hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
そらノート 亡くなった人やペットに思いを伝えよう hasunoha姉妹サイト登場

死後みんな仏さまになって同じ世界に生きるのでしょうか

回答数回答 3
有り難し有り難し 56

私の父は僧侶をしていました。
真宗の小さなお寺で、職業とは別で兼業していました。
でも、父は酔うと人に暴言を吐いたり、よそで女の人つくったり、言えないくらい、家族に迷惑ばかりかけていました。
私は母と家を出て、今は嫁いで家庭を持っています。

そんな父が急に亡くなりました。
僧をしていたので、父は「仕事」としてお経はあげていました。
悪人正機というのは、悪人であることを自分で認めた凡夫だからこそ救われると聞きました。
悪人であることを最後まで認めなかった父も、救われて仏さまになっているのでしょうか。

でも『地獄と極楽』という絵本を小さい頃読みました。
あの絵本では、生前ひどい人は地獄で苦しんでいました。

もう一つ、仏さまになったとして、その後どのように生活?するのでしょうか。
よく、私たちを見守って導いてくださる、と言いますが、この世でのつながりが深かった人のところに行き導くのでしょうか。
もし私が往生したら、父と同じ世界に行き、また娘としてくらすことになるのでしょうか。

とりとめなくすみません。
父の死も、生前の行いも、もう昔のこととして受け入れていますが、仏教の教えでは、このあとどのように生きているのか気になりました。
よろしくお願いいたします。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

今だから言いますが

 私は浄土宗の僧侶です。「今だから」のお話として、お伝えさせて戴きます。

悪人であると最後まで認めなかった父も、救われて仏様になっているのでしょうか?
 いいえ。「悪人」に対する理解と、「救われる」についてお話いたします。
世の中に、「悪人」でない人はいない。それが浄土(真)宗の人間観です。そして、究極それを自覚しているか否か、は往生とは関係ないのです。え!?と思われるかも知れませんが、そうなのです。「では、自覚云々は?」と思われるでしょう。ここが、「今だから話せること」です。「自覚云々」は、生きている方に向かって説かれている話です。つまり、「自分は勝手な生き物・人に迷惑を掛けざるを得ない悪人だ」と自覚せよというのは、つまり「なるべく周りの人のことを思って生きなさい。慎みなさい」と生き様を促しているのです。これは、全ての「自覚を持て」共通の事柄です。そうすることで、あなたも周りも生きやすくなりますよ…というお諭しです。そして、事は「自覚」の問題ですから、周りの人からは分からないのです。お父さんは「暴言を吐いたり、よそで女の人をつくったり」しなければ生きていけない程(彼なりに)苦しんでいたのかも知れません。そしてご自身の矛盾に苦しんでいたかも知れません。(これは、あなたやお母様を悪く言っているのではないのです。縁の結果として、そうだったかも、という話です)
 次に、「往生」です。まず、ここは混同されている方が多いのですが、「往生して、さらに阿弥陀様から説法いただいて、その後成仏する」というのが我々の持つストーリーです。ですから、(ここは私見ですが)生前の記憶は、やはりあるのでしょう。それナシでは仏様も何を教えて良いか分からないでしょうから。また、「修行を積まれて戻ってくる」と解釈できる部分もあるので、繋がりや個性はあるのだろうと思います。
 ただ、私はお葬儀の時に「あなたは、人としての勤めは終えました」と語りかけるようにしていますが、学校を卒業するのにも似て、最早生前のことについては如何ともし難くなるのは確かだと思います。生前の怨みは捨てなさいと。生前の苦労は忘れなさいと。
 ですので、今後あなたがお年を召して目を瞑られた後、往生された後は「対等になる」と思います。多少は先輩かもしれませんが、仏様の前では些細な差です。
 言葉足らずとは思いますが、いかがでしょうか。

{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1600件を超えました


一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...

