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輪廻の主体

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有り難し有り難し 36

輪廻転生の事を考えると胸が痛くなります。何故仏教は命を一回限りとしないのでしょうか。

もちろん今ある生も今生限りのものですから人生が一回限りであることには変わりありません。
ただ殉教、殉死、心中等を遂げた歴史上の偉人の前世や来世が全く下らない物だったかもしれないと思うと胸が張り裂けそうになります。
自分の運命や人生を全面的に肯定して死に切ったとしても、過去世や来世の全く違う人生によって矛盾をきたしたものになるとしたらどうでしょうか。

「七度生まれ変わって朝敵どもを皆殺にしたい」と言って自決した楠木正成が果たして貧民街の子供に生まれ変わる事は無いと誰が言えましょう。
彼は生まれ変わりを願いましたが、あくまで自分の人生を貫き通す意思であり、運命愛に過ぎません。
生涯不犯を誓って異国で命を落とした宣教師達の前世がどこかの売春婦であると考えただけで吐きそうになります。
もしそれで良いのならこの世での清貧、忠義や誠意も全く無意味なものとなりますから。

ただ輪廻思想が広大無辺な仏教の歴史の中で偉大な説法者達に受け継がれてきたものである事は否定できませんし、
私は至らぬ凡夫ゆえ仏教の各宗派の前提とする輪廻の教義まで仔細には存じ上げません。

仏教では、特に自性を認めない中観派では何が輪廻するとされているのでしょうか?
水車を廻す水や携帯を動かす電気のように、「私」ではない、「私」の生み出す執着そのものが輪廻するのでしょうか?
執着が輪廻するのであれば悟りを得た=執着を滅した釈迦が解脱に入られたと解釈できるように思えますが。

2018年9月24日 0:00

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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

冤罪です

仏教は輪廻を今生限りで終わらせることを目的としています。つまり解脱です。六道輪廻はお釈迦さま以前からあったバラモン教の思想であり、仏教はそのアンチテーゼです。

たしかに仏教も輪廻は説きます。しかし仏教で輪廻を説く場合、
①世俗向けの「輪廻」と出家者向けの『輪廻』を矛盾しない範囲でダブルスタンダードしている。
②『諸法無我』が大前提。
③前生譚は基本的に純粋な仏教ではなく、仏教から派生しつつ他宗教と融合した比喩や文学。日本で言うと日本昔話や杜子春は仏教か否かというレベル。
の3点に要注意です。

要点だけまとめますと

イ、世俗向けには「善い生きざまをしなさい。さすれば来世で楽を得るでしょう。」
ロ、出家向きには「来世?変なこと考えていないで修行しなさい!」
ハ、「善い生きざま」=「修行」が共通項
二、この延長線上が密教の世俗諦と勝義諦(たぶん。他宗派でまだ裏が取れていませんが)。


ホ、無我とは個と全の境界線を取り払って殺活自在になること。
ト、中央集権の鎌倉幕府が生き残りをかけて内紛しまくって潰れた→室町幕府が「小さい政府」ならぬ「小さい将軍」にし過ぎて外戚や側近が力を付けすぎて潰れた→江戸幕府は対立構図を「こっち見んな!」と上手く誘導したが、海外からの外敵に一致団結できずに潰れた→大日本帝国が欧州式の「右に倣え」をしたが…というような、現象と精神性(霊的な意味ではない)が延々と続いていくのが無我を前提とした輪廻。
チ、輪廻というワードを使っても使わなくても、とにかく「善い生きざま」=「修行」をしなさいがポイント。
※お釈迦さまは「識が輪廻する」という弟子の言葉を否定しています。「執着が輪廻する」も退けられるでしょう。

リ、密教→ゴータマ・ブッダ(「輪廻」の否定)より大日如来(法身)をクローズアップ。六道よりも曼荼羅という段階。
禅宗→日常生活の中で「善い生きざま」=「修行」しましょう。六道は心の状態の暗喩。輪廻は無我を前提。
浄土→来世で打ち止めの「輪廻」に言及しつつ、本質的には「阿弥陀さまのお陰様」という全の『輪廻』に導く。極楽浄土を前面に出すほど六道は有耶無耶に。

『輪廻』のワードを使うも使わないも対機説法ですが、現代日本人の認識と習慣では「輪廻」という発想そのものから解脱し、問題化しないのが適と考えています

2018年9月24日 3:38
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おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み) 最近YouTubeを...

