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お祓いに行きたいです。

回答数回答 3
有り難し有り難し 39

私は身近な人たちにお祓いに行っておいでとよく言われます。
私自身も試練だとか今が大事だとか思っても心が弱ってしまっています。
小さな頃から叔父に性的虐待、母からは暴力暴言を受けていました。
叔父からも母からも愛故にだと言われていました。
母はいつの間にか父と離婚し別の男性の元へいってしまい
その男性から暴力暴言を受けて何度も救急車騒ぎになったり
叔父の性的虐待が親にバレて母はアルコール中毒になり
私が16になった頃首を吊りなくなりました。
その後も兄が離婚し子供を引き取り私が育てたり
子宮の病気になったり怪我が絶えなかったり
今現在進行形で怪我や病気が絶えません。
私は一体何をしたんでしょうか。
悪いことをしたのでしょうか。
そしてお祓いとはどんなタイミングで行けば良いのでしょうか。
受けるものは厄払いでよろしいのでしょうか。
長々とすみません。
ご回答よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「私の本当の願い」に目覚めるために

ご相談拝読しました。本当にたくさんの大変なご縁の中を必死に立ち向かって生きてこられたのですね。

私たちの人生において起こる出来事は選べません。それはお祓いをしても同じことです。
では、お祓いで何を祓うかというと、その起こる出来事を悲観的・運命的・自己中心的にしか考えられない心なのかもしれません。

自分の人生、自分のいのちに対する祈りや願いをあらためる。

そのきっかけとしてお祓いが必要、あるいは有効だと考えるのならお祓いを受けるとよいでしょう。
お祓いを受けるのはいつでもかまいませんし、種類はお祓いを受けるお寺や神社で相談しましょう。

お祓いを受けなくとも、自分で気持ちをあらため、自分の人生、自分のいのちに対する祈りや願いを確認し、生きる力を湧かすことが出来るのならお祓いも必要ありません。

しかし人間はそう強くはありません。何らかの「きっかけ」や「支え」は大事です。

私たち僧侶にとってそれは仏様と仏様の教えと教えを共に聞く仲間です。常にブレ、常に悩み、常に迷う自分の姿を教えに確かめていきます。それが安心して迷いながら生きる道です。

なお、先ほど「自分の人生、自分のいのちにたいする祈りや願いをあらためる。」と言いましたが、これは単純に「何でも明るく前向きポジティブに!」という話ではありません。

辛い時はどうしてもつらいものです。仏教の教えはネガティブで暗く弱いこの私をも包み込んで救ってくださるものです。どんな自分も、どんな気持ちの時でも、「願われている私」「許されている私」に気づく時、私はこの私のままでも「私の本当の願い」にあらためて目覚めさせていただくのです。

それが私が祓いたくなるような「私が悪いと思う(評価する)出来事」をも引き受けさせてくれる支えとなる教えです。

「私の本当の願い」とは「私が悪いと思う(評価する)出来事」をなくしたいということではけしてなく、「私が私でよかった」「生まれてよかった、これが私の人生だ」と深く頷けることかもしれません。

起こる出来事は選べないこの人生において、あなたが支えとなるものに出会い、「あなたの本当の願い」に目覚め続けて歩めることを念じます。

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おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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因縁和合

質問読ませていただきました。

本当に、本当に辛い体験をたくさんなさってこられたのですね。
安易に同情するというのは、今までがんばってこられたななみさんに失礼かもしれません。
ですので、それらのことがあっても、現在まで一生懸命に生を紡いでこられたことに感謝させていただきます。

さて、仏教では因縁和合を説きます。
前世に自分がやってきたことが業(ごう)となります。良いことをすれば善業(ぜんごう)が積まれ、悪いことをすれば悪業(あくごう)が積まれるのです。
つまりいいことや悪いことの原因となる「因」ですね。

それが、今現在生きてる中で、様々な縁に触れます。周りの環境とでもいいましょうか、様々な出会いや体験などによって、自分が積んできた業が形となり結果として現れるのです。
ですので、どのような縁に触れるかで、同じ業を積んでもその結果は変わってくるのです。

