感情移入しすぎる自分について
最近ニュースで虐待やパワハラ、暴行などなんの罪もない人が亡くなってしまうニュースが多く、それを見てしまうと感情移入してしまい辛いです。
とある殺人事件のニュースを見た時には、トラウマになってしまった事もありました。
現実から目を背けてはいけないと思いながらも、それらを見てしまうと自分がダメになってしまい辛いです。
ご教示いただけないでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
それって悪いことか?
"トラウマになってしまった事もありました"
ありゃりゃ、そいつぁー大変でしたね。。。
しかし、悲しい事件事故などの報道にそこまで感情移入できるというのは、ある意味、それは類まれなる才能なんじゃないかなって思います。他者の苦しみ、悲しみを我が事として頂戴していくことは、まさに大乗仏教の基本であります。ちなみに私は、東日本大震災で仙台空港が津波に飲まれていくシーンをリアルタイムで見て、しばらく下痢が止まりませんでした。
【慈悲】(じひ)という言葉を知っていますか?「慈」は苦を抜く「悲」は楽を与う。
【抜苦与楽】(ばっくよらく)の精神と実践こそが各宗旨宗派を貫く大乗仏教の命題です。
坊さんになりなさいとまでは言いませんが、もしかすると、あなたには自分を差し置いてでも他者の苦悩の寄り添い、そして力になっていけるという特別な才能があるのかもしれません。とはいえ、苦悩する者と一緒に堕ちていくようでは本末転倒です。ここらへんをよくコントロールできるようになれば、あなたはどこまでも慈悲深い優しい女性になるでしょう。
どうか、その深い心を大切に。
どこまでも慈愛に満ちた、どこまでもお優しい素敵な女性になってください。拝
悲しい話、でもニュースで見た時は終わっている
弱者が攻撃されてしまう悲しい出来事、耳にするといい気分にはれません。
殺人事件なども、人は一体どうなってしまったのかと思います。悩みに悩んだ先のことであり、それまで救われなかったことが残念でなりません。被害者側の人のことはもちろん、その加害者の抱えているものも気なります。
私達一人一人にできることは、自分自身の生き方の中で、そこで学んだことはしないということ。反面教師として捉えることでしょう。おきてしまったことは変えられない。あとはこの先どうするかということです。恐怖を感じても仕方がない。過ぎた話。もう終わったことで不安になることもない。
あとは自分の実践です。弱いものいじめをしない。慈悲の心で人に手を差し伸べる。ということでしょう。
質問者からのお礼
邦元様、転落院様お返事ありがとうございます。
ずっと自分の中で背負っていた重荷がやっと下ろせる事が出来ました。
事実は変える事は出来なくとも、それを何かに繋げる事は出来るのだと。やはりお坊さんは凄いです。
慈悲とはとても深いものなのですね。慈悲の心を持つことは私にも出来るでしょうか。
お二方のお言葉を胸に私は私らしく、いつかは
この経験が誰かの支えになれたらいいなと思っております。
拙い文章、失礼しました。