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亡くなった次女はどうしてるのでしょうか

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はじめまして。
今年女の子の双子を出産し、生後3ヶ月で1人を亡くしました。

妊娠中から様々なトラブルに見舞われ、緊急帝王切開で早く産まざるを得ませんでした。
かなりの早産だったため、2人とも1000g満たない小さな赤ちゃんでした。
出産直後は誕生してくれた喜びよりも、こんなに小さく産んでしまった自分を責め、この子達は無事に大きくなれるのだろうかという不安でいっぱいでした。

2人ともNICUでしばらくお世話になったのですが、長女はすくすくと大きくなり2ヶ月ほどで退院することができました。
次女はなかなか思うように大きくなれず、手術も何回も繰り返し、結局NICUを出ることなく亡くなってしまいました。

次女が亡くなった直後は、生きている長女のためにも頑張らなくちゃという気持ちで無理をしていたのかもしれません。
しかし、四十九日を過ぎたあたりから実感が湧き始め、慰めのつもりでかけられる言葉が胸を突き刺さるようになりました。
今では人に会うことが怖くなり、外に出ることもできなくなってしまいました。

元気に育ってくれている長女のためにも、一生懸命生き抜いた次女のためにも、私はしっかりとこの世を全うするつもりです。
しかし、毎日次女を思っては涙が止まらないんです。

何で他の赤ちゃんではなく次女だったのか。
私には2人を育てる器量がなかったのだろうか。
何でもっとお腹で大きく育ててあげれなかったのか。
一人で寂しくしていたらどうしよう。
いつも私たちと一緒にいてくれてるのだろうか。
また会えるのだろうか。
こんなことばかり考えてます。

次女を亡くした悲しみを乗り越えるつもりはありません。
乗り越えたいとも思いません。
ただ次女がどうしているか知りたいんです。

お願いします。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

手を合わせるそこに、仏さまに抱かれた あの子がいますよ。

あなたが、どんな想いでいるのか、考えています。命を生み 育む というのは、母親だけの力じゃない。あかちゃんも、一緒に。
あの子は、あなたと共に生き、そして その命を精一杯に生きた。
本当に、よく頑張ったわね。
あなたも、あかちゃんも。
あなたの愛情をたっぷりと感じていたことでしょう。あの子は、愛されて、生き抜いてくれた。その命に、ありがとうと、手を合わせたいです。
大変な中で、あなたのおかげで、ご家族は あの子に会うことができたのよ。あなたを誰も責めたりしない。ありがとうと、あなたは素晴らしいママよと、抱きしめてあげたい。
今も、あなたの大切な可愛い娘ちゃんよね。
これからもずっと。

私が手を合わせるのはね、この世で命終えていく人を、浄土へと救いたいと願ってくださる仏さまに、どうぞお願いしますと、念じているから。そしたら、必ず その人と、また会える。会わせてくださるの。
それが、極楽浄土の仏様。阿弥陀如来の願いです。救いです。
私はね、あなたが、なもあみだぶつ と、手を合わせるたびに、あの子が阿弥陀さまのお膝で、阿弥陀さまに抱かれて、安心している姿を想いますよ。
いつの日か、会えることを。
あの子も、待っています。

一緒に、手を合わせていきましょう。
ありがとうと言えない日があってもいい。
涙する日や、自分を責める日、会いたくてたまらない日、どんな日も、一緒に私も、あなたのそばにいますから。

阿弥陀さまに見守られながら、長女さんの、次女さんの、ママでいてね。

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おきもち

はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
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「死後の物語」を通して出会い続けていく

お子様のご命終に謹んで哀悼の意を表します。

南無阿弥陀仏

さて、亡くなった方が今どうしているのか。それは誰にもわからないのです。亡くなってからこの世に戻ってきた人はいないからです。

しかし宗教にはこの誰もがわからないけれども誰もが知りたがる問題に対し寄り添う教えがあります。
例えば、仏教においても浄土真宗が拠り所とする経典には、阿弥陀仏という仏様が作った極楽浄土という世界があり、阿弥陀仏の願いによって私たちはみな死後にその世界に生まれ再会するという内容が説かれます。極楽浄土は苦しみがない平等の世界です。

