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介護終了後の道を見つけた気がします

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有り難し有り難し 16

先月は半分くらい寝込んでおりました。よくもこれだけ眠れるな、と自分でも思いましたが、「それだけ疲れて心身が眠りを必要としているんですよ」と看護師さんに言われて、安心して(?)眠りました。
わずかずつですが、起きていられる時間も長くなりました。

実は夏以来、天涯孤独で一人暮らしである方の相談相手をさせていただいています。遠方の方なので、メールと電話が主になりますが。その方が体調を崩されて、いろいろ困っておられたので、そのこともあって、私でわかる範囲のことをお伝えしたり調べたりもしました。

伊達に長く介護や持病と付き合っているわけではなくて、公的制度や医療的なことには多少詳しくなってしまいました。

私にできることはわずかですが、それでも「死にたい=助けて」というSOSに少しは対処ができたと思います。そして他人をサポートすることに懸命になっていると、自分のしんどさや辛さを忘れるのです。

思えば両親もよく人のために行動した人たちでした。二人が積んでくれた徳は今でも私を守ってくれています。ありがたいことです。

私は高校生の頃から30年以上長くパニック障害に悩まされていて、しかしながら、両親や弟のために走り回っているうちにパニックが治ってしまった経験があります。

母の介護を覚悟して決意した途端、病室で瞬時にして五十肩が治ってしまったこともあります。見えない誰かにとても応援されている気がします。

人のために行動することは巡り巡って帰ってくるという「恩送り」は本当だな、と思います。いつかは自分や子孫のためにも現在ご縁がある人たちのためにできる限りのことをしたいと思います。きっとそれは両親の本意であって、今後の課題だと思います。

自分のためには死ぬまで絵を描きたいという目標があるので、そちらも大切にしたいと思います。自利利他のバランスが取れるように、これからも充実した人生を全うできるように過したいと願います。

こちらでいただいたご好意はとても嬉しかったので、ひとことでもお礼を申し上げたいと思って投稿させていただきました。

本当にどうもありがとうございました。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お役に立てて何よりです。

こんばんは。亀山純史です。

私たちからの回答がお役に立っていることを知り、とてもうれしく思います。私自身、このhasunohaでの回答は、当初は仏教の教えに触れながらの回答を心掛けていました。それは私自身僧侶であってカウンセラーではない、という立場からでした。しかし、そのため、私自身の浅学のゆえに、あまり回答は多く出来ていませんでした。そのような中、私は二十歳を目の前にした一人息子を突然死で亡くしました。その後、10か月近くこのサイトでの回答が出来ずにいましたが、昨年の冬に少しずつ、このサイトでの回答を再開いたしました。そして、今年の夏に、ふと、「私は子どものころからお寺で過ごし、そしてこの世のはかなさを知ることも出来た。そのような私は、今、仏さまの教えに生き、仏さまの教えに救われている。そのような私の生き方、考え方を、仏教の教えに縛られずに、皆様にお見せすることが、このサイトにおける私の仕事ではないか。」という思いが私の心に湧きあがり、それからは多くのご相談に回答を書かせていただいております。そのような回答の一つが、Haruさんからのご相談(「両親を看取って燃え尽きた気がします」https://hasunoha.jp/questions/29438)だったわけです。また何かありましたら、是非、このhasunohaをご利用ください。そのとき、また私が回答できるかどうかはわかりませんが、お待ちしております。

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有り難し
おきもち

hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...
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拝読させて頂きました。
本当に有り難くあなたの文面を読ませて頂きました。
あなたにはこれからも人のために生きていく道が沢山あるのですね。
そしてあなた自身も様々なお悩みや問題を乗り越えていかれるのかと思います。
改めて人の生きる道を考えさせられました。

あなたがこれからも様々な方々とのご縁を通して人を助け支えいきながら日々を心からお健やかに豊かに生き抜いていかれますようにと切にお祈り申し上げます。
そしてあなたを心から応援させて頂きますね!

どうぞ沢山の方々と共に幸せを!

