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異常気象と子供達の未来

回答数回答 2
有り難し有り難し 24

こんにちは。
この度、被災された方々には心から
お見舞い申し上げます。

連日の猛暑がニュースのトップになっており、
世界的にも各地で記録的な熱波が発生し
死者や搬送者が続出しているとの事、
このままでは地球は大丈夫なのかな、と心配になります。

本当に人間の発生させる温暖化ガスの影響なのか、
冷静に分析しなければならないでしょうが、
製造業に携わる者として、責任を感じずには居られません。
だからと言って家族もいる身では仕事を辞める訳には行きません。
私が辞めても工場は相変わらず生産を続けるでしょう。
結局何の解決にもなりません。

最悪のケース、異常気象が一過性のものでなく、
私達の生産活動に原因があり、なおかつ後戻りできない所まで
来てしまっているとしたら・・・
子孫たちに何と詫びれば良いのか分かりません。
4歳の娘と生後8ヵ月の息子の未来を思うと、
気持ちが落ち着きません。

以前にも似たような質問をした記憶がありますが、
私は50億年後には太陽の寿命も尽きて、地上の生物は死滅する
のを知っています。だからこそ「今を生きる」事の大切さを教えられました。
が、こんなにも目に見える形で危機が訪れる事、
さらに私達の責任である可能性がある事、
平安ではいられません。

私達や子供達の世代なら何とかなるかも知れませんが、
孫や、その先には・・・
私が仏道を学び実践し、「今ここ」を精いっぱい生きる
境地を得たとしても、過酷になる環境の中で子孫達が
じわじわと衰滅するのを防げなければ、何の意味が
あるでしょうか。

私は輪廻転生は信じてません。死後についてはお釈迦様にならい
「無記」とするのが適切な態度と思います。
が、もし輪廻が真実ならば、私には解脱も救いも浄土も要りません。
ひたすら転生して子孫達に寄り添い、共に悩み苦しみながら
最後の日まで一緒に過ごしてあげたい、と願います。

私がこう考えるのも煩悩でしょうか?
手遅れかも知れませんし、大勢に影響は無いかも知れませんが、
暇を見つけて、ささやかながらエコ活動や環境保護活動を
行いたいとは思います。
(もっとも、私の考えがただの杞憂である可能性も、
まだあるのですが。そうであって欲しいと願います)

質問と言うには余りに漠然としすぎてしまいましたが、
ご意見を頂ければ幸いです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

そんなあなたの今を見られています

>もし輪廻が真実ならば、私には解脱も救いも浄土も要りません。
ひたすら転生して子孫達に寄り添い、共に悩み苦しみながら
最後の日まで一緒に過ごしてあげたい、と願います。

この願いを「菩薩」や「自未得度先度他」と言います。嫌いじゃないですよ。

さて、何年か前、夕飯の最中に戦後間もない生まれの師匠がつぶやきました。
「思えばワシらの時代が平和すぎたんだよな。戦争も無かったし、ひどい災害も最近まで無かった。そんな時代は後にも先にもワシらの頃くらいだったかもしれん。」

我々はついつい、今までのことが当たり前だと思っていますが、生きにくい時代というものは歴史の中に常にあるものです。歴史とは変化の歴史です。今までとは違う新しい問題が発生する…それが古今東西、不変の事実です。

その中で我々はこれからの困難を嘆いていてはいけません。そうではなく、今までの恵みに感謝し、その前向きな心の持ちようそのものを、今日を、明日を生きる活力とする習慣を持たねばなりません。その心の習慣こそ、子や孫に伝えてやるべき最も大切なものの1つです。
どんな世界に生き、どんな世界に死ぬにせよ、子や孫の最期の時に「あぁ、善い人生だったな」と感じて欲しいと私は思います。そのためには、まず自分からですよね。あんまし愚痴っぽくならないことじゃないかと思いますよ。

