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心が麻痺してる?

お世話になっております。
先週、とても愛していた彼女が亡くなりました。昨日で一連の葬儀も終わりました。
死因が自死ということもありとてもショックで、今日の午前中までは喪失感から胸が痛み、彼女のことを思い出すと涙が溢れ、とても仕事ができる状態ではないながらも出勤してきました。
しかし、今日の午後から何も感じず、悲しいという感情も起きなくなってしまいました。まるで機械のようです。

悲しいと感じないからと言って、彼女を喪う前のように笑ったり、趣味を楽しもうという気も起きません。でもあれだけ胸いっぱいだった罪悪感や喪失感が感じられず、なんというか無の状態です。
私はこんなにも薄情者ということでしょうか。それとも何かが壊れてしまったのでしょうか。
彼女を愛していたという感情も嘘だったのでしょうか。

大切な方と死別してしまった方のお話を拝見すると、長年その喪失感に苦しんでいらっしゃる方が大半なようです(当然ですが)
私はサイコパスなのでしょうか。悲しいという感情だけではなく、すべての感情が消えてしまったような感覚です。
今日の朝までは男のくせにわんわん泣いていたのに…

突然悲しみが消えてしまった理由に心当たりがあれば教えてください。

※抗うつ剤等の薬は服用していません

後悔・自己嫌悪
有り難し 18
回答 2

質問投稿日: 2018年7月18日 18:58

回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。
回答僧

慈眼

悲しいけれど立ち直らなければ

それはご愁傷のことと思います。大変でしたね。悲しみは計り知れません。
人の死特に身近な人の死は寂しくて当然です。
今まであったはずのものがないと、人は記憶で取り扱うため現実を受け入れられるまで思い出すと今いないという現実に哀しさを感じることになります。

あなたが今、哀しさを感じないのは、仕事をしているからです。人は常に一つのことしかできないようになっている。亡くなった彼女のことを思い出す時は思い出す。楽しい話の時は楽しい気持ちになる。悲しい話の時は辛くなる。映画を見ればその世界に入り込む。料理の時は料理、仕事の時は仕事。そんな風になっています。しかし、四十九日という言葉のように、それくらいの間は、少しずつ現実を受け入れていく残されたものの修行期間になります。思いでは有るけれど、目の前の仕事を少しずつこなしつつ、まだ気持ちは入らなくても、日一日と変化があるはずです。生きていた時と同じような気待ちで問題なくできるようになるのです。

薄情ではないです。人として当たり前の仕組みなんです。

忘れようとしたり悲しまなくてはと、逆に雰囲気を作ろうとしたりする必要もありません。目の前の現実に少しずつ目を向け、今やるべきことを生きていけばいいのです。

1年前
回答僧

吉井浩文

声をかけるつもりで。

大変つらい出来事があってすぐの投稿なのですね。
ご冥福をお祈りいたします。

彼女さんを愛していたのなら
なぜ悲しくないのか?

じゅうぶん泣いたからかもしれません。
薄情ということはないでしょう。一度でも涙を流されたのですから。

近しい人の死を、何年も経って初めて泣いたケースもあるのです。
れいさんにとって彼女さんとの出会いや過ごした時間が何であったのか、
それが分かったとき
また涙を流せるときが来ると思います。
れいさんにしかそれは分かりません。
他人には話せない苦しみを背負うことだってありえます。

でも彼女さんもきっとつらかったのでしょう。そんな自分が許せなかったのかもしれません。
それを許してあげられるとしたら、れいさんしかいないのではありませんか?
どうかご自分のことより、彼女さんに目を向けてあげてください。
彼女さんに声をかけるつもりでその理由、悲しみを感じなくなった理由なぞを問うてみてください。
どんな返事が返ってくると思いますか?

大事なのは悲しむ悲しまないではなく、
ほんとうに悲しんでいたのは、苦しんでいたのはだれか
ではありませんか。

たぶんそこに答えがあると思います。
れいさんだけの答えが見つかると、
そう私は信じています。

1年前

質問者からの有り難し - お礼

お答えいただきありがとうございます。
とても曖昧な感覚ですが、悲しみが心の表面を覆っている感じから、心の内部に浸透してしまった感じです。
私が愛し、私を愛してくれたあの人がもうこの世に存在しない…いまはこのような虚無感のような感覚を感じるのみです。
もちろん大切な親、兄弟、ペットは今もこの世に存在してくれていて、彼らは私のことを愛してくれていますし、私も愛しています。
しかし、血の繋がりのない他人同士で愛し合うことのできた奇跡の相手はもう存在しません。

悲しさを感じなくなってしまったのではなく、この世になんの希望も見いだせない、絶望というものがこの感覚なんだと理解しました。

この世は魂の修行場とはよく言ったものです。
私にはこの修行を耐える自信はありません。

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