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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

●亀山純史さま

私には特定の宗教に対する信仰はありませんが、それでも高いところにあるなんらかの存在を感じています。そこにある愛や真理のようなものはあらゆる宗教の根底に流れている気がします。それでも苦しみが多い世の中で、やはりその方なりの苦悩を超えてこられた方のお言葉というのは身近に感じられます。同じ痛みを知るもの同士というのも、きっと必要なのでしょうね。そうでなければ生きていく力を得るために同志のような勇気をもらえる気もします。

私も生まれた時から身体が弱く、常に不調を抱えながら暮らしていますが、この年齢まで生き延びて、両親を看取ることもできたのだから、あとはもっと多くの人のために役立てるといいなあ、と願っています。転んだ時の痛さを知っていて、そこから負けずに立ち上がることができるようなお手伝いができたら、と思います。

●Kousyo Kuuyo Azumaさま

私に相談を持ちかけてくださった方から「どうしてそんなに大変なのに強くいられるんですか?」と聞かれたのですが、それは逃げずに対処して来たからかなあ、とふと思いました。リアルな経験値が上がるということですね(^_^;) この経験にはどういう意味があるのか、いつも考えている気がします。病気にも意味があると感じています。orei 理解ある両親の元に生まれて、自由意志を大切に育ててもらえたのもありがたいことでした。

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「他人から優しくされたことがある人は誰かに対して優しくしたことがある人です」という言葉をどこかで見かけたんですが、結構真理かも、と思いました。

亡き母は曽祖母が大好きで、その曽祖母という人は、あの時代(昭和の初めごろ)農家の方が大八車で自分の畑で採れた野菜を売りに来られたりするんですが、本当は一把しか必要なくても、「菜っ葉2把おくれやす。しんどおしたやろ?どうぞうちで一服して行っておくれやす」とその人にお茶まで出して一休みしてもらう、という人だったそうです。この話は母に聞きました。

 で、ついでに思い出したのは亡き父の体験談です。40年あまり昔になりますが、父が仕事でアメリカ東南部(ジョージア州あたりかな?)を車で走っていたんですが、何しろ広い。(当然だよね)どこまで行っても一軒の店も何もない。お腹は空くし、喉も渇いた、さてどうしたものか?と一旦車から降りて、車にもたれて休んでいたそうです。
道路の側は広大な畑です。そうしたら遠くから一台のトラクターが近づいてくる。地元の農家の方が「うちで休んでいかないか?」と声をかけて、父を家に連れて行って、コーヒーや軽食をご馳走してくださったそうです。全く見知らぬ日本人ですよ。父もご厚意に甘えてご馳走になって、とても嬉しかったと帰国後も感激していました。
多分、死ぬまで覚えていたんじゃないかと思います。

時代も違います。両親がまだ結婚する前、母の子供時代のひいばあちゃんの話と、結婚後の父の仕事の時の話です。でもここに不思議な巡り合わせを感じて感動してしまうのは私だけかしら?(^_^;)

 きっと世界中の人が似たような経験をされていると思いますが、でもものすごく広いスケールで人の親切っていうのは巡るんだなあ、と思うと、いろんな徳が巡り巡っている気がしますね(^_^;)

 こういう話は大好きです。せちがらい世の中ですが、優しい気持ちは普遍的にずっと世界を巡っている、と想像すると幸せな気分になりますね。
あのころと違って、アメリカも日本も変わってしまいました。でもいつかまた自然な好意として親切のやりとりが普通になる時代になって欲しいものです。
そういう世の中はきっと誰にとっても生きやすい世界かもしれません。

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また折がありましたら、お邪魔させていただきたいと思います。
ご縁に感謝いたします。私と関わってくださったみなさまがたと、お読みくださったみなさまにもよきご縁がありますように。ありがとうございました。

