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アカウントの『私の煩悩:』の変更

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有り難し有り難し 15

初めてhasunohaを訪れた際、アカウントに『私の煩悩:』を記す欄があったので、何となく、ふと思い付いたことを書きました。
私が書いたのは、『よく「未来は自らの手で切り開くもの!」と言われるが、未来に希望が見出だせないでいる。』というもの。
ただ「解答用紙に、何か書かないと」というような思いだけで書きました。いい加減な書き方をして、すみません。
しかし、訪れて10日ぐらい経った今、「何か違う」「なら書き直そう」と思いました。ある投稿を読んだのがきっかけです。ここからが、私が未熟であるからこそ生まれた煩悩になります。

新しい『私の煩悩:』
(来世なるものを自ら決められるのだとしたら)次は男に生まれてみたい、という煩悩が生まれたこと

変更理由:①私が今、女であるから。②私は男として生きたことがないから。③なってみなきゃ分からないことがあるはずだから。

以上。

しかし、来世に、また人間として生まれてくる可能性も確率も分からぬまま、容易くそんなことを言えた義理じゃありません。もし人間になれたとしても、今の、現世の「女」の記憶が残っているものでしょうか。
以前、私は『プチトマト』というタイトルの質問を致しました。「私の前世はプチトマトだ!」と小2の私が直感的に思ったことを書きました。ですが、残念ながら「プチトマトの記憶」はありません。ただ「ハッ!」と閃いただけだったのでしょう。
今は、煩悩も「心境の変化は日常茶飯事」と同様の仕組みではないかと感じております。
哀しくも、女の私には、男のことは分かりません。それと同じように、男の人も、女のことは分からないのではないでしょうか。
「どちらが有利・不利」など、両者を経験した者にしか分からないことです。つまり、「そんなこと言っても仕方ない」「誰にも分からないのではないか」と思っています。
そんなことに腹を立てているから、「怒という煩悩」が生まれてしまうのではないか、と、只今感じております。
しかし、まず性別が「男と女しかない」と思っていること自体、『無知』であり『偏見』『差別』ではないでしょうか。
この時代に「男になりたい」「女になりたい」というのは、短絡的過ぎるような気がしてなりません。それなのに、私の頭にムダな煩悩が浮かびました。
どんなご意見でもご批判でも、受け止めます。皆様のお心の内をお聞かせ下さい。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

猿侯の枝に伝うがごとし

拝読させて頂きました。
そうですね、私達の心はあなたがおっしゃるとおり様々に煩悩が渦巻いています。

法然上人は「心は物に従いて移り易し。譬えば猿侯の枝に伝うがごとし。実に散乱して動じ易く、一心に静まり難し。とおっしゃておられます。
私達の心は人の言ったことやあれこれと周りをみて常に振り回されています。例えば猿が枝から枝を渡っていくようにいつもばらばらにあっちいったりこっちいったりと動き回っているのです。一か所に静かにとどまっていることはなかなか難しいとういことです。

その様な煩悩や迷いだらけの私達だという事を認めることかと思います。

今思っているあなたの望みはあっという間に移り変わっていってしまいますからね。
その様な儚い愚かな私達なのです。

その様な私達ではありますが仏様は必ず正しくお導きなさって下さいます。

逆にその様な愚かな私達だからこそ仏様は余すところなく救い摂って下さるのです。

あなたもどうぞ仏様私を救い導いて下さいね、と心から仏様にお願いなさり「南無阿弥陀仏なむあみだぶつと」とお念仏おとなえなさって下さいね。

仏様はいつ如何なる時でも私達をお見守りなさってくださっています。そして必ず私達を正しくお導きなさって下さいますからね。

これから生きていく中でまた新たな迷いや煩悩が数限りなくあなたの心に湧いてくるでしょう。それをじっくりと見つめながらあなたの人生をしっかり生きていってください。その中であなたは必ず成長なさっていかれます。

