人並みに生きられません。欲を抑えられません。
こんばんは。
ネットでこちらのサイトを拝見し、失礼ながら質問させて頂きたいと思い書き込みました。
どうか、生きていく術を教えて頂けないでしょうか。
ボクは、とにかく自分を抑えられない人間です。
幼少期から子供のような父親と母親に育てられ、その上無知で臆病な人間だったため人との関わりも少なく、幼さと未熟さを多く抱えたまま、この歳まで生きてきました。
そのくせボクは、そんな自分を受け入れる事すら嫌悪を感じています。
未熟なボクに対する世の中の反応すら、受け入れられません。
「なぜボクが、子供の頃からこんな思いをしなければならないのか。」
そんな思いが、捨て切れないのです。
そのため、努力というものに対しても、嫌悪してしまいます。
例えるなら、さんざん適当にあしらわれた挙げ句、「さぁ努力しろ」と投げ出されているような気分なのです。
それではいけないと思ったこともあります。
比較的厳しい職場に、身を置いたこともあります。
それでも、堕落してしまうのです。
「使えない人間」という立場に、逃げてしまうのです。
そして、その立場が嫌なのです。
しかし、そこから立ち上がる根性も、それを耐える強さもないのです。
あらゆる方法で、逃げてしまいます。
何度も立ち上がろうとしましたが、同じ結果です。
もう、カウンセリングに通う意味も感じず、また通うお金もありません。
今は、一人暮らしです。経済的に、自分を追い込みました。
しかし、逃げてしまいました。今は無職です。
理解が、本能に追いつきません。
理性が、役割を成しません。
それよりも、自分が「使えない人間」として扱われ、叱られ、努力しなければならない状況が、嫌でたまらないのです。
幼い頃は、人を大切にと思ったこともありました。比較的、祖母も好きな人間でした。
しかし社会人になって、気づきました。
こんな思いをしているのに、何故人を愛する必要があるのか。
なぜ、ボクばかり、こんな我慢や努力を、こんなに苦しいと感じなければならないのか。
そこから、私の薄情な人生は始まりました。
今は簡単に人も裏切るし、そもそも人を好きという思いに一貫性がありません。
余裕が、ないのです。
こんな私が、生きる術はあるでしょうか。
死なない理由も、もはや恐怖と兄弟だけです。
それが、今は比較的どうでもいいのです。
職業:無職(先日まで派遣、バイト等) 性格:怠惰。無知。根暗。薄情。 人生に対する願望:別人に産まれ変わりたい。人に優しく、自分に厳しく。人並みの頭脳を持ち、人並みに稼げる人間。
私の煩悩:思いつく、あらゆる煩悩全て。 食欲、色欲、睡眠欲。 特に睡眠欲は幼少期より酷く、まともに勉強も出来ない人間でした。 とにかく、欲を抑え抗い続ける術をしりません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
素直になりましょう
読まさせていただきました。
否定的な言葉ばかり並んでいますが、自分を好きになり、人も好きになることが一番の
回復への近道ではありませんか?
否定的な言葉ばかり使っていると、ますますがんじがらめになりますよ。慈悲(じひ)の心を
大事にしてください。
答えは自分の中にある
質問拝見しました。
あなたは自分の生き方を質問されました。
そして、お気づきかわかりませんが、質問の中にその「答え」になりうる言葉も並べられていますね。
今は自分の行く末が心配でしょう。しかし、あなたは自分で自分の事をよくわかっておられますね。
色々、自分の思い通りにならないことがありますが、その中の1つだけを取り出して、解決していきましょう。
自分の欠点全部を同時に解決できる人間なんていません。みんなあなたと同じ悩みを抱えているんですよ。(表には出しませんが…)
仏教の実践
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
なかなか欲というものは簡単には抑えられないものであります。
そのため、欲を抑えるための手段を講じる必要があります。
仏教では、欲・煩悩の問題についてよく理解すること、戒律(ルール)を守ること、欲を抑えられるように修行に取り組むことなどがございます。
また、より善くに生きていくためにも仏教は役立つものにもなります。
ですので、まずは在家の仏教信徒としてから正式に仏教の実践を始められるのもお勧めとなります。
是非、ご検討下さいませ。
川口英俊 合掌
最近NHKで夜中23時50分にみんなで筋肉体操という番組をしています。その番組の終わりに、筋肉は裏切らない、という言葉が出てきます。私は筋肉体操をしながら、なるほどなぁと思いました。
努力するから筋肉ができる。
筋肉は裏切らない、とは、努力したら必ず結果が出る、ということなのですね。
あなたは努力しないといけない状況が苦手のようです。私も苦手ですが。
ここは一度、体を鍛えてみませんか?