もちろん、様々な宗教で説かれるこうした「死後の物語」は「歴史的事実」ではありません。「物語」です。

この「物語」はたんなるフィクション・虚構・気休めの人情話などという類ではありません。
その物語を通して私たち一人一人が死後について、亡き人について問い続けることができるようになるという「人生の同伴者」たる「物語」です。
この「物語」を通して実際に気づきや救いや生きる力をいただくとき、「物語」は「はたらき」として「事実」となるのです。

亡くなった方ご本人がどうしているかを確認できない私たちにとっては、今この私が亡き人をどう見出すか、亡き人と今どう出会っていくのか、ということが唯一確かめることが出来ることがらです。

お子様が亡くなったことについてあなたはご自身を責めるかもしれません。そして大きくなれず早くに亡くなってしまったお子様が不憫でしょうがないかもしれません。

しかしあなたのせいということもありませんし、早く亡くなったからといって不幸ということもけしてないのです。
心も体もなにもかも思い通りにならない私たちに起こることは全ていただいたご縁であるからです。

それでもあなたはお子様のことが心配で心配で仕方ないことと思います。でもそれはお子様が実際にどうしているかではなく、あなた自身がお子様をどう見出しているかという問題なのです。
なぜならば亡き方の死後について実際は「わからない」という揺るぎ無い事実があるからです。

是非あなたが救われる「物語」を通して、生涯をかけてお子様と出会い続けてください。乗り越える必要などありません。
亡き人を心配する私たちが、亡き人から心配されていたのだと気づく時、私たちは亡き人と共に「人生の同伴者」として歩んでいくのです。

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おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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あなたが兜率天や光明台に導く

昔読んだ本に、王様が奥様を亡くされて奥様の為にあれこれと供養をしていく中で、お釈迦さまに妻は今どこにいるのでしょうかと尋ねますと、お釈迦さまは「王よ、汝の妻は今、兜率天にいる!」と。
それを聞いた王様は安心して「そうでしたか…王妃はとってもやさしい妻でしたから…。」と泣いて安心されたシーンがありました。
これはどういうことか。
一国の王であれば何でも自由にできるものですが、人の死だけは自由にならない。
王という立場も捨て、自分の我欲を離れて、王妃の優しい心が王自身にも浸透して王妃のやさしい心が影響力=霊となって死後も王を動かしているのです。
現代人が愛する人を供養するのは、このように亡き人を通じてその人を最高の高みに祀ってあげたいと願って自分の我を滅し仏の教えを学び、世の為になるような優しい人格になっていくことが肝要です。
坊さんに供養してもらうというだけでは人は決して成仏しません。
もし、それだけでいいのであればテロリストや殺人犯もお寺やお坊さんにお布施してお経を読んでもらえば亡き人が浮かばれ、その人の罪も許されるということになりましょう。
そんないい加減なものではありません。
各自が布施主、志主としての自覚を持って、自分の人生における人生史上最高の心になるべく精進する。人生の主人公は各人が各自の主人公。お子さまを亡くされて胸が痛まれるのもあなたの心。その苦しい心をより良く導く。それが菩提心です。お子さんとの関わりを見つめなおす。たとえ短い時間であってもあなたの体の中で血肉を分け共に過ごした時間があった。
生命の暖かさ、命の尊さをあなたに教えてくれた導きの師なのです。
だから人は人が亡くなったら導きの師として祀るのです。彼の王が、一国の王であっても立場を捨てて、自分を導いてくれた存在に何かしてあげげたい、何か死後も何かをしてあげたい、わが導きの師として祀ってあげたいという共に歩む向上心に目覚めたことをお釈迦さまは見抜かれ王妃が兜率天にいることを伝えたのです。それは王様自身の心が本当に立派な人格者になられて王様自身が亡き王妃、あなたであればお子さんを無上の存在に導く志が芽生えたということを意味します。これが菩提心なのです。お墓を立てる位牌を作るのもみな菩提心の象徴です。お釈迦さまを悟りに導き、あらゆる人を救う心を菩提心という。
菩提心の目覚めに答えがあります。合掌