「介護・認知症」問答一覧

祖母が認知症になりました

お久しぶりです。 以前から悩みを聞いていただきまして、ありがとうございます。 今回は認知症になった祖母とその子供である私の父親、そして孫である私についてです。 昨年の夏頃から祖母の体調が悪くなり、身体が思うように動けなくなってからか物忘れ等が頻繁に多くなって、とうとう私と父親、家族のことが区別できなくなってきました。 その事については覚悟していたので、いよいよ来てしまったかという心構えができていたのですが、しかし、祖母と仲の悪い母親、そして面倒ごとに巻き込まれたくないと思っている姉、実家から出て行った兄の事を思うとなぜ、自分と父親だけが祖母の面倒を見ないといけないのかと思ってしまい、少し心が穏やかではなくなります。 また、祖母も今まで3回も結婚していて、さらに3回目は熟年離婚ならぬ熟年結婚という形で、それに振り回されていたと理由で父親も祖母に対してあまり良い感情を持っていません。 その事に関して、祖母、父親両方から愚痴を吐かれ正直疲れています。 業という言葉がありますが、おそらく私の場合は家族という業から逃れられないような気がしてなりません。 私が我慢して全ての事を淡々とこなして行くべきなのか、それともある程度までやるという感じで線引きするべきなのか悩んでます。 文章が支離滅裂で読みにくいと思いますが回答のほどよろしくお願いします。

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優しい人間になるには

現在、祖母・父・母・兄と同居しています。祖母は介護が必要でトイレも1人ではままなりません。そのため、父が祖母の介助をしています。 先日、父が介助をしている時にちょうど私が帰宅した際、「手伝おうか」などの声をかけずに去りました。 そのことを父に説教され、手も出されそうになりました。 父からすると、私はいつも逃げているように見えるらしいです。 土曜日に両親は買い物に出かけるルーティンがあるのですが、私は友人が土曜日しか空いてない場合は土曜日に予定を入れます。 そういう点が、家族のことを思いやれてない、気が使えない、将来家族を持つ資格がないように見えるようです。 他にも数々の私の落ち度を指摘されましたが、正直定年退職しても、家事一切せず自室に籠ったまま母に負担をかけている父に言われても…という気持ちになります。 親戚の集まりにも顔を出さないことを指摘されましたが、私はケーキを出したりコーヒーを入れたりしていました。その後会話も盛り上がっていて、少し顔も腫れていたので自室に引いていたのですが、「何様のつもりや」と怒鳴られました。 私は私なりに空いてる時間があれば、家の掃除をしているつもりですし母のサポートもしているつもりでした。 でもただ“つもり”になっていて、大したことはできていなかったのかもしれません。その点は反省し、もっと他人のことを思いやれる人間になりたいと心から思っています。 私はただ他人に気を使える人間になりたいです。自身が至らない点は多々ありますし、まだまだ思いやりを学ぶ必要があらと思います。 これから毎日トイレ掃除をしろと父から言われ、やってみようと思います。 どうしたら何事からも逃げない、優しい人間になるのでしょうか?

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親について

約8年前に妹を亡くしてから父が酒に溺れ今ではほぼ寝たきりになりました。 母72才 父71才 母はそれでも父が家にいる方がいいし、父の介護は苦痛ではないと言って自宅介護をしています。 トイレは自分でなんとか行けるくらいになりましたが食欲がなく最近はタンがからんでしんどそうです。 食欲がないので、ご飯もほぼ食べず飲み物もあまり飲まないでいると余計に体調を崩し救急車で運ばれることも度々あります。 母は50年前に自閉症と統合失調症と言われ2ヶ月に一回病院に通っています。 最近30年以上主治医をしていた先生が退職し違う先生が主治医になりました。 それもかなりショックだったのか薬が合わないのか主治医が新しくなってから調子が悪いです。 主治医がかわって1年たちました。 主治医がかわってすぐは薬がかわってしまい睡魔や情緒不安定が酷かったので先生に言ってかえてもらいすこしは良くなったのですがまだあまり良くありません。 主治医からは「父の介護も原因ではないだろうか」と言われました。 確かにそれもあります。 父はわがままです。言葉もあらいです。 でも母は父が1番の存在。 父の為にしてあげようと言う気持ちがかなり強いです。 だから父がどんなにご飯を食べなくても三食毎日作ります。 でも、父は一口たべたら食べません。 食べてくれないことを母はとても悩んでいます。 ここ最近、食べないことに関しての母の悩みがヒドク泣いていました。 でも父はそんな母の気持ちがわからないようです。 私は両親に逆らわないように育てられてきたので直接父にこのような話をしにくいです...がもう私以外言える人がいない。 近々、父の病院に行きます。 父の主治医にこのことを相談してもいいでしょうか? どうしたらいいのかわかりません