ななみさんに悪いことが起こるのは、前世に積んだ業が悪かったのかもしれません。
もしくは、現世で触れた縁が悪かったのかもしれません。
ひょっとしたら、両方が悪かったのかもしれません。

ここで考えていただきたいのですが、自分が積んできた業は変えることはできません。
前世に戻って業を積み直すなんてことは不可能なんですから。

ただし、縁は変えることが出来ます。
私の寺院ではこのようにお説法させていただいております。
「世間の喧騒の中で過ごし、色々な欲がまみれる中で生活していると、どうしてもそれに飲み込まれてしまいます。人々の欲望が入り乱れているので、悪縁に触れる機会も自然と多くなるでしょう。
ですのでたまにはお寺に参詣し、仏様の前で心静かに手を合わせて下さい。心の洗濯をし、良縁に触れる機会を作って下さい」と。

お祓いを受けるというのであれば、いつ行かれても構わないでしょう。
ただし、それは一時しのぎに過ぎないかもしれません。
お祓いの種類は、お祓いを受けようとされるお寺(神社でしょうか)のご住職(神社なら神主さん)に一度ご相談してみて下さい。

私が申し上げたのは、私の主張でありますので参考程度に考えて下さい。
世の中にはたくさんの考えや主張の宗教があります。
ななみさんが色々考え、正しいと思うようにされるのが一番ではないかと思います。

少しでも良縁に触れ、少しでも幸せな事が起こるようにお祈り申し上げております。

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有り難し
おきもち

京都府・大阪府・奈良県の県境に当たる、京都府京田辺市の天王院というお寺でお...
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お祓いではなく…。

ご質問を、読ませて頂きました。
数々の大変な思いをされて、本当に苦しかったでしょうし、何故自分がこんな目に会わなければならないのか!、と憤りを感じる事も当然だと思います。何か災いになっているものがあるならそれを祓う事でスッキリして前に進めるならば、それに越した事はないと思われるでしょうが。
でも、ここで私が一番に考える事は、実はお祓いではなく、ご供養だと思うのです。
それも、ご先祖様が傷つけてしまった方々に対して…。
ここでまず、理解して頂きたい事は、人が1人この世に生まれるという事は、必ず両親がいるという事。言うまでもなく当たり前のことですが、そして、その両親にも当然、2人ずつ両親がいて、その繰り返しの上で、遡れば遡るほど、沢山のご先祖様がいるわけで、自分から10代遡れば、1024人のご先祖様がいる計算になります。
そのうち1人でもこの世にいなかったら、自分の命もこの世に存在しないことになりますから、自分の命や体をこの世に繋げて下さったご先祖様に対する感謝の気持ちも、大切にして頂きたいのですが、それと共に、沢山いるご先祖様のうちには、良いことをした方もいれば、人を泣かせるようなことをしてきた人もいるわけで、命や体を繋げて下さったように、良いご縁も悪いご縁も今の自分の代に繋がって来ます。
決してななみさんが悪いわけではなくても、過去において、ななみさんの先祖に苦しめられた苦しい思いをわかってほしいと思う気持ちがある事も実はあるのです。
この世からいなくなれば、全て終わり、であるなら、葬式も法事も、先祖供養も必要ないことになりますが、ななみさんが味わうことになった苦しい思いを、過去に経験した人がいて、その悲しみや苦しみをわかってほしいという思いを向けられていると考えてみるならば、やはり今回必要なことは、災いを祓うのではなく、悲しみや苦しみを救ってあげるご供養だと思うのです。
お寺に生まれたわけではなく、それでも出家することになってこれまで先祖供養を実際にして来た自分の経験からも、相手の苦しみや悲しみに気づき、ご供養をすることで、実際に、劇的に変化がありました。具体的には、ななみさんのご両親各家のご先祖代々と、それにまつわる一切の諸精霊として、菩提寺やお知り合いのお寺などでご供養してあげると良いと思います。
故人に対する気持ちを向けてあげる一歩にしては如何でしょうか?