先日、避難所に入れていただいたのですが、断水になると言うことで一仕事ありました。大声で人手を募り、隣接する施設からもバケツやペットボトル等をかき集め、毛布が入っていた袋で流し場に栓をしたり、ダンボールや机を工夫して袋を立たせたり、とにかく2時間、ありとあらゆる手段で水を溜めました。

こんな言い方すると不謹慎でしょうが、正直内心、やり甲斐があって楽しかったです。本来、仕事ってこういうことだよなと感じた。自分たちの衣食住を保つための直接で純粋な努力…そこに生きようとする実感があった。親しい人を亡くされた方や私よりもっと酷い被害を受けられた方に面と向かって言えることではありませんけどね。。。私は昔の僧堂生活馴れで避難所の環境をあまり苦に感じませんでしたし。

私は一緒に避難した子供達に、次はお前の番だぞというつもりで率先して動きました。それで充分、胸を張って死ぬことができます。きっと子や孫も同じでしょう。

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有り難し
おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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勝義的には娑婆世界も浄土

詠春童子様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

いずれにせよ、無明、煩悩、悪業がある限りは、この娑婆世界における迷い苦しみが晴れることは残念ながらありません…

災害や異常気象、戦争なども、迷苦にある心から見れば、ある意味では「怨憎会苦」なるものとなります。

では、如来の仏眼に映える娑婆世界のありようは、どうであるのかとなれば、勝義的には浄土であり、世俗的には、慈悲の対象となる衆生たちの迷苦のありようが映えるのであります。

娑婆世界も、全ての空性のみを捉えれば、それは清浄なる浄土に他なりません。

しかし、世俗、縁起的なありようを見れば、迷苦に喘ぐ衆生たちが、まざまざと映えるのであります。

何より、迷苦に喘ぐ衆生たちを救うには、仏道を歩むことにより、自分にその力をつけていかなければなりません。

いずれ、皆を救えるように、仏道に努めて参りたいものでございます。

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。

大慈 様
「自未得度先度他」ではないです。菩薩なんて大層なものでもでもありません。煩悩です。究極の子煩悩、子孫煩悩です。せめて子供達には生き様を示せるよう、精進します。
愚痴っぽくならない事、気をつけます。あと、私一人が抱えるには大きすぎる問題でもあるので、同士を見つけ、私の行為が妄想(もうぞう)なのか有効な手段なのか、見極めながら活動したいと思います。

川口 英俊 様
私が質問を投げてから、急に温暖化関連のニュースが活発になりました。こう世の中が不穏になると、宗教、特に終末思想が流行るかも知れませんね。しかし安易な救済を呼び掛けるものには警戒が必要と思います。その意味では、安易な救済の対極にある川口師のお言葉は十二分に信頼できるものだと
信じます。(^^)
勝義諦に辿り着くには長い道ですが、まずは自身の心身を整え、子供達の規範となって行きたいと思います。

-追記-
温暖化には色々な説があります。
人類のせいだよ説、人類関係ないよ説、そもそも地球は温暖化と寒冷化を繰り返してるよ説・・・
中には「温暖化がかえって氷河期を招くよ説」なんてトンデモ理論もあります。
最終的には真実になる可能性もあるのですが・・・
情報の取捨選択を冷静に行いたいと思います。くれぐれも情報に振り回されることの無いように。

仏教的、精神的には、どんな未来が待ちうけようとも子供たちが希望を持てるよう、しっかりと生き切って死にたいと思います。
「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願いも尽きなん」
なんて境地にはとても到達できないとは思いますが。

-追記-
温暖化には色々な説があります。
人類のせいだよ説、人類関係ないよ説、そもそも地球は温暖化と寒冷化を繰り返してるよ説・・・
中には「温暖化がかえって氷河期を招くよ説」なんてトンデモ理論もあります。
最終的には真実になる可能性もあるのですが・・・
情報の取捨選択を冷静に行いたいと思います。くれぐれも情報に振り回されることの無いように。