そして必ずあなたは仏様が救い導いて下さいますからね。そしていずれは一切の迷いや苦しみや煩悩から離れて円満な心となるでしょうからね。

あなたがこれから仏様のお導きを受けて心お健やかにその人生を生き抜いていかれます様心から仏様にお願いさせて頂きます。

南無阿弥陀仏なむあみだぶつと

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おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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来世で男性に生まれる事を望まれるのであれば、なおさらのこと、現世では女性としての楽しみ、喜び、苦しみ、悲しみ等様々なことをしっかりご経験されて、貴重な女性としての人生を最後まで全うしましょうね。

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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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質問者からのお礼

Kousyo Kuuyo Azume様、お返事ありがとうございます。煩悩に翻弄されそうになりながらも、
今ある煩悩から目をそらさず、向き合いながら、成長していければと思います。瞑想は、自分に自信がない時や自分に煩悩が生まれた時に、「ちょっと、しばし」と行うようにしています。これからは、「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」と繰り返し唱えることにも試みたいと思います。そうすれば、仏様をより身近に感じるようになれるような気が致します。精進して参りたいと思います!

三宅聖章様、お返事ありがとうございます。性別、年齢、人種、宗教、国境等々…はじめから
境目になるものなどないというのに、人間は直ぐに「壁」を造ってしまうものです。どこからが女で、どこからが男かも定かではありませんが、私の煩悩に「男に生まれたい」という産物が湧いてきたのなら、三宅様がおっしゃる通り、今は「貴重な女性としての人生を最後まで全うしたい」と思います!女を楽しみます!

「煩悩」問答一覧

「足るを知る」と「向上心」のバランス

明けましておめでとうございます。 全ての皆様にとって、健やかな一年となることを祈念いたします。   *   「足るを知る」と「向上心」をどうバランスさせるかについて質問です。   ■質問の内容 ・人間の煩悩はキリがありません ・煩悩とうまく付き合うために「知足」が重要との理解です ・一方で、より良い生を営むには、「向上心」が必要です ・しかし「知足」「向上心」は、ときに相容れないように思われます ・そこで、両者の使い分けについて、ご意見を頂戴したかったもの   ■質問の背景 ・私は肉体や精神、能力等の向上(=欲求を満たせる自分に成長すること)を目標として努力してきました ・結果、自分自身や周りの人の幸せを実現できると考えてきたためです ・しかしある時、幸福度は上昇していないことに気付きました ・そんな時に「知足」の重要性に気付き、「向上心」との折り合わせについて強い興味を抱いたものです   ・両者の使い分け方法について、下記2パターン考えました   ■仮説① 行為の目的(相手のため/自分のため)で、以下の通り使い分けるべき 【良さそうな例】 A「相手のため」×「向上心」 (例)より喜ばれる仕事をしたい B「自分のため」×「知 足」 (例)菜食で十分 【悪そうな例】 C「相手のため」×「知 足」 (例)今の仕事の質で十分 D「自分のため」×「向上心」 (例)より美味しい食事をしたい   ■仮説② ・「知足」と「向上心」のバランスを考える必要は無い。 ・自らの欲求を満たせる自分に成長する「向上心」が重要である ・逆説的だが、向上心(欲望)を満たした経験により「足るライン」を把握できるようになる ・肥大する向上心(欲望)を実現した経験が、「自らを満たさない、長く続かない」ことを体感させる ・知足は、頭で理解するものではない。体得させる必要がある    (例)お金をもっと稼ぎ、食事にお金をかける。結果、最高級の焼肉もファミチキも両方美味しいし、どっちも幸せで、(実は)どっちも大差ないことを体感する。 しかしずっと貧しいままだと、どうしてもやせ我慢での知足となる。「知足の習得」には、欲求を満たして「こんなもんか」という体験が必要不可欠。 お釈迦様が王子の頃に豊かだったことは、悟るための必須条件。。?   少し漠然とした問いで申し訳ございません。 どうぞよろしくお願い致します。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