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扇子と怒る事について2つの質問です。

回答数回答 2
有り難し有り難し 24

1、全国のお坊さんはみんな扇子を持ってらっしゃいます。私は、「お坊さんは何故扇子を持っているのだろう?」。数珠と扇子を持つ意味は何かあるのでしょうか?

2、仏教は怒る事は煩悩で自分の身を滅ぼすものと教えられています。
私は、子育てや学校、社会等々怒る必要があるのだろうか?と考えています。
子育ては子供が悪い事をしたら親が怒るのは当然になっています。社会も、例えば、部下がとんでもないミスを犯し上の者に叱られるとかです。
学校も怒る事もありますよね。

仏教の教えは怒らない事をしていますが、怒る必要があるのかどっちが正しいのでしょうか?

難しいですが、教えてもらえませんでしょうか?

ちなみに私は詐欺師が許せない気持ちはありますが怒りも少しあります。でも、詐欺師を救いたい気持ちで志を成し遂げてみようと思います。
私は基本的に怒りませんので、いつも冷静を保っています。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

大切なことは分かりやすくない

1、お坊さんが扇子を持っているというより、和装と扇子がセットなんです。仏教というより日本の習俗です。詳しくはこちらのリンクをご覧下さい。
http://www.ohnishitune.com/about-sensu/

2、詐欺に引っかかりました→数年経ちました→思い出しました→腹が立ちました➡︎その瞬間、苦悩しているのは自分自身です。

つまり、怒りは自分自身に突き刺さるのです。
煩悩は世間ではよく「汚れた心」というニュアンスで語られますが、本来の意味は「苦の原因」です。

仏教では怒らないという教えもあります。しかし、例えば不動明王のような方々は常に怒っています。それは騙し合い、傷付け合う「愚かさの煩悩」に対して怒り、優しさや思いやりの善の心を護るために怒っています。
しかし、明王は「如来>菩薩>明王」の位の中で下の方です。これは階級が低いという意味ではありません。目指すべき心の段階として最初の方にあるということです。

親は子供を叱ります。しかしそれは「社会で立派に生きていける人になって欲しい」という着地点ありきで、一時的に心を鬼にして叱ります。しかし世の中には鬼に取り憑かれたように怒り続け、虐待して子を死なせる親もいます。
罪を犯した人に対しても、更生して欲しいという願いから厳しくすることと、犯罪者の破滅を願って怨むことは向かう方向が全くの逆です。

それらは善と悪…根本的に別物です。怒ることは白か黒か…そのように割り切って考えられるものではありません。自分次第なのです。

そうそう、お坊さんにありがちなミスがあります。
賽銭泥棒を捕まえました→許してやるのが慈悲だと思って放してやりました→実はその人は「窃盗症」(病的窃盗)という病気で、治療が必要な人でした→警察を介さなかったことで治療のチャンスが失われ、その人はずっとずっと止められない罪に苦しみ続けることになりました。

救うって、何でしょうね。難しい問題です。

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有り難し
おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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こんばんは。

 曹洞宗では「中啓(ちゅうけい)」という扇子に似たものを持つことがあります(常には持ちません)。重要な役の方が持ちます。今少し調べましたが、何のためなのかわかりませんでした。ごめんなさい。

 二番目のご質問は、質問の中に「怒る」と「叱る」が混じっている事に気がつくと、心の整理がつきやすいと思います。
 自分の思い通りにならなくて感情を爆発させるのが「怒る」、相手のためを思って注意するのが「叱る」です。
 私も、他人を注意するときは、自分の心の中に「怒り」がないかとうか点検して注意をしたいものです。

 詐欺に対し、救おうという気持ちは必要ありません。怒りは抑え、悔しい気持ちをバネに周囲に注意を喚起しましょう。

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有り難し
おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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質問者からのお礼

お礼が遅くなりました、お坊様方教えてくれてありがとうございます。もう少し教えてくださった事を参考にして自分で考えてみる事にします。
ありがとうございます(合掌)

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