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有り難し
おきもち

宮城県仙台市宮城野区福室にある、小さな家を直して、小さいお寺にしました...
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「お守り・お札・護符」問答一覧

お寺の御札/お守り等の授与物について

私は千葉県の在住です。成人です。 観音様への関心が強まりまして、 毎月・朔日/月初にお参りに通うなら在住市内に在るお寺の方が良いかなとも考え、検索して近所に見つけましたが、お寺って、中規模以上くらいにならないと、御札等がある程度の種類の取り扱いが無いところが多いな…と思いまして。 自宅の神棚にお祀りして毎朝お祈り/祈願したいのです。 それで、例えば、東京浅草の浅草寺は生まれてから2~3度お邪魔した事はあるのですが、 遠くはないが、行きたい時に難無く赴けるほど近くはない距離感で、郵送での購入を検討していますが、 「Q:普段から正月のお参りやある程度定期的にお詣りして馴染みがある訳でもないのに、御札やお守りだけを頂く事でも本尊様方のご利益に与れるものだろうか?と思いました。」 そこまで考えるのは少し考え過ぎかどうか…。 自宅近所に見つけた車で5分程度の同じ市内のお寺も聖観世音菩薩を御本尊として、他にも不動明王様もいるお寺で行き付けにしているのですが、浅草寺様と同じ観音様だから関連している…と考えて良いものか、と。 普段現地に顔を見せないのに御札だけねだられても…とは浅草寺の観音様も思わないんでしょうけど…。 或いは、その発見した近所のお寺にお参り時に、同等の金額を浄財としてお布施すれば意義的には同じなのかな…とも一縷考えましたが。 ※勿論、一番良いのは直接その場で授与していただける事、何か御祈願したい時にいつでもお参りできる事だとは承知はしているのですが…。

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聖天様のお守りと参拝について

夫婦関係に悩み、初めてのお寺に観音様の参拝に伺いました。事前にHPを拝見し、聖天様と浴油祈祷の記載もありましたが、何のことか私には理解できない事だと思い、観音様の参拝にと伺いました。 参拝後、本堂横の授与所で、あるお守りに惹かれましたが、お寺の方に"観音様ではなく聖天様ですが宜しいですか?"と2度念をおされ、意味はわからないまま"一旦考えさせて下さい"とその場を離れました。 そして聖天様について携帯で調べると、安易に拝むべきでない、信仰するなら一生、辞めると怖い等の情報を目にしました。 その後別の授与所で、お寺の方に"本堂で念を押された意味は何なのか、聖天様が怖い神様だと目にしたこと、私は一生信仰はできないだろうし、お守りを一度も粗末なく扱えると言い切れないので私が授かって良いのか迷っていること"を尋ねました。すると"確かに聖天様は神様なので私達の様な者に対して何をしてるんだ!と気づかせるイタズラはされます。でも一般の方にはないと思いますし、イタズラもせいぜい転ぶ程度です(私が心配する様な一生を左右するような罰はない)。一生信仰できなくても、綺麗に終われば良いです。願いが叶ったらお供えでも浄財でも構わないのでお持ちし、心を込めて感謝すれば大丈夫です。惹かれたということは心が呼ばれているということなのでお求めになれば如何ですか"と言われ、悩んだ挙げ句、"予め聖天様に、もし失礼があったら申し訳ないのですがお守りに惹かれ授からせてくださいとお参りしても良いですか"と聞くと、"良い事だと思います"と言って頂き、何の作法も知らずただ聖天様に手を合わせ、家庭の状況・観音様の参拝に伺ったがお守りに惹かれ授かりたいこと、もし粗相があったら申し訳ありませんと伝えお守りと共に帰宅しました。 その際はとても心強い安心した温かい気持ちになったのですが、その後も聖天様について調べてしまい、怖い気持ちが肥大し、そう思う事自体失礼で申し訳ない様な、でも分不相応な事に手を出してしまったような恐れを抱き質問致しました(以前の問答を読んだ上でまだ恐れてしまう自分がいます)。 お寺の方のお話をただ信じ、聖天様を触らぬ神に祟りなしと恐れず、他の仏様やお守りと同じ様に考えて良いのでしょうか?そもそも一生信仰とは何を指すのでしょうか?聖天様にお願いをしたら別の神様に同じお願いをしてはいけないのも本当ですか?

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