させていただいて、思ったのは「あー(なるほど)、自分にはない考え・経験だ」というものです。
というのも、行った時期や見た・聞いたの場所が違うので、感じたものなどが違うんだなと、良い意味で感じ、考えさせられました。
だからというのも変ですが、自分の感じた、経験したものをシェアしてほしいと思い、それを書いてみたいと思います。
元々のボランティアが早く終わり、別のボランティアをする際、新たにお世話になったNPO団体の人に、「ボランティアは頑張り過ぎない、つい熱中して怪我したり、具合悪くなると、次からボランティアしてほしい人たちが頼みづらくなるから、だから自己管理・自己完結が大事」と言われました。
陸前高田の伝承館という所では「私が見たことを、私はここから離れることはできないから、あなたが伝えてね。それがあなたのボランティアよ」と語り部の方に言われました。
桜を津波の浸水ラインに植えている認定NPOの理事の人と、1対1で話せる機会があり「慰霊碑などばかりだと、どうしてもマイナスのイメージだけ与えるから、これからの子供たちのために桜を植えている」「ボランティアというと、どうしても上下関係ができてしまう感じがするので、参加させてくださいという人たちを募集して、参加者の方と呼んで対等な仲間になるようにしている」など教えてくれました。
特に参加者の話は、自分は、ボランティアとして労働力を提供しに行くというより、自分もなにか得たいボランティアさせてという、win-winの関係を築きたいと思っていたので、なんか嬉しかったです。
自分が教えてもらったことは、おそらく震災直後のボランティアだと得られない経験だったと思います。
ボランティアが少なくなってきた今だからこそ行ってみたいと思い、だからこそ得られたものだと思います。
だから、こちらこそ貴重な経験ができました。ありがとうございます。
丹下覚元さん、回答ありがとうございます。
人との出会いが宝とのこと。
どうしても現代社会では結果や社会的立場に評価、価値が置かれますが、この宝を忘れないようにしていきます。
先日、寄せ書きの色紙が届き、元々会う人だけでなく、偶然会った人と様々な人が、書いてくださっていました。
とても嬉しかったです。
今後の活躍は…、まだまだ先になりそうです(笑)
でも頑張っていきますので、応援して頂けると嬉しいです。
ありがとうございます。