介護終了後の道を見つけた気がします
先月は半分くらい寝込んでおりました。よくもこれだけ眠れるな、と自分でも思いましたが、「それだけ疲れて心身が眠りを必要としているんですよ」と看護師さんに言われて、安心して(?)眠りました。
わずかずつですが、起きていられる時間も長くなりました。
実は夏以来、天涯孤独で一人暮らしである方の相談相手をさせていただいています。遠方の方なので、メールと電話が主になりますが。その方が体調を崩されて、いろいろ困っておられたので、そのこともあって、私でわかる範囲のことをお伝えしたり調べたりもしました。
伊達に長く介護や持病と付き合っているわけではなくて、公的制度や医療的なことには多少詳しくなってしまいました。
私にできることはわずかですが、それでも「死にたい=助けて」というSOSに少しは対処ができたと思います。そして他人をサポートすることに懸命になっていると、自分のしんどさや辛さを忘れるのです。
思えば両親もよく人のために行動した人たちでした。二人が積んでくれた徳は今でも私を守ってくれています。ありがたいことです。
私は高校生の頃から30年以上長くパニック障害に悩まされていて、しかしながら、両親や弟のために走り回っているうちにパニックが治ってしまった経験があります。
母の介護を覚悟して決意した途端、病室で瞬時にして五十肩が治ってしまったこともあります。見えない誰かにとても応援されている気がします。
人のために行動することは巡り巡って帰ってくるという「恩送り」は本当だな、と思います。いつかは自分や子孫のためにも現在ご縁がある人たちのためにできる限りのことをしたいと思います。きっとそれは両親の本意であって、今後の課題だと思います。
自分のためには死ぬまで絵を描きたいという目標があるので、そちらも大切にしたいと思います。自利利他のバランスが取れるように、これからも充実した人生を全うできるように過したいと願います。
こちらでいただいたご好意はとても嬉しかったので、ひとことでもお礼を申し上げたいと思って投稿させていただきました。
本当にどうもありがとうございました。
もとより双極性障害が原因の希死念慮には悩まされているのですが、懸命に両親の介護関係で動いている時もふとした虚無感に悩まされています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お役に立てて何よりです。
こんばんは。亀山純史です。
私たちからの回答がお役に立っていることを知り、とてもうれしく思います。私自身、このhasunohaでの回答は、当初は仏教の教えに触れながらの回答を心掛けていました。それは私自身僧侶であってカウンセラーではない、という立場からでした。しかし、そのため、私自身の浅学のゆえに、あまり回答は多く出来ていませんでした。そのような中、私は二十歳を目の前にした一人息子を突然死で亡くしました。その後、10か月近くこのサイトでの回答が出来ずにいましたが、昨年の冬に少しずつ、このサイトでの回答を再開いたしました。そして、今年の夏に、ふと、「私は子どものころからお寺で過ごし、そしてこの世のはかなさを知ることも出来た。そのような私は、今、仏さまの教えに生き、仏さまの教えに救われている。そのような私の生き方、考え方を、仏教の教えに縛られずに、皆様にお見せすることが、このサイトにおける私の仕事ではないか。」という思いが私の心に湧きあがり、それからは多くのご相談に回答を書かせていただいております。そのような回答の一つが、Haruさんからのご相談(「両親を看取って燃え尽きた気がします」https://hasunoha.jp/questions/29438)だったわけです。また何かありましたら、是非、このhasunohaをご利用ください。そのとき、また私が回答できるかどうかはわかりませんが、お待ちしております。
拝読させて頂きました。
本当に有り難くあなたの文面を読ませて頂きました。
あなたにはこれからも人のために生きていく道が沢山あるのですね。
そしてあなた自身も様々なお悩みや問題を乗り越えていかれるのかと思います。
改めて人の生きる道を考えさせられました。
あなたがこれからも様々な方々とのご縁を通して人を助け支えいきながら日々を心からお健やかに豊かに生き抜いていかれますようにと切にお祈り申し上げます。
そしてあなたを心から応援させて頂きますね!
