明後日納骨でございます。
お忙しいところ失礼致します。最愛の母が昨年12月11日に亡くなり、明後日が七七忌で納骨なのですが… 諸事情により、火葬のみで七七忌に始めてご住職にご供養して頂きます。 七七忌までの七日毎のご供養は、自分なりに精一杯したつもりでおります。 今現在、母が私の周りに居てくれている事を感じながら、なんとか心を保っている状態でございます。 納骨など、お塔婆や参列人数などもご住職に伝えて進めていますが 今現在納骨したくない気持ちが出て来てしまって…お骨を少し分けて自宅に置く事も考えましたが…母は長年骨の病気を患っていたので、亡くなった後も、骨が少しでも無くなっては可哀想だと、自分に言い聞かせている状態でございます。 生前、母が食事中に抜けてしまった歯が取ってあるのですが(3年以上前に抜けた歯です)こちらを、お骨を分けて持つ代わりに手元に置いておくのは、分骨の代わりになるのでしょうか? その歯がお骨の代わりになるのであれば、分骨を我慢出来る気持ちになれそうなのと、納骨への前向きな気持ちになれるかも?しれないと思い、質問させて頂きました。 そして、納骨する事と、全てのお骨を手元供養する事との違い 母の魂にとって何が違うのか?教えて頂きたく存じます。 今現在、母がそばに居る事を感じて、1日を過ごせている状態で、納骨したら、今感じている母の感覚が無くなってしまうと思うと、苦しくて、明日が来なければ良いのに…と、思ってしまいます。 泣くと、母が泣かないで と、悲しむし、天の素晴らしい場所に行く事の足を引っ張ってしまうとわかりながらも…納骨後の母の魂不在になることが、怖くて悲しくて寂しくてなりません……
泣いている事は、私は、亡くってからも、親不孝だ…と理解していても だめなんです… ちゃんと納骨して、お母さんに大手を振って、一目散にお盆に私の所に帰って来て欲しい と思う気持ちと 心がグチャグチャでございます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お悔やみ申し上げます。
宗派によって考え方は様々ですが、あくまで私のスタンスとしてお読みください。
魂が1人1つなど誰が決めたのでしょうか?おそらくキリスト教の影響です。私たちには関係ありません。このあたりの文化圏には昔から「三魂七魄」(さんこんしちはく)という言葉がありまして、人には3つの魂と7つの魄があると言われていました。魂魄(こんぱく)と言えば聞き覚えがございますでしょう。
数がいくつかを問題にしたくはありませんが、大切なのは「魂は大空に還り、魄は大地に還る」ということです。これはどういうことでしょうか?お母さまは亡くなってから神の世界に召されるのではありません。この世界から生まれ、この世界に還る…ただそれだけです。
ですから、安心して下さい。お母さまはどこにも行ってしまいません。雨が降ったら雨の世界、雪が降ったら雪の世界、晴れたら晴れたなりの世界そのものがお母さまからの恵みです。春に花が咲き、夏に真っ青な空が広がり、秋にお米の収穫がされ、冬に身の引き締まる風が吹く。それらの1つ1つがこの世界そのものとしてのお母さまです。
ですから、お骨は歯も含めて、あるべき所に還してあげましょう。魄とは白い魂、つまりお骨のことです。そして泣いて良いです。哀しがっても良いのです。でも、できる範囲で精一杯、目の前に広がるこの世界に感謝と敬意の心を持って接して下さい。それがこの世界そのものであるお母さまへの何よりの供養です。 山も川も、空も、みんなお母さまのお恵みです。
分骨はお経に説かれていません。
法華経には全身と説かれていますから納骨は全骨です。
生前に抜けた歯をそばに置くのがよろしい。
魂は肉体という縛りから解放され自由になりました。あなたがお母様に来て欲しいと願うなら魂の止まり木を用意しましょう。
お位牌が止まり木になります。
自分なりの供養は供養になりません。これからは仏の教えを学び正しく行ってください。
あなた自身が救われるためにも納骨は大切
先日のそうぎでこんなことがありました。
最近では、葬儀の当日に納骨までされる方が減り四十九日まで骨を自宅においてくという方が多くいます。そんな中、珍しく葬儀の当日に納骨までやりたいというお話がありました。スケジュール的にも楽な内容ではなかったのですが無理してでも納骨したいというのです。
お話を聞くと、以前娘さんを亡くされた時に、骨を自宅に置いておいたら、そこから離れられなくなり、悲しみにくれ毎日を過ごすことになってしまった。今回は旦那様を亡くされ、早く立ち直るためにも、納骨は早くしたいとのことでした。
その方は、今回、葬儀の次の日には気持ちを切り替え、お仕事へでかけることができたそうです。
あなた自身が、立ち直り救われることが、亡くなった方の成仏のなるわけです。過去ではなく、今目の前の現実を生きるための切り替えの機会です。そこで、成仏させてあげてください。
質問者からのお礼
大慈様 邦元様 けんしょう様 お三方のお言葉を何度も何度も読ませて頂き、無事に全てのお骨を納骨をする事が出来ました。 生前に抜けて取っておいた母の歯は、どうしてもお骨と一緒に戻す事が出来ず、大切にしまっており、出かける時には、ネックレスの中に歯を入れて出かける事にしました。 納骨後、我が家に戻り、お仏壇にご本尊と母のお位牌をお祀りし、納骨前と変わらず、灯りを灯しお線香を1日に数回で話しています。 納骨後、母を感じる事が出来なくなってしまいましたが、遺影の母の笑顔を常に見られる場所に置いて話して、一緒にご飯を食べています。 百箇日までには、母が好きと言ってくれていた、屈託なく心から笑える私に戻りたいと思っております。 ぐらぐら揺らいでいた心を、お三方のお言葉で、あるべき道に戻して頂き、本当にありがとうございました。 心より感謝申し上げます。