仏教的、精神的には、どんな未来が待ちうけようとも子供たちが希望を持てるよう、しっかりと生き切って死にたいと思います。
「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願いも尽きなん」
なんて境地にはとても到達できないとは思いますが。

「世の中・社会のできごと・風潮」問答一覧

現代社会と本来の豊かさについて

悩みというよりは漠然と考えてしまうことがあります。        私は会社を起業し10年ほどになります。     会社とは何か?という本を設立当初に読み、 そこには『社会に必要とされているもの。人の役に立っているから存続が出来、人の役に立たない会社はなくなっていく』と書かれていました。     右も左も分からない中での起業でしたが、自身にそのような志が強くありましたし、その本に書いてある言葉に納得し、一生懸命頑張ってきました。     設立前から準備していたことや、業界を分かっていたこともあり、心身の苦しさや辛さはありながらも、経営は順調に右肩上がりで伸びていきました。 しかし、何処かでとても苦しさのような葛藤がずっとあります。     社会がいかに利益追求型の仕組みで弱肉強食であることを肌で感じること、それでも日々闘い続けねば生き抜けない。 競争社会、資本主義社会という中では当たり前のことだと理解すればするほど。 中小企業の社長さん達も皆んな日々闘い続けているんだなぁと思いながら。     そういう渦中で、自分の心身はいつも振り回され乱れるばかり疲弊する日々が数年続き、 自身を見つめ直したり心を丈夫にする為に色々と模索してきました。     そうした中で見つけたものは、お釈迦さまの教えや禅的な考え方でした。   日本では宗教にハマると聞くと直ぐに悪い意味で捉えられることが多いですが、 何か目印になるような共感できたり学べるような考え方というものに救われることに有り難さが溢れてきて泣きそうになります。   自身が人の為になることを〜と思い起業しましたが、会社を通して社会を知り、そこに向き合った今の時点で想定もしていなかった答えがあったように感じています。   知り合いに若いお坊さんがいますが、もっと遊びましょう、もっと休んでください、自分は人生遊んで過ごします。とよく仰っています。実際夜遅くまで飲みに行ったりしていて、誘ってくることも多いです。(行きませんが) そのお話しも極端に思えて、私には失礼ながら浮世離れしすぎていてついていけません。   長くなってしまいました。 文章がまとまっておらず伝わっているか不安ですが、 お坊さん達は今の資本主義社会と仏教の教えに乖離を感じますか? 感じられる方はどうバランスを取られていますか?

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

日本が一番ではない

僕が24年間生きている中で日本が一番ではありません。みんなは日本が一番だと言ってますが。日本つまらないし毎日刺激もないし変化が全くありません。サッカーの試合も見ましたがあまりつまらなかったです。なんかサッカーにはスター選手いないので面白くありませんでした。Jリーグの試合見ましたがつまらなかったです。ラグビーの試合見ましたが一方的な展開すぎて全くつまらなかったです。しょうもなさすぎました。日本脱出したいです。お金がないので今年全く関西から出たことがありません。出てみていろいろ体感してみたいです。何も楽しくありません。学生生活も全く楽しくなかったです。 日本生きてますが個性が全くありません。日本人も何となく生きてる人が多いような気がします。日本も少子高齢化が年寄りやおっさんが多いような気がします。僕にとっては楽しくもありません。ランダムチャットも利用しましたが喋ってみても全くくだらなかったです。ランダムチャットしましたがしょうもない人多かったです。考えも偏っているようにも思えます。日本には閉塞感がありすぎてつまらないです。日本楽しくもありません。日本は真面目な人多いので過ちや誰にも迷惑かけてない人が多すぎて万引きやカンニングなどの過ち犯したり人に迷惑かけたり(それは当たり前ですが…)失敗したら許されない国なので自殺者も多いのではないかとも思います。日本自殺大国になると思います。 日本人も世界情勢や世界のことに興味がない人が多いようにも感じます。 日本の気候も暑さ寒さの寒暖差が激しすぎて日本の四季に耐えれず嫌になります。 東京も行きましたがサラリーマンが多く殺伐とした風景や混雑が激しすぎて嫌になります。 今までも教習所で高圧的にされたことや偉そうにされたことやバイト先でも上司があまりにも態度悪い人もいて日本が一番とも思いません。たまたま人の答案が見えてしまったりしました。やっぱり日本悪い国だなと思います。みんな日本いい国やいい国やと言ってますが僕はそう思いません。 僕が思う日本のいいところは治安がいいところと料理が美味しいところと生活水準が高いところぐらいです。どこの国もいいところは最低1、2個はあると思います。 やっぱり僕にとっては日本が一番ではありません。

