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母の死、 弱い私と膨らみ続ける罪悪感

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初めて質問、失礼致します。
こういう場所への投稿も初めてで、無礼がありましたらお許し下さい。

ずっと一緒に暮らした高齢の実母を癌で亡くしました。

私の判断で、告知も延命治療もしませんでした。私自身も癌を経験し、その時の絶望感を年老いた母にさせたくないと思ったからです。

高齢ということもあり、母の性格も考え、主治医の先生も、「余命を穏やかに過ごす」のもアリですと、快諾して下さいました。

旅行に行ったり、ぶざけあって笑ったり、楽しく暮らした数年間でした。
癌とわからなかったら出来なかっただろう良い思い出を作ることができました。

でも、ふと、、本当は私の気持ちが弱く、母が苦しむ姿を見るのが恐かったから、知らせなかったのかもしれないとも思うようになり、、。

自分のしたことに腹を括れない弱い私。
そろそろ前を向いて歩きたいのに、踏み出せない弱い私に、喝をいただけたらと思います。
いい年をしてお恥ずかしい限りです。

心身ともにかなり凹んでます故、出来ればお手柔らかにお願い申し上げます。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

娘との時間を抱きしめて、安心して逝かれたのです

はじめまして。

お盆のお檀家さん参り(棚経)が終わり、脱力の朝を迎えています(笑)
五十も半ばを過ぎ、一晩眠れば疲れは吹っ飛ぶという訳にもいきません。朝勤の後、久しぶりにハスノハにログインし、トップにあった貴方の投稿が目に飛び込んできました。身体が弱っているからか、年齢とともに涙腺が脆くなったのか…貴方の文面に引き込まれ、涙しました。

私も高齢の母と生活をともにし、年々弱っていく様を目の当たりにしています。ここ数年の間に大病を患い、「これが今生の別れ」と覚悟したこともあります。運動機能の低下に加え、近頃はメンタル面もかなり怪しくなっているので、一人にしておけない時もあります。
それでも、幾多の困難を乗り越え、齢九十を迎える母が前のめりに物事に取り組む姿に、この年になっても子どもの頃と同じように大切なことを教わっているように感じています。

日頃からお母様の思いを推し量ったり、コミュニケーションを取りながら、最も身近でお世話をし、或いはお世話になりながら日々を過ごし、本音をぶつけ合い、気遣い、互いの安らかな未来に祈りを捧げた晩年の道のりは、紛れもなく貴方がたが歩まれた母娘の軌跡です。

「私との時間を抱きしめて、安心して逝った。」

そんな貴方の強い思いが無ければ、たとえお身内であろうと、人ひとりの人生の終焉にしっかりと向き合うことなど出来なかったと思うのです。
それでも、お亡くなりになってから、溢れ出る後悔があるのなら、今は無理に踏み出す必要はありません。お二人で歩まれた人生に思いを馳せ、お母様の旅立ちにそっと寄り添いながら、そしてまた共に歩き始めるのです。

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おきもち

初めまして。桑木茂光と申します。 大阪最北端に位置する能勢町にございます...
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これでいいのです。

ご質問ありがとうございます。

癌を患われたお母さんに告知も延命治療もせずに送られたことに、
あとから自分の弱さからそうしたのではないか、との思いを抱かれておいでなのですね。

現代の医療はこういう場合、告知して、治療法を患者自身にも選ばせるという流れのようです。

そういう場合、あなたがお考えになったように、お母様は絶望感や恐怖感を抱かれたかもしれません。でも、そうでないかもしれません。

旅行など楽しい思い出をお母様と共有されたようですが、これも現代の終末期医療のあり方からすると、患者のQOLを高めたことになるのでしょう。
お母様にとってこれが良かったのか良くなかったかは、ご本人以外にはわからないことだと思います。

あなたの選択が良かったのか悪かったのか、実は答えは出ないことなのではないでしょうか?
しかし、あなたの選択には、一生懸命お母様のことを思う思い、お医者様の同意、そしてここには書かれてはいないのですが、多くの方の支えもあったのではないでしょうか。

わからないことを思っていても、わかるようにはならない。
あなたの選択も、今から良かったのか悪かったのか、判断することはできない。

とすれば、(少し無責任に聞こえるかもしれませんが)、今の問題としてたいした問題ではないのではないでしょうか?

あなたはこれからも生きて行かれます。
思いは残ると思われますが、必要以上にこだわることもないことなのではないですか?

人間の判断を超えることは、仏様に任せておけばいい、
私はそう思います。

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おきもち

真宗山元派上西山正善寺住職
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質問者からのお礼

藤堂尚夫様

早速のアドバイスありがとうございます。

ご住職が仰る通り、かかりつけのお医者様初め介護の皆さん、近所の方々まで本当によくして頂きました。

母もよく「あたしゃ殿様になった気分だよ」と、、。何回聞いても、お姫様ではなく、お殿様だそうです。
近くに頼れる親戚もいなかったので、本当に感謝しています。

殿様気分を味わったのですから、「余は満足じゃ」って言ってくれてたら嬉しいのですが。そう思うことにして、私もそろそろ前を向こうかと思います。

しかし、仏様が私の判断を間違いだったとジャッジしたら、、、恐ろしくて私、当分あの世には行けませんね。早く母の所に行きたかったけど、やめときます。

実は供養の面でも問題を抱えているのですが、少しずつ解決していこうと思います。
背中を押してくださり、有り難うございました。感謝の気持ちでいっぱいです。

桑木茂光様

お盆でお忙しく、お疲れのところアドバイス頂き有り難うございます。私の地元は7月お盆で、母は先月初盆に帰ってきました。

私が一人で無事に看取れたのは、、、

先程アドバイス頂いた正善寺のご住職のご指摘通り、周りの方々の支え。

そして桑木様が仰るように、私も母のために、母も私に悔いのないように身を任せてくれたからだ気付くことができました。
母も覚悟をしていたのでしょう。最期にしっかりお別れも言うことができました。

せっかく母が私にだけくれた思い出の宝物を大切にしたいと思います。

気付かせて頂き有り難うございました。
感謝しています。

お母様お大事になさって下さいませ。

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