お祓いに行きたいです。
私は身近な人たちにお祓いに行っておいでとよく言われます。
私自身も試練だとか今が大事だとか思っても心が弱ってしまっています。
小さな頃から叔父に性的虐待、母からは暴力暴言を受けていました。
叔父からも母からも愛故にだと言われていました。
母はいつの間にか父と離婚し別の男性の元へいってしまい
その男性から暴力暴言を受けて何度も救急車騒ぎになったり
叔父の性的虐待が親にバレて母はアルコール中毒になり
私が16になった頃首を吊りなくなりました。
その後も兄が離婚し子供を引き取り私が育てたり
子宮の病気になったり怪我が絶えなかったり
今現在進行形で怪我や病気が絶えません。
私は一体何をしたんでしょうか。
悪いことをしたのでしょうか。
そしてお祓いとはどんなタイミングで行けば良いのでしょうか。
受けるものは厄払いでよろしいのでしょうか。
長々とすみません。
ご回答よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「私の本当の願い」に目覚めるために
ご相談拝読しました。本当にたくさんの大変なご縁の中を必死に立ち向かって生きてこられたのですね。
私たちの人生において起こる出来事は選べません。それはお祓いをしても同じことです。
では、お祓いで何を祓うかというと、その起こる出来事を悲観的・運命的・自己中心的にしか考えられない心なのかもしれません。
自分の人生、自分のいのちに対する祈りや願いをあらためる。
そのきっかけとしてお祓いが必要、あるいは有効だと考えるのならお祓いを受けるとよいでしょう。
お祓いを受けるのはいつでもかまいませんし、種類はお祓いを受けるお寺や神社で相談しましょう。
お祓いを受けなくとも、自分で気持ちをあらため、自分の人生、自分のいのちに対する祈りや願いを確認し、生きる力を湧かすことが出来るのならお祓いも必要ありません。
しかし人間はそう強くはありません。何らかの「きっかけ」や「支え」は大事です。
私たち僧侶にとってそれは仏様と仏様の教えと教えを共に聞く仲間です。常にブレ、常に悩み、常に迷う自分の姿を教えに確かめていきます。それが安心して迷いながら生きる道です。
なお、先ほど「自分の人生、自分のいのちにたいする祈りや願いをあらためる。」と言いましたが、これは単純に「何でも明るく前向きポジティブに!」という話ではありません。
辛い時はどうしてもつらいものです。仏教の教えはネガティブで暗く弱いこの私をも包み込んで救ってくださるものです。どんな自分も、どんな気持ちの時でも、「願われている私」「許されている私」に気づく時、私はこの私のままでも「私の本当の願い」にあらためて目覚めさせていただくのです。
それが私が祓いたくなるような「私が悪いと思う(評価する)出来事」をも引き受けさせてくれる支えとなる教えです。
「私の本当の願い」とは「私が悪いと思う(評価する)出来事」をなくしたいということではけしてなく、「私が私でよかった」「生まれてよかった、これが私の人生だ」と深く頷けることかもしれません。
起こる出来事は選べないこの人生において、あなたが支えとなるものに出会い、「あなたの本当の願い」に目覚め続けて歩めることを念じます。
因縁和合
質問読ませていただきました。
本当に、本当に辛い体験をたくさんなさってこられたのですね。
安易に同情するというのは、今までがんばってこられたななみさんに失礼かもしれません。
ですので、それらのことがあっても、現在まで一生懸命に生を紡いでこられたことに感謝させていただきます。
さて、仏教では因縁和合を説きます。
前世に自分がやってきたことが業(ごう)となります。良いことをすれば善業(ぜんごう)が積まれ、悪いことをすれば悪業(あくごう)が積まれるのです。
つまりいいことや悪いことの原因となる「因」ですね。
それが、今現在生きてる中で、様々な縁に触れます。周りの環境とでもいいましょうか、様々な出会いや体験などによって、自分が積んできた業が形となり結果として現れるのです。
