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知れば知るほど世界が憎くなる

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有り難し有り難し 8

最近になって生命の生き足掻きを意識出来るようになってきて、知らない・分からない事で余りに多くの人が苦しみ、本人が知らないという自覚すらなく、知らずに道を踏み外す事を感じる様になりました
それにより個々の他者に対する憎悪や怒り随分減りました

代わりに生まれたのは世界の形その物への強烈な憎悪です
人や命が愚かに生まれ道を容易に踏み外す性質を持つ事への憎悪です
生命がある意味完璧に生まれない事への憎悪、悟って生まれない事への憎悪です
いっそ人と命が消えた方が幸せなのではないかと感じます
この憎しみが何か誤って居るだろう事は感じるのですが(今の生命を滅ぼしてもまた生まれるのもそうですし、愚かさもまた生まれ続けるでしょう)、何をどうすればよいかが全く分かりません

衆生の愚かさや苦しみに心穏やかに生きれる人はこれについてどの様に見ているのでしょうか?
ただただ正しさを求める気持ちが強迫観念であり真実は己が空虚である事の表れなのでしょうか?
どの様に見て何をすればよいでしょうか?

2018年10月26日 19:47

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたは「潔癖」な方のようですね・・・。

〈衆生の愚かさや苦しみ〉とおっしゃっている所をみると、仏教に関しても学んでおられるようで・・・。
お釈迦様の❝弓矢の喩え❞については、ご存じでしょうか・・・?。弓の弦が張り過ぎていると切れてしまいます。逆に、緩んでいると矢は飛びません。そう、バランスの取れた「ほどほど」の強さが、弓矢としての正しい機能(はたらき)を発揮するのです。
〈個々の他者に対する憎悪や怒り随分減りました。代わりに生まれたのは世界の形その物への強烈な憎悪です 〉とのコメントに、多少、他人に対する寛容さ(ゆるみ)が出ては来たのですが、別の方向(社会)への怒り・不満(緊張)が湧いて来たようですね・・・。つまり、再び弓の弦が「張り過ぎ」てきたのでしょう・・・。しかし、それはあなたの「正義感(潔癖性)」から出てきているように思います。
世の中は「理想的」には行かないのです。それに対して、身近なものから一つ一つ「正しい」方向に向くよう、働きかけていきましょう。但し、自分は「絶対正しい」と思いこまないように・・・。「自分は正しい」と思っていても、他人や社会は「正しい」としない場合もあるのだ、という「寛容さ」も必要です・・・。それが❝中道❞ということかも・・・。
こんな格言があります。「賢者は愚者からでも学ぶが、愚者は賢者からさえ学ばない」・・・よく味わって下さい。合掌

2018年10月27日 8:52
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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

>>大塚 芳明 様
回答ありがとうございます
長文が過ぎて投稿が上手く出来ずに一度失敗したので、簡略に…
弓矢の話を聞き、寛容についての話を聞いて思ったのは、私のは仏教的に他者に対しても「寛容さ」に属する物ではないかもしれないと思いました
私のそれは「執着がない」事に由来する物ではなく「この人たちの今いる場所が今まではこの人たちが本人たちの知る限り最善の選択をして来た結果なんだ」と言う事と「私も縁が違えば同様の場にいた」と言う理解による物です
なので言ってしまえば恐らく「親近感と同情」に由来する物です
そう言った知見を「無駄な物」「愚かしい物」「誤った物」とされるかは別として、弓矢の弦の話を聞いて思ったのは、
「どうせなら」と言うような精神です
世界はこうあって生命はこうある、だから「こうあらねばならない」「ここを目指さねばならない」「こうでないのは欠陥である」ではなく、
「どうせならこうだと良い」「どうせならこうしてみると良い」と言う「こだわりの無さ」が「寛容」なのかな?と感じました
目を閉じて(悟りを開かず)に歩いて転んであちこちぶつけている人に「こんにちは、どうせなら目を開けて歩いてはどうですか?」と言って「目を開きたくない目を開くのが怖い、きっと目がつぶれてしまう」と言われたら「そうですか、目がつぶれるのが恐ろしいから目を開きたくないのですね。では私の言う事は今はもうありません。どうかお気を付けて歩いてくださいね。あまり怪我をしない事を祈っていますよ」と言うのが仏陀が教え、推奨した生き方なのかな?と思いました(まぁ、このくらいの内容ならもうちょっと踏み込むかもしれませんが)
正義感も神経症の一つに過ぎないのかもしれませんね(統制という防衛機制)
積極的、かつ過度に「放埓」に走るのも「躁的防衛」とか「行動化」で心理的防衛機制なんでしょうが…
「防衛機制や役割の縛り」を排除して「自由な個」に立ち返る教えなのかもしれませんね

