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祖母の見舞いに行きたくない

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母から祖母が長くないからと見舞いに来てと言われました。
小さい頃から祖母は好きになれず(子どもの粗相を「たわけ!!」をる、人の見方が差別的、認知症で同居時、大変過ぎて母のフォローが子ども心に辛かった)、本音では葬式は何としても行く、という感じです。
以前から祖母に対してだけは行きたくない気持ちがあると伝えていましたが、母から冷たいと否定されたり、あんなに可愛がって貰ったのにと怒られます。介護で母自身がぼろぼろになり、私がもう母は十分やったと励まして母が施設に入れる決断をしたことなど、なかったことになっているようです。
危篤の時だけならと親に言いましたが、行きたくないです。自分の心に嘘をつく感じがして、涙が出てきます。
父は理由を聴いてくれましたが、理解は難しそうでした。
祖母以外なら違うと思いますし、母から何かを強要されることのトラウマもあると思います。
自分も対人援助職ですから、見舞いに行くのが常識だと思いますが、対人援助職だからこそ、家族自身の気持ちも大事では?と思います。
危篤の連絡が来ましたが、私は自分の気持ちに嘘をついて、行かなければならないでしょうか…
お知恵をお貸しください。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

私にも、そのような相手がいます。

私にも、
会うのすら嫌な相手がいます。

私も、
その人のお見舞いにも
お葬式にも行きたくありません。

大人の対応をしなければ
私には損しかありません。
お寺の評判も落とすかも知れません。
生前に会わなくて後悔するかも知れません。
でも、
それでも構わないと思えるくらい嫌いなんです。

難しいですね。

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和田隆恩
 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生ま...
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会ってこそ、後々納得に繋がります。

今、色々なことが葛藤されていると思います。

私たちは知らず知らずの間に、成長をし好きな人・嫌いな人を判断できることも出来るようになっています。

祖母が亡きあとは、私に何かを伝えたかったのか?理由を追いかけるようにもなることがあります。
嫌いで会いたくないお気持ち重々理解します。しかし、慈悲の心を最大限に引き出し、会ってあげてください。

今行かなければ、時が経過し、祖母亡き環境が到来したときに、一度くらい顔を出しておけば良かったと後悔の念にかられるよりはマシです。

祖母には色々と人生で厳しいことを教えてくれて、ありがとうと冥土の土産をしっかり持たせてあげてください。

合掌

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大人としての対応もあります

sakanaさん、こんにちは。

嫌いな祖母に、会いたくないのですね。その気持ちもわかります。
人は完璧ではありませんが、好き嫌いがあって当然。身内であっても嫌いは人はいるものです。でも人間社会では、嫌いであっても会わなければ行けない事もあります。それを仏教の教えでは八つの苦しみの一つ「怨憎会苦」として教えてもらっています。

大人になるということは、そういう嫌いな人とでも大人の対応として会うことはいくらでもあります。それは嘘でもありますが、大切な社会上のコミュニケーションなのです。特に身内ですので、辛いとは思いますが、プールの水に口鼻押さえて我慢して沈むように、心は嫌でも顔はにこやかにして、最後の別れをしてきましょう。

 たとえ嫌なことをされたとしても、それはもしかして立場の違いかも知れません。嫌いな親の指導が自分が親になってそれが大切だったとわかるように、sakanaさんも歳をとったらわかることなのかも知れません。その時に「お婆ちゃん、ごめん。あの時に会っておけば良かった」と思っても後の祭りにもなります。

 それができるのも立派な社会人としてマナーの一つです。もう一度どの対応が一番いいのか、考えてみてくださいね。

合掌

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質問者からのお礼

様々なご視点をくださり、ありがとうございました。
夫についてきてもらい、危篤の際に一瞬病室に入って帰ってきました。
結局行くと、祖母に付き添って疲弊している母を見ることが、介護で子どもながらに気を遣って大変だったトラウマを想起し、ますます祖母の存在に感謝などできないというスパイラルになっていました。
結局自分の気持ちに無理をして会いに行くより、葬式の方が私は心安らかに祖母にしてもらったことについて考え、心の中で手を合わせることができた気がします。
そうした結論に至れたのは、hasunohaでご相談しながら葛藤して行動してみたおかげです。
これからもよろしくお願いいたします。

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