ですので、どのような縁に触れるかで、同じ業を積んでもその結果は変わってくるのです。
ななみさんに悪いことが起こるのは、前世に積んだ業が悪かったのかもしれません。
もしくは、現世で触れた縁が悪かったのかもしれません。
ひょっとしたら、両方が悪かったのかもしれません。
ここで考えていただきたいのですが、自分が積んできた業は変えることはできません。
前世に戻って業を積み直すなんてことは不可能なんですから。
ただし、縁は変えることが出来ます。
私の寺院ではこのようにお説法させていただいております。
「世間の喧騒の中で過ごし、色々な欲がまみれる中で生活していると、どうしてもそれに飲み込まれてしまいます。人々の欲望が入り乱れているので、悪縁に触れる機会も自然と多くなるでしょう。
ですのでたまにはお寺に参詣し、仏様の前で心静かに手を合わせて下さい。心の洗濯をし、良縁に触れる機会を作って下さい」と。
お祓いを受けるというのであれば、いつ行かれても構わないでしょう。
ただし、それは一時しのぎに過ぎないかもしれません。
お祓いの種類は、お祓いを受けようとされるお寺(神社でしょうか)のご住職(神社なら神主さん)に一度ご相談してみて下さい。
私が申し上げたのは、私の主張でありますので参考程度に考えて下さい。
世の中にはたくさんの考えや主張の宗教があります。
ななみさんが色々考え、正しいと思うようにされるのが一番ではないかと思います。
少しでも良縁に触れ、少しでも幸せな事が起こるようにお祈り申し上げております。
お祓いではなく…。
ご質問を、読ませて頂きました。
数々の大変な思いをされて、本当に苦しかったでしょうし、何故自分がこんな目に会わなければならないのか!、と憤りを感じる事も当然だと思います。何か災いになっているものがあるならそれを祓う事でスッキリして前に進めるならば、それに越した事はないと思われるでしょうが。
でも、ここで私が一番に考える事は、実はお祓いではなく、ご供養だと思うのです。
それも、ご先祖様が傷つけてしまった方々に対して…。
ここでまず、理解して頂きたい事は、人が1人この世に生まれるという事は、必ず両親がいるという事。言うまでもなく当たり前のことですが、そして、その両親にも当然、2人ずつ両親がいて、その繰り返しの上で、遡れば遡るほど、沢山のご先祖様がいるわけで、自分から10代遡れば、1024人のご先祖様がいる計算になります。
そのうち1人でもこの世にいなかったら、自分の命もこの世に存在しないことになりますから、自分の命や体をこの世に繋げて下さったご先祖様に対する感謝の気持ちも、大切にして頂きたいのですが、それと共に、沢山いるご先祖様のうちには、良いことをした方もいれば、人を泣かせるようなことをしてきた人もいるわけで、命や体を繋げて下さったように、良いご縁も悪いご縁も今の自分の代に繋がって来ます。
決してななみさんが悪いわけではなくても、過去において、ななみさんの先祖に苦しめられた苦しい思いをわかってほしいと思う気持ちがある事も実はあるのです。
この世からいなくなれば、全て終わり、であるなら、葬式も法事も、先祖供養も必要ないことになりますが、ななみさんが味わうことになった苦しい思いを、過去に経験した人がいて、その悲しみや苦しみをわかってほしいという思いを向けられていると考えてみるならば、やはり今回必要なことは、災いを祓うのではなく、悲しみや苦しみを救ってあげるご供養だと思うのです。
お寺に生まれたわけではなく、それでも出家することになってこれまで先祖供養を実際にして来た自分の経験からも、相手の苦しみや悲しみに気づき、ご供養をすることで、実際に、劇的に変化がありました。具体的には、ななみさんのご両親各家のご先祖代々と、それにまつわる一切の諸精霊として、菩提寺やお知り合いのお寺などでご供養してあげると良いと思います。
故人に対する気持ちを向けてあげる一歩にしては如何でしょうか?