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認知症の父に心がモヤモヤします

はじめまして。 この度は父に対して心がモヤモヤするので、仏様の教えからアドバイスを いただけたら嬉しいです。 私の父は重い認知症で介護施設にいます。 言葉は話せませんが、表情からどうやら私の事は分かっているように思います。 私の母はもうずいぶん前に亡くなっていますが、アルコール依存症で かなり強い激躁状態になって暴力的になるタイプの双極性障害でした。 そのためか、私に対して寝ている時にいきなり首を絞めてきたり、 包丁を振り回してきたりする、命が危険になるレベルの虐待を受けて 育ちました。 毎日尋常ではない暴力と暴言に耐えてきましたが、 私には3歳年下の弟がおりますが、母は「女の子なんて欲しくなかった。 男の子が欲しかった。」と言って、 弟にはマンガやゲームやパソコンを買ってあげてかわいがっていました。 父は、私が母から暴力を受けていて「お父さん、助けて!」と言っても、 「お前が悪いからお母さんに殴られるんだ。お母さんを怒らせるお前が悪い。」 と言って何もせず、 弟は、自分のテストの点数が悪いと「おねえちゃんが、勉強しないでマンガ読んでた」と母に言いつけて、 私を生け贄にして自分の身の安全を守るような人でした。 父も弟も「お前がそんなんだから、お母さんに嫌われるんだ。お前が悪い。」 と言って、何も家族の問題を解決しようとしませんでした。 私は自分を守るために家を出たのですが、 母は夜中に毎日のように1時間おきに電話をかけてきて「死ね!」と絶叫して ガチャッと切るような事をしてきたため、 とうとうメンタルをやられて、精神科のクリニックに行き先生に訳を話したら、 「お母さんはすぐに精神科の診察を受けた方が良い。  私の師匠を紹介するから、そこに行ってみて下さい。」 と言われて、父に手紙を書いたら、父から電話がかかってきて 「精神科になんて行かなくていい!お前がお母さんの話を聴いてあげればいいんだ!」 と怒鳴られました。 結局、母が慢性リウマチで入院して、そこで精神科にかかる事になって 双極性障害が分かったのですが、 家族の問題に対して本当に何の手も打たず、母と一緒になって私を虐待していた 父は、今は認知症になって施設で手厚いケアを受けています。 私は施設の連絡先になっていますが、 父に対する気持がなかなか整理がつかないで、 とても苦しくなる時があります。

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移住失敗。

父親の介護をきっかけに今夏東京から地方への移住をしましたが、移住後まもなく脳神経疾病により緊急搬送〜緊急入院へ。 幸い大事には至らず10日ほどで退院、現在片頭痛が残っているので2〜3週に1度通院をしています。 仕事は移住前に決まっていましたが緊急入院をしたため予定勤務開始日から働けず、また今後の回復の見込みが立たないためやむなく退職、現在健康体へ戻すため療養しながら自分の体調に合わせた仕事を探している日々です。 両親ともに今回の事態は把握しているのですが、両親とも再婚をしていて特に母親方には頼られても困ると言われ、父親方にも義母から父の介護で精一杯で大変な時にあなたに助けてもらうつもりだったから頼られても何もできないと言われてしまい途方に暮れています。 仕事に関しても地方では職種問わずそう簡単に見つからず、貯蓄も枯渇し始め職探しにも影響が出始めています。 自分にできることはまだ他にあるかと常々考えているのですが、出し尽くした感があり思いつきません。 極力生活保護には頼りたくないので他にこの窮地を乗り越えられる可能性がある方法があれば教えて頂きたいです。 弟の説得から、父親の介護を本格的に関わろうと決めた日から今まで自分の最も苦手である「マルチタクス」を無理して行い、幾度となく現地へ赴き下調べや準備に1年弱を費やし、満を持して移住を決行したにも関わらずこんな事態になってしまい、疲労困憊で心身ともに疲れてしまいました。 頭が働かず、読みにくい文章にも関わらず、最後まで読んでいただきありがとうございました。

