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人が怖いです

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小学生の時にいじめられてました。
苗字に菌をつけて呼ばれてました。
30年以上たった今でも、当時のことははっきり覚えてます。
人が怖いです。
でも寂しがり屋で。
このまま一人で人生を送るのも寂しくて。
どう人と関わっていいかわかりません。
自分らしく生きるためにはどうしたらいいですか?

生きている意味があるのでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

現実の実際の自分 と  過去の記憶の自分は別物

大丈夫です。今日から救われます。
まずあなたが悩んでおられる事は、過去の記憶を思い出して、そこに評価や詮索、良し悪しを論ずる事で、自分を低評価してそのガスで苦しんでいるのです。
つまり苦しんでいる時間は、今。
今、苦しんでいるのです。そうでしょ?
ちょっと古いですが、林修風に、今でしょ?今?
その記憶も、思い起こされた時点ではただのメモリーです。
その思い出された瞬間に傷ついている人は絶対にいないという事は科学的にも証明されています。
ところがそのメモリーをあなたは二次的にあとからアレコレ調理している。出てきた思いそれ自体に良し悪しを論じて汚してカスタマイズしている事に気づいておられない。
過去に書いた絵に対して悪い評価をして、別の絵の具を塗って悪いもの、ダークな色を塗って別物にしているのです。
つまりあなたが苦しいのは、悪く言われる事。
そして、悪く思う事。
悪く思い返すことなのです。
大事なことをひとつ言っておきます。
「人は、過去の記憶で傷ついているのではない。それを思い返すと共に悪く思う自分のネガティブな思いで傷ついている。」
「人は現実で傷ついているのではない。その現実に対して自分が思ったネガティブな思いで傷ついている。」(二つじゃねーか)
笑う処です。
ですが、この二つはあなたにとって、とても大事なことです。よくよく気を付けてこの二つを普段の自分に照らし合わせてください。
今の現実のあなたはなんの思いにも染まっていません。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

今は菌扱いされてない

それは悲しいことでしたね。
子供の頃には、そうした心ないことばで、悲しい思いをしてしまう子供がよくいます。誰かを蔑んで見ることで自分を高い位置に置こうとする哀れな姿です。

しかし、大人になってまでそんなことを言う人はいませんよね。あなたを、そのように扱う人はいません。安心してください。
怯える必要もありません。今は過去のあなたも過去のクラスメイトももういないのです。

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おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

質問者からのお礼

ありがとうございます

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