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お葬式の宗派を間違えたかもしれません

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このようなサイトがあることを初めて知りました、お世話になります。
老齢の父の葬儀を以前からの母の言葉に従い、浄土真宗で執り行いました。
しかしその後の母の話がどうにも不審で調べ直したところ、真言宗の可能性があります。
分かっている、決まっているのは以下の点です。
この場合、今からでもお寺に相談して変更すべきでしょうか。

・父は実家から遠くに引っ越した家族のため、菩提寺は近隣には無い。
・永代供養をお願いする予定で、墓地もない。
・母には何度か確認したが、毎回「浄土真宗」と答えていた。父は答えられる状態ではなかった。
・四十九日法要はまだ済ませていないが、浄土真宗のお寺にお願いする手筈。
・母は「南無大師遍照金剛」と唱えていたらしい(これを聞いて不審に思った)
・家に弘法大師空海(真言宗)の小さな写真があり、近隣の寺による真言宗の簡易経本を発見した。
・父の親族は遠方のため葬儀に来なかったが、法要に来る可能性はある。

母が気に病みそうなので、出来れば安心させてあげたいところです。
ご指導のほど、よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

みな様の家は、みな様の家の家風で。

これは本当にあった恐ろしい話。
実際に…こんな話が…ありましただ…。
喪  主「母が亡くなりまして…」
葬儀社「宗はどちらで?」
喪  主「えー、…ソウドウ宗です」
葬儀社「ハイ。…ウド宗。ですね」
  🚙 
当日やってきた坊さんが葬儀中に「南無阿弥陀仏」を口になされる毎に、
(._.;)「!ヒソヒソ…今なんて言った?」
(-.-;)「なむ、あ・み・だ…ぶつ?」
僧侶「南無阿弥陀仏ー。」
(-_-;)「だよな…」
(゜-゜;)「これってもしや…」
僧侶「南無阿弥陀仏ー。」
(;゜-゜( ゚Д゚;)「(オーマイガ―!(GOD)」
ご遺族は極楽浄土とは程遠い、かの地HELLな心で凍り付いたそうです。
葬儀もやり直し、財布の中身もHELL(減る)だったとのこと。OH怖い話ですね。
曹洞宗は、正しくはソウトウシュウと読むのですが、みなソウドウ宗と濁って読まれる方が多い故に、曹洞宗とジョウド宗を聞き間違えられたという実際にあった話です。
オキノ様。
代々続いてきた宗派がおありならばそのままに進めることで、周りにも問題が生じなくなるでしょう。
オキノ様の代で新たに信仰するにふさわしい菩提寺さんを探されるのも良いでしょう。
その菩提寺さんとなるお寺さんに事情をお話しして、いずれ改宗、宗派を変えられならそのお寺さんで49日の際か一周忌にあらためて改葬法要をお勤めいただくのがよろしいかと思います。
ですが、先祖を祀るお墓を守っている本家があるのでしたら、分家に当たるみな様は新たな宗派とのお付き合いも可能です。浄土真宗さんのお寺さんでお墓や永代供養をされても良いとも思います。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

それもご縁ですが

質問を読ませていただきました。
まずは、親戚の方に自分の宗派のことを聞いてみるのが良いと思います。
色々思い悩んでも答えににはたどり着きにくいと思います。
その結果、浄土真宗でなかった場合は、新たなお寺を探すことにんると思いますが、その場合も永代供養墓をご希望ならそのことを含めて調べるだけ色々調べて、自分と家族の希望に合った永くお付き合いの出来るお寺を探されたらいいと思います。
条件に合うお寺がなかった場合は、親戚の方に事情を説明してすればよいと思います。
まずは、親戚に宗派を確認されることをお勧めします。

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個別相談可能
私は日蓮宗 今治 寺町法華寺の住職をしております讃岐英昌(サヌキ エイショウ)と申します。 今現在 しゃべって話せる僧侶を目指し精進しております。
相談時間は基本30分とし、30分を経過すると一度、電話を切らせていただきます。

質問者からのお礼

早速のご返答ありがとうございます。

親戚に確認してみたのですが、あやふやな回答(「うちでは南無阿弥陀仏かなあ?」)と言っていました。
本当でしたら浄土真宗で合ってそうに思えるので一安心なのですが、その親戚もハッキリと答えた訳ではないので、少々心に引っ掛かりが残ります。

幸いなことに葬儀のときにお願いしたお寺は悪い評判ではありません。
父は本家筋でもないので、このまま進めて良いように思えます。ありがとうございました。

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