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おきもち

質問者からのお礼

中田みえ様
お忙しい中、温かいお言葉ありがとうございました。
改めて最後まで頑張ってくれた次女への感謝の気持ちでいっぱいになりました。
毎日手を合わせ、「ありがとう」と伝えていきたいと思います。

吉武文法様
お忙しい中、温かいお言葉ありがとうございます。
自分なりにいつも次女を感じられるお話を見つけたいと思います。

丹下覚元様
お忙しい中、温かいお言葉ありがとうございます。
私たち家族は次女に命の尊さを教えてもらいました。
次女が自慢できるよう、私たちも精進していきたいと思います。

「親・家族・恋人・大切な人の死が悲しい・乗り越え・立ち直る」問答一覧

夫の死 心が平穏になる時がきますか

夫が病気で急逝しました。夫はさぞ悔しいことでしょう。まだ現実として受け入れがたく、ふわふわとした心持ちで葬式、様々な手続きに生活に追われています。 子供たちと現実生活をいつも通りにふざけたことも言い合いながら笑顔で暮らしていますが、寂しく悲しい気持ちは各々が抱えています。 夫が亡くなって、葬式後に不倫関係にある人がいることが分かりました。相手からの、のんきなLINEがきたことで気づきました。再会した元カノのようで、レストランで食事したりホテルで密会したりしていることがやり取りから分かりました。これからもっとたくさん会いたいなど、関係を続けたい夫の気持ちも書いていました。あの時もあの時も嘘をついて家を出ていたのだと知りました。LINEを探すと、他の女性とも恋心をほのめかしたやり取りをしていたことも分かりました。 夫は多趣味で、趣味に仕事に忙しく、女の人と会う時間があるとは思いもしませんでした。私を悲しませることはしない人だと信じて疑ったことは1度もありませんでした。 夫は子育てに協力的でした。家の中のことは大体私がやっていましたが、対外的なことは率先してやってくれていました。共働きで、協力し合わないことには生活が回らなかったので、助かってました。私は子育て家事に喜びを感じながらも、夫の行動に苛立ちを感じていたことは確かです。夫は趣味の時間を家庭の様々なことに取られていると不満をいうことがありました。趣味をしている時の夫は本当に楽しそうなのでさせてあけたいと考えていたし、実際、ずっと続けていました。 こんなに趣味を楽しんだ上に、家事に疲れている私に、したいときだけすり寄ってくる夫を疎ましく思う気持ちもありました。 私は夫が好きでした。夫の物を片付けていたら、私からの数年おきの長い手紙や「大好きだよ」のカードがたくさん出てきました。先月もあげたはかりでした。 他の女の人には優しい言葉をたくさん書いていましたが、私にはありませんでした。私を子供の母としか見ていなかったのでしょうか。 数年前に、他の人としちゃおーなどと言うことが何度かあり、私はあきれて、どーぞ。と、言ってしまいました。夫は自分の欲を実行したのですね。 1人になると動悸がして落ち込みがひどいです。子供たちの明るい未来のためにも、元気で生きていきたいのです。どう考えれば心の整理がつくのでしょう。