時間はあるのでしょうから、毎日、腕立て伏せ、腹筋、背筋、スクワット、ジョギングと、体を鍛えましょう。
そうすれば努力する能力も少しずつ高まると思いますし、次に働く時も体力的に余裕ができると思いますよ。
親や職場からは逃げることができても、自分からは逃げることができないのですから、自分としっかり向き合いましょう。鏡に映る自分に言いましょう。体がたるんでるぞ!と。
追記
毎朝10キロですか!それはお見それしました。
あなたは本来努力できる人なのですよ。
ただ周りの期待に応えられないのではないかという不安が、逃げるという選択をしてしまうのかもしれません。
確かに心の奥底というものはなかなか変えることができないのかもしれないです。
それでも仏教的にも心と体は一つです。
ですから、今一度筋肉を取り戻していきましょう。鍛えたら必ず筋肉が付きますね。
それと同じで、仕事も期待に応えられなくても続けていたら、いつの間にか期待に応えられるようになっている、そんなものだと思いますよ。
質問者からのお礼
お忙しい中での回答、本当にありがとうございます。
香泉玄祐様。
正直、自信がありません。
一つずつ解決していこうにも、その一つすら持続困難で、同時に、世の中は「私のペース」というものを許してくれるほど、金銭的にも時間的にも、許容がないように思えるのです。
ですが、香泉玄祐様から頂いた「一つだけを取り出して解決していく」という言葉を、もう少し意識して精進に努めたいと思います。
ありがとうございます。
鈍阿様。
ごめんなさい。
途中で送信してしまいました。
鈍阿様。
自分を好きになる方法や手段を、見失っている毎日です。
他人に批判され、自分でも良くないと思いつつ、改善出来ない。
自分を好きになれる要因が、見つからないのです。
でも、確かに否定的な言葉は、よくないものだとは感じています。
もう少し、否定を無くして肯定で生きれるように考えていきたいと思います。
ご回答、ありがとうございました。
三宅 聖章様。
お忙しい中でのご回答、本当にありがとうございます。
私は、実は身体が資本みたいな職場についてた時もあり、早朝に10キロくらい走って、それなりに筋トレをしていた時期もありました。
その時は、多少今よりマトモだったかも知れません。特に寮のような所で集団生活していたので、行きたくなくても仕事に行かなければならない状態でした。
そんな経験をしてもなお、本質の部分が変わらない。変えられない。
こんな自分を、これからも危うく維持して筋トレしても、またすぐに崩れてしまう気がしてならないのです。
正直不安ではありますが、出来る限り筋トレ等で身体を鍛えることを念頭に、自分と向き合ってみたいと思います。
ありがとうございます。
色々な事情が重なり、お礼が大変遅くなりました。せっかくの御回答を頂いている中、大変申し訳ないです。
三宅 聖章様。
再びの回答、本当に、ありがとうございます。
お礼が遅くなりまして、ごめんなさい。
10キロのランニングについては、嫌々やらされていたものでした。
毎日が嫌で、走った後の達成感より、やりたくない気持ちが常に心を支配していましたから、努力出来る人間では無いかもしれません。
ですから、仕事にしろ、続けたところで期待に応えられる人間になるはずがない、という気持ちも、少なからず感じてしまいます。
ですが、やはり、続けるしか無いのですよね。
正直、使えない人間としての人生を、「いつか」を信じて続けるのが苦しいのですが、なんとか続けることについて考えていきたいと思います。
貴重なお話、ありがとうございました。
川口 英俊様。
回答、ありがとうございます。
お礼が遅くなり、申し訳ないです。
もし修行というものに参加出来たら、と思うこともありましたが、多額の費用が必要でしたり、立地的に通うのが難しかったりして、諦めている部分があります。
とはいえ、あまり情報を知りませんので、その仏教信徒というものについての情報を、もう少し調べてみたいと思います。
貴重なお話、ありがとうございます。