どうぞ沢山の方々と共に幸せを!
質問者からのお礼
●亀山純史さま
私には特定の宗教に対する信仰はありませんが、それでも高いところにあるなんらかの存在を感じています。そこにある愛や真理のようなものはあらゆる宗教の根底に流れている気がします。それでも苦しみが多い世の中で、やはりその方なりの苦悩を超えてこられた方のお言葉というのは身近に感じられます。同じ痛みを知るもの同士というのも、きっと必要なのでしょうね。そうでなければ生きていく力を得るために同志のような勇気をもらえる気もします。
私も生まれた時から身体が弱く、常に不調を抱えながら暮らしていますが、この年齢まで生き延びて、両親を看取ることもできたのだから、あとはもっと多くの人のために役立てるといいなあ、と願っています。転んだ時の痛さを知っていて、そこから負けずに立ち上がることができるようなお手伝いができたら、と思います。
●Kousyo Kuuyo Azumaさま
私に相談を持ちかけてくださった方から「どうしてそんなに大変なのに強くいられるんですか?」と聞かれたのですが、それは逃げずに対処して来たからかなあ、とふと思いました。リアルな経験値が上がるということですね(^_^;) この経験にはどういう意味があるのか、いつも考えている気がします。病気にも意味があると感じています。orei 理解ある両親の元に生まれて、自由意志を大切に育ててもらえたのもありがたいことでした。
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「他人から優しくされたことがある人は誰かに対して優しくしたことがある人です」という言葉をどこかで見かけたんですが、結構真理かも、と思いました。
亡き母は曽祖母が大好きで、その曽祖母という人は、あの時代(昭和の初めごろ)農家の方が大八車で自分の畑で採れた野菜を売りに来られたりするんですが、本当は一把しか必要なくても、「菜っ葉2把おくれやす。しんどおしたやろ?どうぞうちで一服して行っておくれやす」とその人にお茶まで出して一休みしてもらう、という人だったそうです。この話は母に聞きました。
で、ついでに思い出したのは亡き父の体験談です。40年あまり昔になりますが、父が仕事でアメリカ東南部(ジョージア州あたりかな?)を車で走っていたんですが、何しろ広い。(当然だよね)どこまで行っても一軒の店も何もない。お腹は空くし、喉も渇いた、さてどうしたものか?と一旦車から降りて、車にもたれて休んでいたそうです。
道路の側は広大な畑です。そうしたら遠くから一台のトラクターが近づいてくる。地元の農家の方が「うちで休んでいかないか?」と声をかけて、父を家に連れて行って、コーヒーや軽食をご馳走してくださったそうです。全く見知らぬ日本人ですよ。父もご厚意に甘えてご馳走になって、とても嬉しかったと帰国後も感激していました。
多分、死ぬまで覚えていたんじゃないかと思います。
時代も違います。両親がまだ結婚する前、母の子供時代のひいばあちゃんの話と、結婚後の父の仕事の時の話です。でもここに不思議な巡り合わせを感じて感動してしまうのは私だけかしら?(^_^;)
きっと世界中の人が似たような経験をされていると思いますが、でもものすごく広いスケールで人の親切っていうのは巡るんだなあ、と思うと、いろんな徳が巡り巡っている気がしますね(^_^;)
こういう話は大好きです。せちがらい世の中ですが、優しい気持ちは普遍的にずっと世界を巡っている、と想像すると幸せな気分になりますね。
あのころと違って、アメリカも日本も変わってしまいました。でもいつかまた自然な好意として親切のやりとりが普通になる時代になって欲しいものです。
そういう世の中はきっと誰にとっても生きやすい世界かもしれません。
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また折がありましたら、お邪魔させていただきたいと思います。
ご縁に感謝いたします。私と関わってくださったみなさまがたと、お読みくださったみなさまにもよきご縁がありますように。ありがとうございました。