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義父が亡くなりました

先日、義父が亡くなりました。 私がコロナに感染し家に持ち込んだ為家族もコロナになり、もともと持病が有り弱っていた義父にもうつしてしまいあっけなく亡くなりました。 入院して3日、急変したとの連絡あり病院へ行きましたが人工呼吸器を付けられていたのでまだ生きていると思っていました。 義家族と病室に居ると看護師や医師が来て死亡確認していいかと言われそこで初めてすでに亡くなっていることを知らされました。 急に意識がなくなり呼吸が止まったというような説明を医師からされました。 私は両親を看取っているのですが、完全に心臓が止まるのには時間がかかるはずなのに死亡確認の時にはすでに止まっていると言われました。 何故もっと早く知らせることができなかったのだろうかと少し不信感を感じました。 コロナが5類になったとは言えそう簡単に面会はさせられないのは分かるのですが、独りで逝かせてしまったし看取ることも出来なかったのが心残りで、せめて意識のあるうちに会わせてあげたかったと医師には言いました。 どうにもならない事とはわかっていましたが言わずにはいられませんでした。 私が感染しなければ義父は生きていたであろうと思うと義家族に申し訳なくて仕方がありません。 私が殺したのも同然だと。 主人にも義妹にも私が原因です、ごめんなさいと謝罪しましたが誰も責めません。 優しい人たちなので有難いのですが余計に辛いです。 義母は憔悴しきっていて、責められるかもしれないと思うと怖くて言い出せなかった。 ずるいですよね。 親類やかかわった人にも慕われいていたようで、遠くからも大勢弔問に来ていただきました。 それを見ているとなんてことをしてしまったのだろうと苦しかったです。 もともと持病が有り8年闘病して痴呆が出てきていましたが、薬との相性も良かったようで病状も落ち付いていて体力は落ちてきてましたが元気でした。 まだしばらくは生きれたでしょうに、私が殺したようなものです。 自分を責めるな、誰も悪くない、仕方がない事だとまわりは言いますがどうしようもなく心苦しくなります。 人前では気持ちを誤魔化し平静を装っていますが、義母や主人の落ち込み様を見ると申し訳なくて… もともと過去の嫌なことを思い出して後悔し落ち込む質なのです。 これから自分や周りとどう向き合っていっていいのか分かりません。

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母の死に冷静すぎる自分が嫌になる

昨日母が亡くなりました。いわゆる孤独死みたいな状況でした。きっと最後は辛かったと思います。かわいそうです とはいえ、私は仕事の日程とか諸費用とか手続きとかそんなことばかり考えています。あと趣味の大会の日程調整とか。 それなりには悲しいけどそれなりです。母の身になって考えればかわいそう、というだけで、私自身の悲しみとは違う気がします。もともとあまり関係が良好ではなく成人してからは不仲でした。しかし子供の頃には良い思い出もあるというのに。 自分自身にがっかりしてます。何でこんなに冷たいんでしょう。我ながらなんかおかしいんじゃないかと思ってます。 母の生前は苦しかったろうし寂しかったろうと思いますが、死んだらそれまでだなあと思うのが本音です。 浄土真宗の人だったので、仏様がいるとすれば阿弥陀仏が死後のことはなんとかしてくれるでしょ、みたいななげやりな気持ちもあります。母は駄目な人でしたが、そういう人でも、家族にろくに供養されなくても、阿弥陀仏はなんとかしてくれるって聞いてます。生前一度でも南無阿弥陀仏と唱えれば仏様との縁が結ばれて、すべての衆生を救いたい阿弥陀仏の本願によって西方浄土につれてってもらえるんですよね? もう私は供養とか関わり合いになるの嫌だ。 私もきっと一人で苦しい思いをしてのたれ死ぬんだろうなあと思います。

