介護
母親は高齢になり、知ったひとが老人ホームに入居していた事を知ると私にこう言います。
よく自分の親を施設に入れるわ。
やろうと本気で思うなら家でだって面倒をみれる。
私は独身で兄がいますが頼りになりません。
協力してもらえるひとはいません。
以前、別件で市役所に相談にいったら「おたくは税金もそんなに高くないから我慢しなさい。貧乏人って言うことは、そういう事です」と。抗議しましたら、女だてらに誰にモノを言ってるか分かってるのか?と怒鳴られました。
だから、市もあてになりません。
また仕事を辞めて、ひとりで介護が数年の間にやってくる、そう思うと未来に光はみえません。
やったモン勝ち、言ったモン勝ちなら、早く死んだモン勝ちです。
どうせ兄は月に1度ほど帰ってきて母親に、お弁たらをたれ、母親は兄と私を比較して、兄は自分を楽しませる、それに比べてアンタは、と文句を言うに決まっています。
いつも、そうですから。
介護を考えただけで涙が出ます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
老人ホームに入ってもらいましょう。
費用はお兄さんと折半しましょう。
あなたが仕事を辞めて介護する方が経済的にも精神的にも苦しいと思いますよ。
お母さんもあなたに優しい人ではないのですから。
施設と介護のこと
こんばんは。
お母さまの言われる「よく自分の親を施設に入れるわ。 やろうと本気で思うなら家でだって面倒をみれる」というのは、昔ならばそういう言葉にも多少の根拠はありました。何故なら、昔は大家族であり、近所に手助けしてくれる親戚もおり、男手だって農家などならば融通も利いたからです。
みんなで介護して、介護される方も堂々としたものだったでしょう。
しかし今はどうでしょう、核家族、親戚の縁は薄い、近くにも住んでいない、昔ならみんなで自然に分担できていたことが、往々にして特定のひとりにのし掛かるのが現状です。
ですからあなたが実際に施設を利用したいのかどうかはわからないのですが、現代社会において「施設に入れる」というのは、昔とまったく意味が違います。昔の「たくさんの人たち」の代替なのですから、そこを利用することに罪悪感を抱くべきではなく、お母様にもそこを本当は分かって欲しいところですね。
介護の問題自体は非常に大きな問題で、簡単な解決策はありません。「親の恩が」「人として」という言葉も飛び交いますが、実際にはそういう精神論ではどうしようもないことはわかります。私自身も身近にそういう問題を抱えていますし、遠くに住む両親についてもそう遠くない将来、どうするのか決断を迫られる立場ですから。
ただ私自身は仏教徒ですので、慈悲の瞑想、あるいは「自他交換の瞑想」、もちろんそれ以外の仏教の智慧を今後とも更に修めながら、心が状況に支配されないよう、また問題点をしっかりと認識して、それを必要以上に拡大させたり、あるいは合理的に考えるべき部分を感情で台無しにしないよう、こつこつと自身の心を育てていこうとは思っています。
仏教を知ることはそういう面で役に立ちます。もし機会があれば、少し、仏教の本を読んでみたりするのも助けになるかも知れません。
拙い回答で参考にもならないでしょうが、平安な心で過ごせますように。
質問者からのお礼
ご回答、有難うございます。
いろいろ勉強になりました。
ご回答、有難うございます。
やはり、それが一番ですね。