浄土の数は多けれど

阿弥陀仏はまだ法蔵菩薩であった頃、四八の誓いをお建てになられました。お聞きになられたことがあるかもしれませんが阿弥陀仏四八願と呼ばれるものです。
その中の一八願におかれまして「五逆正法を誹謗するような、どのような悪人も私の浄土へ生まれることができる」とお誓いになられております。

どのような悪人も、というのは認める認めないに関わらず全ての衆生をお救いになると、そうおっしゃっておりますのでお父様もお浄土へ往生されていることと思います
数多の浄土がある中において阿弥陀仏の西方極楽浄土は一切の衆生を救ってくださいます、ご安心ください

私たちは生まれたときから、むしろ生まれる前から、ちゃんと救っていただいているのです、約束されているのです

※補足です
1.西方極楽浄土では蓮の華に乗って生まれ往きます、西方極楽浄土は阿弥陀様のお浄土でありますので旧き知人と再会し、親と再会し、阿弥陀様の説かれる真理を聞きながら過ごしているものと思われます。
 生前の記憶ということですが一時期魂の重さは21グラムであるという研究発表が話題になりました。私はその抜けた分の質量だけお浄土へ往っているのではないかと考えています。繋がりはもちろんあると考えますが親と子、また祖父母と子の年齢差は阿弥陀様の長い長い年月に比べれば比べるまでもありません。お浄土ではみな同じなのです。

2.法然上人は「十方に浄土多けれど西方を願うは十悪五逆の衆生が生まれる故なり」とおっしゃっております。
  宗派によってその部分の考え方は違うかもしれませんが私は全ての衆生は西方極楽浄土である、そう考えております。
  ですがそうでもないとしても違う浄土の人とも隔てなく会えると思っております、でなければ極楽とは言えないではありませんか

{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1600件を超えました


追記。仏になったら、他人を教え導く

悟りを完成した者を阿羅漢(あらかん)と言います。
あらゆる煩悩をなくして悩み苦しみがなくなった方々です。
しかし、阿羅漢がすべて仏様ではありません。
仏様とは、自分が悟って阿羅漢になったうえで、他人を教え導くスーパーパワーを持ったお方です。
お釈迦様がわかりやすいですが、仏教自体が地球上にないときに、自分で悟りを開いて、それを他人に教えたのです。
自分だけ悟って満足して静かに亡くなるのでは仏と呼ばないのです。
仏になったら、まだ仏教のない世界に行って、そこを自分で新たな浄土(仏教がある世界)にするのです。

極楽では、すべての前世の記憶を思いだせるようになります。

阿弥陀仏の浄土が極楽浄土です。
他にも浄土はたくさんありますが、念仏だけで往生できるのが極楽の特徴です。

追記
極楽浄土では、自分と他人を区別する感覚がなくなるらしいです。住人全員が、自分とか他人とかいう概念が停止した精神統一状態をキープできる集中力を得ているのかもしれません。過去の記憶はあるものの、お互い恨みっこなしの平和な世界でしょうね。

{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1600件を超えました


がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...

質問者からのお礼

早速のお返事ありがとうございます。
どうしようもなかった父も、地獄で苦しんでいるのではなく、西方極楽浄土に生まれているのであれば、何だかホッとしたりもします。
すでに救われているとのお話、安心しました。

1.西方極楽浄土では、仏さまになった人はどのように暮らしているのでしょうか。
生前の記憶?やつながりなどもそのまま残るのでしょうか。

2.仏教にはいろいろな宗派がありますが、みな同じ西方極楽浄土に生まれるのでしょうか。

再度のご質問で申し訳ありませんが、もしおわかりでしたらご教示いただければと思います。

それぞれ丁寧なお返事をくださり、本当にありがたく思います。
こちらのサイトでのシステムがよくわかっていないので、それぞれにお礼のお返事がかえせず申し訳ありません。
私が思っていたより、極楽浄土はとても深く広いところのように感じました。
おかげで、何となく抱えていたわだかまりも、少しずつとけていったような気がします。

お浄土では、これまでの記憶がすべてあるというのは驚きでした。
私なら今までの過ちを思い出して、あああああと穴があったら入りたい気持ちになるかもしれません。
その時には、この世で仲違いした人とも仲良くくらせるのでしょうか。
できたら会いたくない人もいそうです。
心安らかに、人を導いていけるような仏さまになれると良いのですが。