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何故人は匿名の場だと辛苦を余計に煽るのか

これは私自身の見識による物なので一概に言えない部分も有ると思いますが… 何故ネットや匿名が許される場所、または普段の生活や仕事でも 一度の失敗で人を痛烈に責めたり、艱難辛苦を煽る人々が居るのでしょうか? 中には疾患を抱えてしまった方や障害と言われる人まで責められる人も居ます 例えば家庭内で虐待を受けた人が学校に相談しても、または虐めが原因で教師に 相談しても取り合ってくれなかった子ども達のニュースを見ると酷く思いますが、更に子どもの時に大人に相談しても聞いてくれなかった事で大人に対する信頼を失い、20代や30代になってようやく行政機関や周囲に相談できた方も居ます。 それまでにもネットや匿名の場所、現実世界でも「甘えるな、苦しむのは当たり前、苦しんだ?だからどうした相談するのは非常識だ、誰もお前の話など聞いていない、お前には先が無い」などと徒らに弱者を責め煽り更に弱者を作り出し、他人同士で生き甲斐を奪い合ってるのを見ると、何故互いに尊重し問題を解決する為の話し合いをしないのか?と思ってしまいます。 お坊さんは、この様な場合どの様な対処法が必要だと思いますか?

有り難し有り難し 4
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命に不公平さが生じる理由が知りたいです

はじめて投稿します。 僕は世の中の理不尽さが心底嫌で仕方ありません。 子供に対する虐待のニュースを見るたびに、本来ならその子にあるべき楽しみや訪れたはずの幸せを、なぜ奪われて中には命まで奪われなくてはならないのかと悲しいです。 動物の殺処分や虐待もです。この世に生まれてきた…ただそれだけの事なのに殺されたり、人と仲良くしたがるあの子たちに対して虐待する。 人間の子供も動物たちも「なんでそんな事するの?いじめないで」と、たとえ一瞬でもそんな悲しい気持ちになったのかと想像しただけで、泣くほど悲しいです。 なのに自分も含め、救えるのに救わない、世の中を変える努力も特にしない、きっとそんな人が大半を占めていて、一部では悪事を働き私服を肥やし思うままに生きています。 同じ命なのに、どうしてこの様な不公平が起こるのでしょうか?単なる運でしょうか? あるいは幸せになる為に生まれた者と、一方前世のツケか何かで苦行の為に生まれて者との違いとか、そういう事なのでしょうか? 特に自殺願望などありませんが、この命と引き換えに子供や動物が助かればどんなに良いかと思っています。

