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見返りを求めてしまいます

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有り難し有り難し 169

普段から好かれたくて人に親切にしたり、何か褒美を得られるからといった理由で行動を起こすことが多いです。

そのおかげでよく優しいね、えらいね、と言われますが、実際はとても自分本位な性格なので得にならないことだと途端に面倒くさがってしまいます。
他人に優しくするのも、自分が好かれたい、優しくされたいという下心からです。

浅ましいと自分でも思います。
優しくされたいから仕方ない!と開き直ったり、自分はなんて人間なのだと落ち込んだりする日々です。

どうしていいか分からず苦しいです。でも優しくされたいです。好かれたいです。見返りを求めてしまいます。
その一方で必死すぎてきもいなとも思います。

昔、友人から雑な扱いを受けていて、度々「いないもの」にされていました。発言、行動を無視されたり、否定されたり、馬鹿にされたりといった扱いです。それが2年ちょい続いて正直かなりきつかったです。

向こうは冗談のつもりだったらしく、のちに謝ってくれてこの件は解決しました。でもこれをきっかけに、こんな調子になった気がします。

また、「無償の愛」について語るドラマや人を見ると、そんなものあるわけないじゃん、と思ってしまいます。
そんな考えを持つ自分が嫌です。

長いうえに文章がまとまっていなくて申し訳ありません。
一体どうすれば考えを改められるのでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

見返りを認めない方が病的

マズローの五段階欲求説をご存知ですか?人間には5つの欲求があり、より基礎的な欲求が満たされると、段々により高い欲求を求めていくという心理学の説です。
5つの欲求とは低い方から①食欲や睡眠欲などの生理的欲求、②危険のない安全な暮らしをしたいという安全欲求、③孤独は嫌だ、仲間が入れて欲しいという社会的欲求、④他人に認められたい、尊敬されたいという尊厳欲求、そして最後に⑤自分はこうありたい、こうなりたいという自己実現欲求です。

この五段階欲求仮説は「いや、そんなに段階的なものじゃないでしょ、同時多発的なものでしょ」という反論を解決できないため理論でなく仮説とされていますが、この5つの分類に共感する人が多く、様々シーンで引用されます。

さて、私が何を言いたいか。それで良いのですよ、それで当たり前ですよということです。
>優しくされたいです。好かれたいです
→尊厳欲求もしくは社会的欲求。この2つはかぶっている部分があります

>発言、行動を無視されたり、否定されたり、馬鹿にされたり
→尊厳欲求・社会的欲求の抑圧

>浅ましいと自分でも思います。
→自己実現欲求の未達成

ハイ、何もおかしくありません。別に悪いことじゃありません。当たり前に人間として生きているだけです。

むしろ逆です。現代日本社会は名誉や地位といった社会的報酬を良くないモノと見なしたからエネルギーを失ったのです。そのくせ社会的に抹殺するという社会的罰には興味津々な癖に…ですよ。そっちの方がよっぽど病的です。

かの大聖人、お釈迦さまでさえこうおっしゃっています。

>諸根(こころ)の寂静(しずか)なること
まことよく御者に(な)馴らされし
馬のごとく
慢(たかぶり)をすて
諸漏(まよい)をつくせる
かかるひとを
『神々もうらやむなり』
(友松円諦訳『法句経』第94)

お釈迦さまが尊厳欲求を求めたかどうかは本人にしか分かりませんが、少なくとも尊厳欲求に訴えかけて仏道修行を勧める物言いをなさったことがあるということですね。
お釈迦さまも心理学者も認めているのに、どうして後ろめたく思う必要があるのでしょうか?安心してください。誰だって多かれ少なかれ持っている感情です。

面倒臭い?面倒臭くていいんです。ただ、面倒臭いのを我慢する心は社会人を目指して養わなければなりませんけどね。

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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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たまごさん
初めまして。お坊さんで女子プロレスラー、カウンセラー見習いの雫有希です。
お悩み拝見いたしました。
私もかつて同じような悩みを抱え、苦しんでいたのを思い出しました。

見返りを求めてしまう・・・・、そもそも私たちは見返りを求めないで生きていけるのでしょうか?
仕事って見返り(給料)を求めることが第一目的では?だとしたら世の中の社会人はみんな失格ですね。
見返りを求めないのであれば、仕事なんてやめてボランティアをやればいいんです。
でもボランティアで世の中の経済がすべて回るでしょうか?そんなことはありません。
見返りを求めることは悪いことではありません。

しかしここで落とし穴があります。
「人に好かれるために」見返りを求めるなら、それは違います。
あえて作った自分を見せて、相手とかかわっても、その相手には「あえて作った偽りのあなた」しか見えません。それはまるで仮面舞踏会。

そんな仮面はいっかいとってみませんか?

偽ったり作ったりする優しさよりも、本来のたまごさんをみせたほうが楽になりませんか?
それで本来のたまごさんを好きになってくれる人がいたらめっけもん。
もし、本来のたまごさんをさらけ出して、うまくいかなかったら、それはその時で自分とむき合えばいいのです。気づけばいいだけです。

いい子じゃなくても愛される。
いい子じゃなくても優しくされる。
私という存在は仮面をかぶらなくても、人から優しくしてもらえる人間なんだ。

そう思えるようになったほうが心が軽くなりませんか?

まずはありのままの自分を愛してください。

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雫有希(占い専門僧侶)
占い師、タロット講師、心理カウンセラー、女子プロレスラーの顔を持つ浄土宗の...
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質問者からのお礼

とても丁寧で親切な回答をどうもありがとうございました。
誰にも言うことができなくて鬱々としていたのですが、このような場で回答をいただき肩の荷が降りたような気持ちです。
安心と嬉しさでちょっと泣きました。
すぐには難しいけれど、この気持ちをもう少し肯定的に捉えていければいいなと思います。
本当にありがとうございました。

自分を好きになるという発想がなくて目から鱗でした。
まだまだ好きになれるほど自分のことを肯定できていないので、そこから少しずつ受け入れていきたいと思います。
文章がとてもストンと入ってきました。
分かりやすい回答をどうもありがとうございました。

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