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前世の記憶は残るものですか?

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ある小説を読んでいるとき、前世や来世の話が出てきました。

その時、「今世でも会えなかったね」という言葉がふと頭に浮かび、その後涙が止まらなくなりました。

悲しい感情から泣くというより、ただただ涙が出るという状態で、あまりに涙が止まらないので驚いてしまった程です。

前世に誰かと別れて、また来世で会おうと約束でもしたのでしょうか?

なんだか気になってしまいご質問させて頂きました。曖昧な質問で恐縮ですが、よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

薫習

ぺっちゃん様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

ふと前世のことが、何かの強いきっかけでおぼろげながらにも蘇る・・

拙生にも経験がないわけではありません。

通常であれば、今世における記憶は、死の過程、中有の過程にて消えてしまうものとなります。

もちろん、その記憶は、薫習(くんじゅう)として、死後も存続していく微細な意識に残る場合もあります。

薫習とは、強い香りを放つもの、例えば、容器にニンニクを入れていたとして、容器からニンニクを取り除いたあとも、その匂いが容器に染み付いているという感じです。

世界的には、前世の記憶を詳細に語る幼子の例もございます。その場合でも、歳と共に薄れていってしまうようではありますが、強い記憶であれば、その薫習が残ることはあり得るものだと思われます。

また、チベット仏教の高僧、ダライ・ラマ法王様のように、衆生済度の聖業のために何度も輪廻転生を繰り返しなさられる場合には、転生者として間違えなく認めてもらえるように、前世記憶(自分の身のまわりのものや、強いご縁のある者たちについての記憶)を意図的に残される場合もございます。しかし、それは、余程に高度な修行成就者でしかなしえず、私たち凡夫では難しいところとなります。

それでも、死の過程、中有へと向けた修行を重ねることにより、可能となるところであると存じております。

このことに関しましては、「ダライ・ラマと転生」(石濱裕美子先生著・扶桑社新書)を是非お読みになられてみて下さいましたらと存じます。

川口英俊 合掌

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最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断しています。 https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k

前世の記憶が残る、そんなこともあるのかもしれないですね。

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おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答していますが、無知未熟ゆえに質問を読ませていただくことしかできないことも多々ありますがお許しください。 回答は私個人の意見や解釈もあり、場合によっては浄土宗の教義とは少し異なることもあるということをご了承ください。 また、寺の紹介ページに電話相談についても紹介していますのでどなたでも気兼ねなくご利用ください。 ハスノハのお坊さんがもっと増えますように。 合掌 南無阿弥陀仏

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