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平和な時代が希望を見出せないことも要因の一つと感じます。
戦中・戦後の日本では食の飢饉などが続き、町は廃墟化し人々はどうしたらいいのかもがき苦しんでいました。
そんな時代の人は希望なんてありません。家族や仲間が生きたくても亡くなってしまった人々が多くいました。
苦しみや希望がない中で、残された遺族や仲間が、この日本をどうにかしないといけないという危機感をもって今の豊かな社会を築いてこられました。
希望がないときは、貯金するだけでもいいのです。お金が貯まれば、そのときにやりたいこと、買いたいものなど、どんどん貯金が貯まっていくことで楽しみという希望が芽生えてきます。
合掌
時の過ぎゆくままに
拝読させて頂きました。
あなたがそのようにお感じなさっておられることをそう思うことあると感じます。
希望から絶望に変わることもあるでしょうし、深い挫折を味わうこともあるでしょう。
一日がとてつもなく長く感じて何にもやりたくない、何することもできないそう思うことは生きてる中でやっぱりありますね。
もう死んでしまいたいとふと思ってしまうこともありますね。
あなたのお気持ちを心よりお察し申し上げます。
しばらくゆっくりなさってみてください。或は今の場所から少し離れてみて下さい。
心も身体も休めながらしばらく傍観なさってみてください。
世の中は様々に動いていきますがある法則があるようにも見えてきます。それが正しい方向なのか誤った方向なのかは定かではありませんが、それでも淡々と或は時に激流に流されていくように過ぎていきます。
しばらく心を浮かせてゆっくりと傍観なさってみて下さい。
或は今生きる人々の地道な生活の営みを見つめてみて下さい。
あなたの心が少しづつ穏やかな波の様に打ち寄せ落ち着かれ、そうして明日からのご生活に健やかにお向き合いなさっていかれます様心からお祈りさせて頂きます。
希望
麻里咲様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
少し悲観的、虚無的に陥られておられるご様子・・誠におつらいことでございます。
とにかく、希望、絶望も、実体として、それ自体、独立自存として成り立っているものではなく、色々な因縁(原因と条件)によって成り立ち得るものとなります。
(実体的に)有るというわけでもなく、また、(実体的に)無いというわけでもないのであります。
まあ、因縁次第というところで、希望も、どうにか見出し得ようとすれば、何なりと見い出し得れるところとなるのであります。
もちろん、仏教でも見い出していけるものとなります。
是非、仏教にて、悟りへと向けた希望を見い出して頂けましたら有り難くに存じます。
川口英俊 合掌