モークシャーカラグプタ大師「論理のことば」

akbcde様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

輪廻の主体ももちろん、空にして縁起なるものではあります。

何が輪廻するのかとなりましたら、微細な意識の連続体、心相続というものとなります。

しかし、その微細な意識というものを理解するためには、顕密共にかなり深い瞑想修行を要するところとなります。

輪廻の論証は、「結果としての能証に基づく推論」として、

「心というものはすべて、次の瞬間の心と結びつくものである、たとえば現在の心のように。(必然性)」

「死ぬときの心も、心にかわりはない。(所属性)」

「だから、死ぬときの心は、次の瞬間、すなわち、次生のはじめの心と結びつく。(結論)」

更には、

「(各瞬間の)心は、もう一つの、それに先だつ(瞬間の)心から生じる。たとえば、現在の瞬間の心がそうであるように。(必然性)」

「誕生の瞬間における心も、心にかわりはない。(所属性)」

「ゆえに、誕生の瞬間の心は前生の心より生じる。(結論)」

というものが有名なものとしてあります。

瞑想や上記の推論以外に、証明できるものは無いのかとなりましたら、もしかするともう少しすれば、素粒子物理学と宇宙物理学で証明が可能になるかもしれません。

私たちが普通に知覚できる次元は、時空の4次元ですが、すでにこの世界(物質・宇宙)は、10次元以上であることが数式上においては明らかになりつつあります。超ひも理論、膜理論というものです。その先に意識というものの存在の真実性もいずれ明らかにされるのではないだろうかと期待していますものの、深い瞑想以外においての実証はなかなか容易ではないとも思われます。

是非、禅定修行にも取り組んで頂けましたらと存じます。

とにかく、中観帰謬論証と共に、ダルマキールティ大師の論理学も学ばれますことをお勧め申し上げたいと存じます。

そのための参考としては、モークシャーカラグプタ大師の「論理のことば(タルカバーシャー)」(梶山雄一先生訳註)中公文庫の読解がお勧めであります。

川口英俊 合掌

2018年9月24日 8:39
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おきもち

川口 英俊
「僧侶は、悩む人に正しいくすりを調剤できる薬剤師であれ」 http:...

無我の我は「何があっても変わる事のない私」

ご質問を拝読させて頂きました。
まず、整理させて頂きます。
そもそも輪廻思想は仏教独自のものではなく、仏教創始以前の五火ニ道説以来、インドにおける常識です。
私の知人のインド人の方も言っておられましたが、今日でもインドの生活圏では輪廻は「当たり前な事」として捉えられています。
その前提に生まれた釈尊も輪廻思想を踏襲したまでの事です。

仏教では、「無我」を説きますが、この無我の我は、当時のバラモン教で説かれた「常一主宰(何があっても、ずっと変わる事のない私)」であって、それを否定するから無我です。
縁生による五蘊仮和合な我(色々な影響や経験により変化していく私)が否定されているわけではありません。
その縁生による五蘊仮和合な我が業のエネルギーにより、輪廻していきます。
だから、「無我だからこそ、輪廻する」と表現されます。

例えば、太郎が次郎へと輪廻する様子を記すと、
「幼少の太郎」→「青年の太郎」→「老年の太郎」→太郎死去により輪廻→「幼少の次郎」→

この場合、太郎と次郎の間で業は相続されていますが、この二人が同人物とも別人物とも言えません。
歴史上の偉人が輪廻する際も勿論、同様です。

中観派が輪廻をどのように説いたのかは、勉強不足で分かりませんが、少なくともそれ以降の唯識派や中国仏教、禅は輪廻による六道を来世の話ではなく、今生の心の問題として捉え直しています。
老荘思想でも死後に言及している事は殆どありませんので、中国人は輪廻を受け入れ難かったし、死後より今をどう生きるかを大切にしたのかもしれません。

2018年9月24日 8:56
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有り難し
おきもち

臨済宗寺院の住職です。皆様の良き御縁となる事が出来れば幸いです。

質問者からのお礼

回答して下さった皆様に感謝致します。
少しばかり気が楽になりました。
ただただ拒否するだけでは無く、これからも学ばせて頂く事で無知に依る不安を無くしていきたいと思います。

「輪廻転生」問答一覧

輪廻があるなら、私は天界も地獄も見て来たのでしょうか?