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裏切り者と呼ばれて

前置きとして、複雑な心境で長文になってしまいますこと、ご了承ください。 私は、今後10年以内に海外へ移住したいと考えております。理由として、自分は20代でして、日本の将来における不安から、海外への移住や永住を考えています。他のお坊様からもそういった行動を肯定するお声を頂き、いつになるはわかりませんが、何度でも挑戦してみようと思いました。 しかし、海外志向を友人に話したところ、「裏切り者だ」という言葉を、何のためらいもなく言われました。自分は日本に多少の不満はあるものの、日本の歴史や文化的なものは好きですし、医療などの福祉を受けさせてもらったことは感謝しています。決して日本の全てが嫌いとかではありません。ですが、そういった日本が好きか嫌いかといった考えと、日本の将来の不安による海外志向は全く別次元のことだと考えていました。 自分は「裏切り者」といった言葉が、付き合いの長い友人から何の躊躇もなく発せられたことにとても驚き、悲しくもありました。 自分は、この友人のように多様性を否定する発言をする人が多くいれば、日本は今まで以上に衰退して、民度も低下すると思いますし、行動力のある方々は日本への信頼や感謝を失い、どんどん海外へ流出してしまうと考えています。 やはり海外志向は、日本に対する裏切りといった風に、思われても仕方ないのでしょうか。 是非、お知恵をお貸しください。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 2
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個人情報保護についてどのように行動すれば良いか悩んでます。 私は医療系の学校に勤めています。将来医療の仕事に就く学生に様々な事を教えており、その中でも対象となる人の個人情報保護については学生に厳しく指導しています。 昨今SNSが当然になり、個人情報も洩れやすい社会になり、私達医療界では個人情報保護は必然とされています。 ここから悩んでる内容ですが、知り合いに(その人は看護師)ですが、娘さんがやはり学校に行っており、実習に行った先の病院で担当させてもらった方の個人情報、つまり病気やその経過について、母親に話をして、色々教えてもらっているようです。 私達の学校では、担当した方の情報はたとえ家族であっても、話してはならないと教えており、多くの学校や病院もそのように指導していると思っています。 その人は自分の娘がいかに頭が良く、出来る子なのかを自慢したくて話しているとは思いますが、その詳細な内容を聞くたび、学生や学校を信用して担当する許可をしてくれた方やその家族に申し訳ない気持ちになります。 話しても人の忠告は聞かない人なので、その娘さんが通う学校に、注意するよう連絡してみようかとも考えますが、バレたらその人の怒りを買いそうで怖いのも本音です。 また私自身がその人の事を嫌いだから、嫌がらせしてるような気さえして、正しいと思う事ができないでいます。 勇気を出して連絡し、正しいと思う事をしてもらうのか、誠実性か問われる職業にありながら、知らぬふりをするのか、悩んでいます。

有り難し有り難し 6
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初めて投稿します。 拙い文章ですが、どうぞ宜しくお願い致します。 先日競馬場に行く機会がありました。 その時偶然馬が、レース中に骨折し、直後に安楽死措置がとられました。 勿論幔幕は張られていましたが、一部始終を見てショックを受け、頭から離れなくなってしまいました。 同行者からは、馬は走れなくなると生きられないんだよと教えられ、自分でもインターネットで馬の安楽死措置について調べました。 実際に馬にかかわる仕事をしている方の意見を知り、馬にとっての骨折が人間のそれとは違い、命に関わる事なのだとも知り、「骨折しただけで殺すなんて!」と安易に言うことは、また違うのかなと思うようにもなりました。 しかしどうしても、競技馬として産まれなければもっと穏やかに暮らせたかもしれないのに…と消化しきれていない自分がいます。 無茶苦茶なことを言っているのは承知しています。 毎日魚もお肉も美味しいと思って食べているし、スーパーで売られているお肉の塊の背景を考えることもありません。可哀想ともあまり感じません。 私の知らないところで毎日沢山の動物が殺されているけれど、私は今回たまたま目の前で死をリアルに感じたから感情を動かされているのであって、それを知らなければ何とも思っていませんでした。 だからってベジタリアンになるのも違うと思います。 きっと大切なのは、その事実をきちんと受け止め、感謝することですよね。 私は今回の気持ちとどう向き合って、これから付き合っていけば良いのでしょうか。 まとまりのない文章で申し訳ございません。 是非教えていただきたいです。

有り難し有り難し 10
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