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生きるということがわからなくなりました

5人兄弟の末っ子です。先日兄が死にました。6歳上の兄です。俳優に憧れ、戦隊ヒーローの俳優になるからと上京したものの、所属した劇団の人に騙されて借金を背負い、返済のために企業に就職したもののギャンブルにハマりさらに借金を大量にこさえて首が回らなくなった結果、自分で首を吊りました。寒い冬の日でした。 それ以来私の中の死生観が変わってしまいました。人は突然死ぬ、居なくなる、と気づいてしまいました。私も明日また目が覚める保証なんてないと思うようになり、眠れなくなりました。 明日の約束が、友人や家族としにくくなってしまいました。だって目が覚めるかわからないのです。守れない約束をして、困らせたくありません。 将来のことも分からなくなってしまいました。行きたい大学がありました。でもそこに通うには上京しなくてはいけません。両親は、兄のこともあってか私を実家から離れさせたくはないようで家から通える大学にしなさいと言われてしまいました。もともと勉強することは好きだったのに、身に入らなくなってしまいました。事情を知らない学校の先生には出来もしないのにこの大学に行きたいなんて言わないでちょうだいと怒られてしまいました。私だって行きたくはありません。行けるかもわかりません。 自分でスクールカウンセラーに相談もしてみましたが、兄のことを話すと母が可哀想だと泣かれてしまいました。私の相談そっちのけで母の心配をされました。私を心配して欲しいわけではなかったのですが、私の話はあまりきいてもらえませんでした。 やりたいことがわからなくなりました。生きなきゃいけない理由もわからなくなりました。 上の兄は、死んだ2番目の兄の分まで生きなきゃと言っています。姉2人は一周忌までは生きてみようと思う、とよく言っているのですが、私にはよくわかりません。だって自分ではそう思っていても明日には身体が勝手に死んでるかもしれないのに。 父にも母にも相談が出来ません。相談する時にどうしても兄のことを話さなくてはいけないからです。辛い思いさせてごめんねと泣かれてしまって、それ以上話がすすまないのです。 人の生きる意味ってなんなんでしょう。どうして突然死んでしまうんでしょう。兄の場合は突然死とは少し違うのかもしれませんが…。結局死んでしまうなら、最初から産まれない方が良かったのではないかと思っています。

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20年 二人暮らしだった母

初めてこのサイトを見つけました。 こらえていた気持ちを、書き連ねてしまいそうです。 母は、楽しいことが大好きな人でした。 難病がありましたが、アルツハイマーの併発・進行の為、 家での私の付き添いが厳しくなり、認知症病棟へ入院。 2か月でベットから車いすに行けなくなり、 さらに2か月でどんどん食事がとれなくなり、なくなりました。 入院させたときはあんなに大声出せたのに、、腕もブンブン振り回せたのに。 病のあった父と 育ち盛りで気難しい子を、働きながら支えてくれました。 父がなくなったあと、母65才の時から2人で暮らし始めました。 気分屋の母で、本当は水と油な親子だけど、2人でケンカしつつも暮らしてきました。 20年間。 母が歩けるときも、車いすになっても一緒に外出しました。 どこに行けば喜ぶか、一生懸命考えました。 一人で立ち上がりできなくなり、でも介護度を上げることは嫌がりました。 色んなことがあったのに、思い浮かべると 世の中ではきっとよくある事ばかり。 自分の視野の狭さ、忍耐のなさ、逃げ回ってしまった愚かさ。一人の部屋。 母を追い込んだ病院に夜中に行って、首吊ってやろうという気持ちが 顔をだしたりします。 でも、病院に入れたのは私です。 母は生きたかった。短いかもしれないけど、少なくともその時が死ぬとき、じゃなかった。 リハビリ受けてやる気満々!な母をだまして入院させてしまった。 在宅最後の2か月だけ家に来ていただいたヘルパーさんに 「まだ生きてていい?」って言っていたそうです。 お母さんを殺した私はどうすればいいんだろう。 精神科は母がなくなる1か月前から通っています。 「とにかく眠ること。休むこと。」そのための薬を出してくれます。 でも、悪夢で寝るの怖いんですよね。 知らない男女が、「大丈夫、いま楽にしてあげるからね」と言ってわたしの首にネクタイを巻こうとする。 知らないおじいさんが、私を押しつぶそうとする お母さん、ごめんなさい ごめんなさい 私は今54才。 お母さんの年まで30年。長すぎる。寂しすぎる、 お母さんに会いたい。謝りたい。仲良くしたい。 何を見ても、外を歩いても、何も感じない。 早く迎えに来て。お釈迦様おねがいします。

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