有り難し有り難し 12
回答数回答 2

日本に盛り上がりが全く足りないです

今、大阪にいますけど閉鎖的で盛り上がりもなく楽しくありません。地下鉄に乗っていますが表情が暗い雰囲気を作って楽しくもありません。夜もアメリカのようにパーティーみたいな盛り上がりもなくて寂しいです。日本は閉鎖的な国だとも思います。 ラグビーワールドカップ2019イングランド対アメリカではかなり賑やかやったしパーティーしてたようにも思えます。結構、日本よりも盛り上がっていたようにも思えます。イギリスやアメリカはパーティー文化がある国にも思えます。イギリスやアメリカの方が個性的な人いたような気がします。 アメリカ行ったことがないので自分には分かりませんが日本よりも個性がある人が多いようにも思えます。 僕にとっては10年前頃ですが、明光義塾北巽教室通ってた時は個性的な先生もかなり居ましたし、活気もありました。まあまあパーティー的に盛り上がっていたと思います。明光義塾北巽教室では賑やかでワイワイしてて僕にとっては楽しかったのです。明光義塾北巽教室Twitter(現在はX)では個性感半端ないな。キャラ感凄いなと書いたらいいね1つくれました。親には明光義塾北巽教室勉強するところやのに遊びに行ってた所が怒られました。 そういうの日本ではなかなか無いから寂しいです。日本の閉鎖的な環境が辛すぎてたまりません。パリピみたいな盛り上がりが好きでたまりません。日本は雰囲気が暗い国だなと思います。 日本生きるのが活気と盛り上がりが無さすぎて辛いです。日本人って個性が全くない人ばかりでつまらないです。僕の近所でも全くパーティーみたいに騒ぎがないのがつまらないです。 日本は治安も良くてご飯が美味しいと言う理由からいいって言っていますけど僕はそう全く思わないです。 日本は衰退国家だなと思います。日本は閉鎖的すぎて嫌になります。日本に生きていてもつまらなさすぎて嫌になります。だからアメリカ移住したいです。 四谷学院の校舎長に言われましたが大学は盛り上がりはないと言われ、寂しいです。辛すぎます。大学でも遊びに行っている人や騒ぎに行っている人もいると思います。僕は日本が大嫌いです。日本は同じことばかり過ぎてつまらないです。 サテライトオフィス平野に通っていますが、その事が悩みすぎて集中出来ないことがあります。 日本では盛り上がりや活気が全くないので暗いし寂しいししんどいです。