こんにちは。 前回質問で、輪廻思想がどうも腑に落ちない、と主張した者です。 ただ、輪廻に限らず、事物が「ある」とも「無い」とも断定するのは中道の教えに反すると感じるので、輪廻思想の側からも質問させてください。 輪廻転生があるなら、私は六道あらゆる世界を見て、生きて来た事になりますよね。何しろ仏教の宇宙観は無数劫の時間スケールで成り立ってるのですから。 また、私は、いわゆる地球外生命というものも、必ずどこかの惑星で誕生し生を営んでいると信じています。 そうなると、私の魂(?)は天上界のめくるめく壮麗な世界も体験して来たし、地獄の底の恐ろしい責め苦も受けて来た事になりますよね? また想像を絶するような異星の光景も目の当たりにしてきたのではないでしょうか? 輪廻転生が教えているものって、 「そういう一切合切の有情は、別個に生きているのでなく、過去、現在通して、物質から魂のレベルまで、密接に繋がって生きてるんや。天人も地獄の衆生も、あらゆる命も決して他人事じゃおまへんで。なにせアンタがそれ自身だったんだからな。」 と言っているようにも思えるんです。なぜか関西弁ですが。 そういう所から、いわゆる慈悲って生まれるのでは無いでしょうか? 生前や死後を無記とするのは「智慧」ですが、また輪廻をわが事として受け止めるのは「慈悲」の根源なのかな?とも思います。 この2つの考えは矛盾するものではないとも、私には思えます。 お坊様方は輪廻と言うものをどのように受け止めてるのか、気になったので再び質問させて頂きます。 お考えを聞かせて頂ければ嬉しいです。

有り難し有り難し 15
回答数回答 2

輪廻転生はあるのでしょうか

こんにちは。 私は数年前から一人暮らしをしており、1人の時間も長くなると考え事をする時がしばしばあります。 その中で昔の嫌な記憶を思い出すことがよくあり、思い出した嫌悪感に我慢できずにたまに泣いてしまいます。 自分の性格や人間性のダメな部分に嫌気がさして自己嫌悪に陥るのですが、ああしてこうして育ててくれればこんな人間にはならなかったのに、と親のせいにしてしまう自分に何より腹が立ち、情けなくなります。 もちろん四六時中こうして悩んでいるわけではなく、仕事ができるありがたさや趣味に打ち込める楽しさもあり、普段はポジティブに生活しています。 ですが、人間いつか死ぬのなら、できるだけ早く死にたいなとも考えています。 自分で言うのもなんですが、感受性が豊かな自分にとっては家族も含め人付き合いに疲れてしまい、早く楽になりたいんだと思います(叱られるかもしれませんが… 死後の話でよく『輪廻転生』と耳にします。 私は現時点で20数年しか生きていませんが、もし人間として生まれ変わるのなら、またこんな人生を送らなければならないのならないのは御免だなと思います。 やはり死後の魂は何かに形を変えて生まれ変わるのでしょうか?だとしたら魂の数には限りがあるのでしょうか? もう一度生き物に転生せずに済むのなら、魂ごと消えてしまいたいです。

有り難し有り難し 27
回答数回答 3

輪廻からの解脱

回転寿司が大好きで週に一度は食べに行っています。 そこで、hasunohaの左上のロゴの類似であるホッキ貝より、味は赤にし貝、歯ごたえはつぶ貝が好きだなと気づきました。 気付いたんですが、ホッキ貝も食べますし、赤にし貝やつぶ貝のみ食べるという事をしませんでした。 そして回転するベルトコンベアを見て、自分の輪廻からの解脱は本当に難しいなと感じました。 今回の『輪廻』の定義は死んだ後の話ではなく、 『執着する限り何度でも苦が繰り返される、因果応報としての輪廻』です。 (本を見たりネットで調べたり人に聞いたりしたわけではなく、毎日自問自答しているうちに『生きているうちにも輪廻している』と気づきましたので、これは仏教やブッディズムでいう輪廻ではない、というご意見もあろうかと思いますが、その場合は正しい言葉を教えていただければ有り難いです) 気付いてもなかなかやめられない、そして心に余裕がなくなったら外的要因のせいにしている自分の心がいます。 ダンマパダや七仏通誡偈の中に、 諸悪莫作(サッバパーパッサアカラナン) 衆善奉行(クサラッサウパサンパダー) 自浄其意(サチッタパリヨーダパナン) 是諸仏教(エータンブッダーナサーサナン) がありますが、白楽天に言った道林禅師の『3歳の子供でも分かるが80歳の老人にもできない』という偈に自分の経験を当てはめて痛感しております。 僧侶の皆様は忘れてしまったらしょうがないのですが、忘れてしまいそうなときはどのようにして忘れないようにしていますか。 (忘れてしまいそうなときは忘れていないから、忘れることはない、という答えもあるでしょうが) 苦の輪廻を寿司で例えると味にアクセントを与えるワサビ(たまに多くつけすぎたり少なくつけたりして苦しむがちょうどよい辛さを探している)だと、勘違いしている自分がいるのかな? と迷ってしまっています。 いや、違う。ただ何も考えてないだけですね。

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