有り難し有り難し 3
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認知症母への苛立ちを解消したい

認知症母と二人暮らし。7年前に父を亡くしその頃から兆候があったのですが最近会話中の内容でさえ忘れるザルの状態になりました。 家事は辛うじてできています。 日に日にボケていくのが目に見えて分かる状態で、趣味も友達もなく医者通いしています。 母はガサツですがとても優しい人です。 そのような母に対して自分は母が話した内容を忘れることがあると、苛立ちを隠しきれません。紙に書いてもダメ、同じ会話や行動を何度もされると乱暴に怒鳴ってしまいます。そして後悔します。ここ数年その繰り返しで疲れました。これからもっとそうなると思うとどうにかなりそうです。 優しくて大好きな母ですが、認知症だと優しく接することができない。最近は自身に余裕があってもイラついてしまい一緒にいないようにしてしまいます。母は一人の時間が増えてやる事もないので寝ている事が増えました。悲しませてるような気もします。 自分は、一緒に散歩に連れ出したり、背中マッサージしたり、休みの日のお茶の時間や、夕飯は一緒にいるようにしたりその程度のことしかできません。 ずっと自分の頭がおかしいと言っていて、病気の不安を常に持ちながらの生活で母も参っているようですが自分は追い打ちをかけるような事をしている気もします。 離れて暮らすとまず認知症が進みます。自分がいて家事をやるから良いと医者も言ってました。実際生活は難しいと思われます。最近自分は帰宅前に、怒らないように覚悟してから家に入る状態です。 すべての物事には原因があってそれらには解決する方法があるって昔読んだ漫画ブッダの言葉ですが、考えると結局ボールは自分が持ってるのかと思います。そこまではわかる気がするのですが。どのような気持ちで接すればいいのでしょうか。 常に感謝の気持ちと言葉掛けはあるのです。でも、わからない行動や言動には耐えられない。 きっとスッキリする答えは難しいと思います、それでも何か文字通りの「心持ち」のご助言アドバイスなど頂けましたら幸いです。

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両祖母の介護、死を間近にして

こんにちは。わたしの両祖母のことを相談させてください。 父方の祖母は、わたしの実家で在宅で介護中です。96才です。もう足の裏に斑点が出てきて、尿量も少なくなってきているため、いつ亡くなってもおかしくない状況なので、今朝、実家の祖母のことろへ行ってまいりました。 祖母の意識は朦朧としていますが、 わたしがやっと大学に受かった時に1番に合格通知を持ってお祝いしてくれたことや、わたしが前夫と離婚して実家に出戻った際に「ばあちゃんがそばにいるから大丈夫!」と励ましてくれた事、その後に年の差もありバツイチ同士で「きっと断れるだろう」と覚悟して今の夫と挨拶に行った時に開口一番「おめでとう」と言ってくれたことなどを感謝して話したら、 今までうとうとしていた祖母がカッと目を見開いてわたしの手を取り、深くうなづいてくれました。 近くに住んでいるので、急変したら私を呼ぶように家族に伝えましたが、祖母が死にむかっているのが受け入れ難く辛いです。 あと、母方の祖母です。遠方で90歳です。施設に入ってます。月一で私が面会に行ってます。しかし、母とその祖母は絶縁してます。母の弟さん家族が主に何かしらの物資援助をしています。 先程、母方の祖母と話をしました。親しかった隣のお部屋の入所さんが亡くなり、また、祖母は西日が強いお部屋が居心地が悪いらしく、電話で話す時に鬱のような雰囲気を感じます。祖母も自分の家で看取られたかったのが本音と、入所さんとはあまり話をしたくないと聞きました。 私は、施設の部屋が空いたら、日当たりのいいところへ移ったらと言いましたが、母の弟さん夫婦に頼みにくいと言ってました(まだお二人とも非常勤で働いている上、祖母の息子さんが気難しいのでこれ以上迷惑をかけたくないとのこと) 私は、母方の祖母にも快適な老後を過ごしてもらいたいのですが、主に近くにいるのが息子夫婦なので、言い出しづらいのです。 私が直接仲に入って、日当たりの良いお部屋が空いたら移ったらと提案したいのですが、それは逆にお節介になって、祖母にダメージがないか、迷います。 実家の祖母との最期の向き合い方にも戸惑いがあります。 どうか、アドバイスをお願い致します。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