検体になる
私は、私自身が脳死状態になった時、臓器移植希望で、使える臓器は必要な方にお譲りしたいと考えております。しかし、両親が(私の)臓器移植に反対なので、今はまだ免許証の裏などの記入欄は空白にしている状況です。仮に年の順に行けば、ですが、両親が亡くなった後は、私の意思のみで臓器移植可能だと思うので、年齢的な部分をクリアするなら、是非とも私の臓器を使っていただければと思っております。他にも、いろいろ考えております。身内が肝臓を悪くすれば、生体肝移植をしたい。腎臓は2つあるので、差し上げても構わない。骨髄移植のドナーになるのも良い。最近では、今で1年と9か月、髪を切らずにいるので、このまま伸ばし続けてヘアドネーションするのも良いアイデアではないかと思っています。私自身、病気を患っていて、毎日、大量の薬を飲んでいるので、どこまで世の皆様の助けになれるか分かりませんが、病気なら最後の手段は、医学生の解剖学の検体になることぐらいしか思い付かないなぁ…と考えております。一番身近な献血は、今の状態では無理なので、回復次第、貢献出来ればと思っております。病院の輸血部という部署にい、たくさんの血液製剤を扱うクセに、自らが献血が出来ない、というのは非常に情けなさを感じてしまうところです。「生」に執着がなく、「死」をとても身近に感じている、私。将来、「最終的には検体に」という考えは、仏教ではどのように捉えられるのでしょうか?お教えいただきたく存じます。
・仕事は資格より素質 ・鬱になろうが5才児ぐらい好奇心旺盛 ・順風満帆な人生より七転び八起きぐらいの人生がちょうどいい
職場で久しぶりに再会した人に「やっぱり~!」と言われることが苦痛
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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私個人としては反対です。
脳死と臓器移植に関する仏教的視点については是非とも大谷大学元学長であり、大谷大学名誉教授である小川一乗先生の見解をご一読いただきたいです。
けして、ここhasunohaという場で短絡的に一人のお坊さんに肯定された事、あるいは一人のお坊さんに否定されたことをもって「仏教的答え」とはしていただきたくないです。それくらい重要な問題です。
先生の著書については
をオススメさせていただきます。先生はこの問題に関して国会や内閣府の要請も受けて所信を発信し、先生の見解としては「脳死を人の死と断定し、臓器提供を可能とすることについては基本的に反対」しております。
なお、ご注意いただきたいのは先生はこうも断言しております。「仏教の具体的な教理によって、この問題(脳死・臓器移植)に対する決定的な判断を下すことは不可能であろう。なぜならば、教理に対する解釈は種々様々に可能であるからである。」と。
ですからトラス様自身がこの問題については深く深く考えてご決断ください。
先生の著書を読めば先生が「脳死を人の死と断定することの問題点」「臓器移植が仏教の布施行には当たらない点」「命の平等とは何か」「臓器移植を可能とした場合に荒廃しうる人間心の問題(誰かの死を待つ生)」「ヒューマニズムと仏教の慈悲の違い」など様々な課題をあげておられることに仏教的視点がすみずみまで行き渡っていることをご理解いただけると思います。
先生の見解は科学合理主義と人間の分別心による命の私有化に強い警鐘を鳴らすものであります。
私も現時点では先生の見解と同一の立場です。もちろん諸行無常ですから私の立場が永遠であるわけではありません。
トラス様も今一度命とは何なのか、死とは何なのか、人間がそれを断定していいものなのかどうかについてお考え下さい。何卒よろしくお願い申し上げます。
いいじゃないですか。
自分が一番執着しているものを手放す。これは布施行です。お金という人もいれば、地位や名誉、プライドという人もいる。
あなたの体をあなたの生命活動を全うしたあとで必要な人にあげるというのは、悪いことではないですよね。それで人は生きられる。ある意味あなたも生命活動の終わりを迎えてもなお生きているということにもなります。
死んだ後にこの体に執着していたらおかしな話です。残された人の気持ちの方が大きいのかもしれません。
話は違いますがお釈迦様の遺骨、舎利は世界中あちこちにあります。分骨です。それでその土地の人は心の支えになるのです。素晴らしいと思いますよ。
質問者からのお礼
私の中では前向きに、「最後は医学の発展の為に」と「検体」になることを考えていましたので、それが悪くなく「布施行」「いいこと」であると言われ、ホッと致しました。お金、地位、名誉、プライド等は、私にはもともとありませんし、自分が世の皆様の為に何が出来るかと考えると、臓器移植や検体ぐらいしか思い付かず、それでいいのか?と悩んでおりました。「いいじゃないですか」というお言葉、有り難く頂戴致します、胸に刻んでおきます。あとは、生きている間、頑張るだけですね。どうもありがとうございました!!!
お久しぶりです、吉武文法様。初めてhasunohaで「ビハーラ活動とは」を投稿した際にもお返事下さいましたね。正反対のご意見が返ってきましたので、どちらが正しいとも判断出来ないなと、今は思っています。せっかくお勧めしていただきましたからには、そちらの本を読んでみなければならないなと思い、今、図書館にあれば借りるか、無ければアマゾンで購入するか、と考えているところです。どちらにしろ、一度、読んでみたいと思っています。父は無関心、母が臓器移植反対派なので、私は、私の気持ちとしては臓器移植したいと考えていました。が、そう簡単にはいかないことぐらいは分かっています。ですので、こちらのhasunohaにてご意見賜りたいと思い、今回、投稿させていただいた所存です。どちらの「有り難し」も複数の方のご意見が込められているので、一度立ち止まり、考える時間をいただければと思います。とりあえず、いったんお待ち下さい。本を読みましたら、またコメントさせていただく存じます。まずは、貴重なご意見お聞かせいただき、お二方ともに感謝申し上げます。では、また後程…
邦元様は「許すという力」に、吉武文法様は「プチトマト」にもご意見下さっているようです。何かよく見るお顔だなぁ…と曖昧な記憶でしたが見覚えがありました故、ちょっと過去の質問を振り返ってみました。何かと助けになって下さっていたようで、ありがとうございます。また、うる覚えでいて申し訳ございません。先ほどコメントさせていただきましたように、まずは「読書」ということで…。いろいろ考えさせていただきますので、お時間下さいませ!
ちなみにですが、私の父方は大谷派で、母方は本願寺派です。以上、余談でした。