長々とすみません。ありがとうございました。

「死後の世界・死んだらどうなる」問答一覧

私の声は、母に届いているのでしょうか。

こんばんは。いつもありがとうございます。 先日、うれしい出来事がありました。 早速仏壇に手を合わせ「お母さん、聞いて。良いニュースがあるよ」と言ったのですが、私の声は母に届いているのでしょうか? 母は、私の目を見ながら話を聞いてくれる人でした。「もう一回聞かせてくれる?」と耳をこちらに傾けてくれたりもしました。 でも、話を聞いてくれた目も耳も、今はありません。相づちを打ってくれる母もいません。母の肉体はもう、この世に存在しないからです。 亡き母に語りかける行為は独り言にすぎず、ただの自己満足なのでしょうか。 いくら語りかけても、母から返事はありません。「見えないだけで母はどこかにいる。話も聞いてくれている」と思ってはいても、ときどき虚しく、そして寂しくなります。 *** 追伸 hasunohaと出会い、日々救われています。 私の悩みを聞いて答えてくれる人がいる、と思うだけで安心します。本当にありがとうございます。 また、たびたび質問してしまいごめんなさい。「何度も投稿してご迷惑かな」と自覚しながらも、つい、甘えてしまいます。 今回も申し訳ないなと思いつつ、不安や寂しさがそれにまさり、投稿してしまいました。 それではお坊さんのみなさま、hasunohaを運営されているみなさま。季節の変わり目ですので、風邪を召しませんように。ご自愛ください。

有り難し有り難し 27
回答数回答 3

人は死んでも見ていてくれるのでしょうか

人は死んだら無になるのでしょうか。仏様になって私たちを見てくれてはいないのでしょうか。 幼い頃から大好きで大切だった祖母が最近、亡くなりました。私の家には仏壇が無いため(親戚の家にあります)、祖母の写真を置き、その前にお供え物をしています。祖母は亡くなるまでの半年間は食べ物や水を一切口にすることができませんでした(病院から飲食を禁じられており、栄養はカテーテルで摂っていました)。しかし本人はずっと「食べたい」「水が飲みたい」と言っていたのにそれが叶うことなく亡くなってしまったため、あまりにも哀れで、せめて天国ではたくさん食べてほしいと思い、お供え物をたくさんしています。けれど、ふと思うんです。こんなことをして、祖母は食べてくれているのだろうかと。人は死んだら仏だのあの世だの霊だのそんなものはなく、完全に無になるだけなのではないかと。だとすれば、毎日あれこれと飲み物や食べ物をお供えしているのは、単なる私の自己満足に過ぎません。それを考えると、虚しくなります。仏もあの世もなく無になっているのなら、お供え物もお墓参りも完全に意味の無い行為と言えます。ネットで色々と検索してみたら、霊感のある人は「ちゃんと食べてくれている」という意見を述べていたのですが、私には霊感がないので何も感じ取ることができません。 それに、祖母は20年以上前に亡くなった祖父のお墓参りをずっとほぼ毎日やってきましたが、祖父が見てくれていたようにも思えないのです。なぜなら、祖母は長年、体の不調に苦しみ続けていましたし、長文になるので割愛しますが最期の時もあまりにも惨めなものでした。よく「故人を思ってお墓などを大切にすると幸せになれる」ということを聞きますが、祖母は最後まで哀れでした。このことを考えると、やっぱり人は死んだら無になるだけで、それ以上は存在しない、つまり私たちを見てくれてはいないのかなと思えてしまいます。 難しい質問かとは思いますが、回答、宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 78
回答数回答 4

死後の世界について

最近死ぬことがとても怖いです。今私は20代でまだまだ先の人生があると周りに言われます。死ぬ時よりも死んだ後無になるのだと思うと怖くてたまらなくなり涙が出てきます。今は祖父母も両親も夫も健在で幸せな生活を送ることができています。だからこそこの幸せがいつか無になることが怖いです。また、時間には逆らえないので祖父母、両親が先に亡くなるのだと思いますが、自分が死んでから会えますか?お母さんは必ず迎えにくると約束してくれました。夫も死ぬからといって離れ離れにはならないし、ずっと一緒だと言ってくれています。ただ、死んだら怖いとか迎えにきてくれるとか、そのようなことも思うことすらできなくなくなるのでしょうか。意識が無くなり、思いや感情や記憶も全て無くなってしまうのでしょうか。怖くて仕方ありません。自分が数十年前はこの世に存在しなかったというのも不思議でなりません。死んでも幸せな時間が続くという保証があればきっと怖くなくなるのだと思いますが、そんなことは誰にも分からないし、だからこそ怖いという思いが無くなりません。これまで亡くなってこられた方々も生前にこのような気持ちを持ちながら生活し、気づかないうちに亡くなっていたのでしょうか。文章がまとまらずすみません。辛く、怖いです。

有り難し有り難し 14
回答数回答 2

関連する問答

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る