有り難し有り難し 10
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日本は姥捨山を求めている

「今の日本は傾いているから誰かを犠牲にしたい」という感情が蔓延している、ということを声を大にして言いたいのです。だから、私のような無能は人権を放棄しなければなりません。そもそも、労働に縛られている時点で普通に生きられている人間にも人権がないからです。 増税や経済的負担に対する抜本的解決がない以上、「障害者をガス室送りにしなければならない」「生産性のない人間をガス室送りにしなければならない」という思想が蔓延するのは必然です。価値のある人間しか生きることを許されないのです。 社会や世界全体への不信感が強烈で、もうどうにもならなくなっています。けれど生きるには労働しなければなりません。私を傷つけ苦しめ貶め殺すためだけの場所に入っていかなければなりません。そうしないと人権が買えないからです。 自分を殺さないと人権が買えない。けれど人権を買ったところでいつ足元が崩れるかわからない。自殺推奨活動のほうがよっぽど慈悲深く思えてしまうのですが。 こんなクソみたいな世界で、どうして自分を殺してまで生きるしか方法がないのでしょうか。どうして、不幸になるしかないこんな世界がいまだに続いているのでしょうか。この怒りをどうしたらいいのか全くわからないのです。 壁を殴ったらヒビが入る。そういう、自分のアクションに対して当たり前の反応が返ってくる、という経験が薄く、その度に苛立ちが募ります。自分が気にならない、話を聞いても何が悪かったのかよくわからないことで長々と詰められ、こちらの言い分は何一つ聞き入れられない。そういう不公平さの中で生きてきたので、何に対しても「自分を殺せばいいじゃない」としか思えません。だって、人間は自分以外の誰かが犠牲になることを望む生き物ですから。私は誰の犠牲になれば良いですか?私の代わりに誰が犠牲になってくれるのですか? どうせどう生きたって誰かに支配されたまま終わるのです。そうしないと人権が買えないから。現実を見れば見るほど嫌な気持ちだけが募ります。この世界に救いはない。あるのは泥のような絶望だけ。はーあ、努力とかくだらない。今まで言われてきた沢山の言葉に対する恨みが消えない。でも他人から見たら悪いのはぜーんぶ自分。やってられない。どうせ「悪いのは私でした」という反省のポーズしか望んでいないのだからロボトミー手術を受けなければ私はこの世界に生きる権利を与えられない。

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やはりこの世界は信用に値しない

また新たな戦争が始まりました。明日は我が身でしょうか。 「報道しない日本メディアはダメだ」と言われています。私たちは平和ボケしているのでしょうか。まあ日本が戦争に巻き込まれるのも時間の問題ですね。私たちに未来なんてない。現実なんて汚らしくて残酷なものでしかない。 この世界のシステムに耐えきれなくなった憎悪が世界中で噴出し騒乱を巻き起こしているマクロな事実と、そんな完璧ではない人間という生き物から一方的に「あなたが間違っている」「あなたが変わればうまくいく」と言われ続けたミクロな怒りが混ざり合って何もかもが馬鹿馬鹿しいとしか思えません。だから生きているのが嫌なんだ。 仏教だって結局、生きるも死ぬも理不尽しかないものだから何か納得できるだけの理由をこねくり回した結果でしかないでしょう。「全部私が悪いので悔い改めて、私の全部をこの世界に捧げます」と生きなければこの生命という不愉快極まりないシステムから解放されないのですか。喜んで火の中に飛び込む兎になれと。結局望まれているのは自己犠牲じゃないですか。生き物は、自分のために自分以外のものが犠牲になることを望んでしまうものなのです。 どれだけ努力したところで、自分とは関係ないもっと大きなものによって簡単に潰される。この国のシステムも欠陥だらけで有事に対応できると思えない。いつ殺されるかわからないから、いま生きていることに感謝すべき? そう思うにはこの世界はあまりにも汚らわしすぎます。ずっと言ってきましたよねこの世界は生きるに値しないと。その決定的証拠がまた一つ増えたんですよ。生きるも死ぬも誰かの天秤の上。人権なんて初めからなかった。第三次世界大戦はいつ起こりますか? 私たちは死ぬ準備をしなければなりません。 薄氷の上の平和すら貴重品となってしまった世界で、その平和の中にいながらうまく生きられない罪悪感。自分の在り方を否定され続けてきたが故の「どうせ自分なんていらないんでしょ」という感情と閉塞感。秒読みとなった戦前危機に対する焦り。人間という生き物への困惑。未来に対して絶望視しかできない。こんな世界の中でどう生きろと。けれど何を言われても響きはしない自分自身に対しての苛立ち。今の世界を見ても美しいと言えるでしょうか。 結局、傲慢でなければ生きられない世界。2025年を迎えられるといいですね。きっと無理だろうけど。

有り難し有り難し 9
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